白虎


 わたしの生まれる前から佇む巨木を見上げたら、吹きすさぶ吹雪が目に入った。

 瞼を閉じると、目から涙が零れる。涙の一滴が腕の中にうずくまる子猫へあたり、やがて毛の隙間に入り込む。そして白一面の足元へと落ちていき、雪と同化した。

 大切な家族の一員だった猫のトラ。昨日までの元気に駆け回っていたトラの姿は見る影もなくなり、朝方静かに息を引き取っていた。

 トラへと降り落ちる粉雪を振り払い、わたしは歩き出す。冷たくなったトラを抱きかかえながら、巨木の下闇まで移動した。

 少しでも寒さがしのげるような、木陰の土の中で眠ってほしい。一心の思いで雪を掻き分けた。

「タマ、本当にありがとう……」

 私は別れを告げて、土をタマに被せる。少しずつ見えなくなる。

 もっと生きていてほしかった。いや、ほんとはまだ生きているのかもしれない。

 非現実な妄想がわたしの脳内を包み込んだとき、巨木が微かに揺れて枯葉が手のひらに落ちてきた。

 それは神様のささやかなる励ましだと感づいたわたしは涙をこらえ、巨木に頷いた。

 悲しみが無くなった訳ではない。それでも、心が温かくなった気になった。



 タマにお別れを告げてから一週間が立った。わたしたちの長屋を賑やかせていた鳴き声は途絶え、もう人の声しか聞こえない。側にはひとつ屋根の下、一緒に生活を送る子供たちがいて、とある本をめくっている。左から華ちゃん、久美子ちゃん、亮吉くん。

 この長屋にはもう最低限の器具しか置かれていない。暮らすためのお金を手に入れるため、売り払うしかなかった。

 この世界は持たざる者と持てる者とで扱いが余りにも違う。しかしそれでも生きていくしかない。

 この努力がいずれ、報われるときが来ると思うから。神様はちゃんとみてくれてるのだから。

 わたしは子供たちと寄り添い、一緒に本を見た。何度も見たことがある。でも決して色褪せない、日本の絶景の数々。

「故千代{こちよ}お姉ちゃん、何度見ても信じられないね。本当にあるかな、日本にこんなきれいな場所」

「空が真っ赤に染まって、山の隙間から太陽が昇る。こんな細かな描写、実際に見ていないと描けない。あるよ。信じよう」

 昔母がくれたこの本には沢山の思い出と歴史が詰まっている。所々擦れた文字も、涙の跡が付いた表紙も。全てが良い思い出とは言えないけれど、わたしに勇気をくれている。

 タマを埋めたあの日だって心の支えになってくれた。

 わたしの隣にいる亮吉くんは小さな寝床を見つめる。

「うん、タマの分まで信じる」

「わたしも」

 長屋の隙間から雪が入り込み、手のひらに落ちて溶ける。みんなの暖かい心はわたしにとって心の火鉢。ぎゅうっ、と身体を引き寄せる。

 確かなぬくもりを感じる。自然に口角が上がり、わたしは子供たちに微笑んだ。もう一度本の中の絶景に目を映し、声を掛ける。

「いつか見に行きたいね」

「うん、でもどこにあるんだろ。こんなとこ」

 華ちゃんと久美子ちゃんが顔を上げる。釣られて顔を上げた。するとまぶしいお日様がわたしの目に入り込んでくる。

 そしてとあることを思い出し、膝を曲げて立ち上がる。

「良い天気になったね、水買いに行こ。皆さんもご一緒にどうですか?」

 太陽がお昼を告げている。後ろで眺めていた大人達に振り返ると、久美子ちゃんの母親である舞子さんが口角を上げて答えてくれる。

「いいですね。今行かないと後々大変になるんで、行きましょう」

「そうですね舞子さん。じゃあ久美子ちゃんはお母さんと一緒にいく?」

「……うん」

 提案すると、久美子ちゃんは舞子さんのもとへ行く。亮吉くんも父親のもとへ。華ちゃんはわたしと共に。

 わたしはみんなと立ち上がり手桶を手に取った。その後扉に手を掛ける。扉を開けるとものすごい冷気が長屋の中に入ってきた。

「さ、さむ……」

 あまりの寒さに独り言が口から出る。

 外は雪解けが始まっていたため、足元が滑りやすくなっていた。恐る恐る足を踏み出していく。

「足元滑るから、気を付けて歩こうね」

「うん」

 久しぶりの快晴で、わたしたち以外にも多くの外出者がいた。

 幕府から派手な着物を禁止されているため、皆地味な茶色の着物を羽織っている。当然わたしも同じ。この寒い時期は着物を薄い綿に入れ、綿入れとして着用。そして次の季節には着物を縫い直し、来年の今頃になればまた綿を入れる。

