『』


 


 『私』は夕闇を見るのが好きだ。理由は、創作意欲が湧いてくるから。『私』は道路を見るのが嫌いだ。人の雑音が聞こえてくるから。『私』は善人が嫌いだ。自分の過ちを正そうとするから。『私』は、悪人が嫌いだ。それは、自分が嫌いだからだ。『私』は悪人だ。善人から【君はいい人だよ】と言われようと、私は悪人だ。レッテルを貼られたわけではない。貼ったのだ。傷つけられる前に自分に貼った。 

話は変わるが、言葉の暴力は、同じ様な性格の人物に言われた時、その暴力性は増す。例えば、大雑把な奴が、慎重な奴に「早く動け」と言ったとする。しかし、それは大雑把な奴が吐き散らかしたタダのわがままなのである。

 黄金色に満ちた空を見ながら、ぎゅうぎゅう詰めになった『私』の脳内がついにパンクする。先程から私の思考は、言葉として口から出ず、パンパンになった脳に新しい考えとして積み込まれる。さながら、ポップコーンマシーンのように。

深々としたソファに諦めたように座ると、丁度お尻とざらざらしたソファの素材が、丁度よくフィットする。刹那、黄金色の空が『私』の室内に入ってくる。たちまち、茶色のだらしの無い部屋が黄金色の大人チックな部屋に生まれ変わる。その瞬間、棚に置かれたトロフィーが存在感を主張させた。沈みゆく太陽が、トロフィーに反射して光り輝く。

『(第三五回)詩コンテスト優勝』

全く、作家とは厄介なものだ。頭の中の知識をこねくり回した結果、その知識がこんなトロフィーに変化するのだから。『私』は、自分の考えに笑い声を出そうとした。しかし・・・。

「・・・」

声が出ない。喉に栓を閉められた、いや、どちらかといえばダムだ。私の言葉を大きな【何か】が防いでいるのだ。

私は、初めて違和感に気づいた。朝、群青色の空を見たとき、『私』はおはようと声に出さなかった。朝食の時、いただきますと声を出さなかった。今日は、外から一歩も出ていない。つまり、行ってきますなんて言ってはいない。

私は、唖然した。正確に言うと、衝撃的な事実が発覚して、心が麻痺し、無自覚になった。『私』の顎が、だらんと下がる。丸裸になった口に、空気が入り込み、徐々に乾燥していく。

そうだった・・・。私はあの日から・・・。彼女が出ていったあの日から・・・。余計な失言をしてしまったあの日から・・・。私の口は、イラナイ要素となってしまっていた。イラナイ物質として、鼻の下で存在感を放ち続けていたのだ。 

「すみません、こんな夜間近に」

その瞬間、禍々しい黄色が私を照らした。間髪入れずに、捻りのないはっきりとした女の声が玄関からする。私は、そっと玄関の扉を開けて、女の人を招き入れた。

白いスーツを羽織っており、《ラウナリ》と印刷された名札を胸の左側に取り付けている。年齢は見ただけじゃ分からない。

「正直、お昼前に返したかったのですが、親戚からの差し入れが耐えなくって、返せなくなっちゃいました」

まるで言っていることは分からないが、何かを返したい様子なのは良く伝わる。【親戚】やら【差し入れ】やら、『私』とは、縁の遠い2文字が少し重苦しい。 

「あ、そうでしたね。えっと・・・。私は『緊急言葉サービス』と呼ばれるサービス業です」

女性は厳重なケースから、謎の玉を取り出す。赤、黃、青、黒、の4色がまるで「万華鏡」を思わせる。『私』は、あまりに非現実的な光景にペンと白紙メモを取り出した。今、『私』が見たものは、何なのかと伝えるためだ。しかし、女性は『私』の心中に気づいたのか、先に答えを出した。

「これは、あなたの声です。実は、少しお借りしてました」

声・・・。これが『私』の声・・・。こんなにキレイなのか。もっと黒く淀んでいるものだと思ったのだが。

「大丈夫、変な事には、使ってませんから。そちらと【交換】しましょう」

交換とは、何の事なのだろうか。それより、教えて欲しいことがある。『私』は白紙に【持ち主だから、何に使ったのか教えて欲しいです】と書き連ねた。

女性は腕組みをして、考える素振りを見せると「ちょっと、長くなります」と呟いた。『私』は、首を縦に振った。




「あなたの声は、一人の女の子に貸していました。半日という条件で」

「実は、その女の子。生まれた時、オギャアって泣かなかったんです。知ってます?赤ちゃんは泣かないとだめな事に・・・」

「それで、検査したんです。その結果、先天性の病気だったことが分かりました。医者に確認すると、全く声の出ないタイプは初めてだって。そう言ってたそうです」

重静かな空気が流れ、夕焼けの空は、闇に染まろうとしていた。肌寒い空気が、夜のお告げを知らせる。

「母と父は、悲しみました。そりゃあ、耐えられたものじゃないと思います。でも、母親と父親はそれでも育てました。まあ、私は昨日会ったばかりの人たちだったんですけど」

「でも、3ヶ月ほど前・・・」

「3ヶ月ほど前、母親に癌が見つかったんです。・・・ステージ4。もう、手遅れで・・・。多分、自分の子の事で頭いっぱいで、自分の体の事なんて気にしてられなかったんじゃないのかなと思います」

暗くなりつつある部屋に、一人の悲しい声がこだまする。遠くにあるトロフィーは、いまや輝きを失っている。

「父親が言ってたんです。自分の子には、メッチャクチャ言葉の練習をさせたって。いつ、声が出てもいいように。でも、それでも・・・。声を出せなかった。女の子自身も頑張ったんです。でも、でも、出せなかった」

「昨日、病室で母が言ってました。娘の声が聞きたいって。聞かしてくださいって。そういうサービス業何でしょって。だから、私はあなたの声を借りたんです。理由は、この辺で一番言葉を必要としていなかったから。本当は、先に言うつもりだったんです。本当です。でも、今日。入院してた母親の病態が悪化したんです」

そこで女性は、言葉に詰まる。上手く出てこないのだろうか。口の中でモゴモゴさせているのが視認できる。数秒して、黙って口を開いた。


「今日、亡くなりました。娘の、初めての・・・声を聞いて・・・ 」



『私』の声は、一人の人間に一時的に預けられた。その人のいちばん大切な人、母親に初めての声を聞かせるためにだ。『私』の声は、今までいい役になんて立ってきてなかった。彼女に失言し、彼女を泣かせ、一人の人間を自殺に追い込んだこともあった。そんな『私』の声なんかもう必要ないだろう。こんな35歳の老いぼれた肉体には、もうそんな声なんて要らない。だったら、少しでも役に立った方が良い。そんな『私』の声なんて、『私』に戻ってきたところでなんの使い道もない。なら、『その娘』にあげたい。『その娘』の方が、『私』の声をこの世界の為に使ってくれそうだ。私は、ペンで白紙に自分の思いを書いた。


『返してあげてください。自分には、もう声は必要ありません』



 その時の女性の顔、今でも覚えている。太った様に目を丸くしてこう言ったのは、確かだ。「【交換】しない人は、初めてです」と。あれから、声が出ない事によって、苦労してはいないと言えば嘘になる。でも、こっちのほうが全然楽だ。ゆっくりと外を見ると、雪が窓に積もっている。棚においてあるトロフィーは、ホコリを被っている。あの出来事から、もう半年・・・。

「すっ、すみません!」

突然、『私』の声が玄関から響く。久々に聞いたが、やはり『私』の声は嫌いだ。それに何か、喋り方がぎこちない。喋り方が、ぎこちない・・・。

私は、玄関をすっと開ける。


そこには、『私』の声をした少女が立っていた。

「私の声、返してください」


 つまり、緊急言葉サービス業とは、相手と相手の声を交換するサービスの事だった。だとすると、『私』が喋れなくなったのは、声が無くなったわけじゃない。


 『その娘』と声を交換したからだ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る