 しかし肌の露出した部分は寒いまま。手桶を持つ手が悴むかじか。日が照っていても、凍える風まで暖かくすることはできない。

 周囲が白い息を吐く中、一人の男性が足元にある雪の塊を踏み潰した。

「早くこの村から出たい。一刻も早く……」

 男性は白い呼気と共に愚痴をこぼす。ここは水の届かない対岸地域、水を運んでくれるのは水屋と水船だけ。愚痴をこぼすのも少しだけだけどわかる。

 そしてようやく見えてきた目的地、水屋は既に長蛇の列ができていた。最後列に並び、順番が来るのを待つ。

 待っていると華ちゃんがこちらに振り返った。

「さっきのおじさん、怖かった……」

「うん、ちょっと怒ってたね。でもさ、水を運ぶ水屋さんはわたしたち以上に大変なんだよ」

 わたしは小声で言った。人の壁に囲まれて少しだけ温かい。徐々にわたしの視界に水屋が見え、あとちょっとで順番が回ってくるところまできた。水屋さんも大変そう、こんな大勢の相手をして……たわ言が頭の中で生まれていく。

 わたしはたわ言を振り払い、言い聞かせた。

「ちゃんとありがとうっていうんだよ。神様が見てくれてるから」

「そうだね!」

 元気いっぱいの声が耳に届く。どうやら前に並ぶ先客の耳にも飛び込んだらしい。舞子さんの手を握る久美子ちゃんがこちらを見てきた。顔を赤くして、久美子ちゃんは口を開ける。

「神様って……ほんとうにいるのかな……」

 否定する久美子ちゃんに隣の舞子さんが口を尖らした。

「こら、そんなこと言わないで!……すみません、故千代ちゃん。神様を信じくださっている方の目の前でなんてこと言うの。久美子、謝りなさい」

 厳しいお𠮟りに久美子ちゃんは頭を下げ、ごめんなさいと呟く。わたしも頭を下げ、久美子ちゃんの目線まで膝を落とした。

「いると思ったほうが楽しいよ」

「うん、でもごめんなさい。故千代さん」

「いいえ」

 わたしは首を振りながら口角を上げた。隣の舞子さんは居心地の悪さか首を掻きながら、再度お辞儀をする。

「本当に申し訳ありません!神様はいらっしゃいますのにっ……」

「そこまで……お気になさらないでください」

 わたしは天を振り仰ぎ、巨木の方を見た。眺めていると突如華ちゃんが私の裾を引っ張った。

「久美子ちゃんたちの順番来たみたい。次、私たちだね」

「舞子さんたち、また家で!」

 手を振ると、久美子と舞子さんも手を振り返した。

「うん、故千代さん!」「故千代ちゃん、また後でね」

 二人は笑顔でそう答えた。笑顔に何故か、違和感と既視感を覚える。もうすぐわたしたちに番が回ってくる。そして数秒後、既に順番は回ってきていた。もうあの家族はそこにいない。わたしは足を踏み出し、水屋さんに声を掛けようとした。しかし水屋さんのお疲れな表情に目が潤み、口が咄嗟に閉じてしまう。口を閉じてしまった理由はそれだけじゃない。水屋さんの瞳孔はあの家族を凝視していたのだった。久美子ちゃんと舞子さんの背中を、ずっと目で追い続けていた。

「ねえ久美子。神様を信じなさいってあれだけ言っているのに」

「わかってる」

「なにもわかっていないじゃない。皆で神様に祈れば、いつか神様がこの村を助けに来てくれる。そうすればこの村に水が流れて、天国のお父さんが喜んでくれる。元々の長屋が燃えて、故千代さんとこの長屋に移り住んでから、一層そう思い始めたの。これも全部故千代さんのおかげ」

「……………………お母さん…………」

「私がお父さんを殺したも同然なのよ。神様に助けてほしいって願わなかった罰が、私たち家族に降り注いだの」

「……………………」

「久美子、お願い。手を合わせて、天に祈って……神様、この村を助けてくださいってお願いするの。そしたら……」

 舞子が言い終わる前に、久美子は首を横に振る。揺れる波が一度激しさを増し、腕をつかもうと引き寄せる。

「やめてお母さん!」

「あ、久美子!……」

 手桶から水がこぼれた瞬間。久美子は手を振り払い、人混みの中へと逃げ去っていく。水屋に並ぶ行列のせいで我が子を見失い、目を血走せて人を搔き分ける。搔き分ける度心がざわつき、久美子の居なくなった世界線を想像してしまう。嫌だ、嫌だ、嫌だ。心の中で唱えるたび、大切な人は遠ざかっていった。


 

 長屋へと戻るころには雪が降ってきていた。長屋に入る直前、華ちゃんの髪の毛を整える。わたしたちは特に華美な髪形をしていない。わたしは吹き前髪と呼ばれる髪型で、華ちゃんはおかっぱ頭。扉を開けると同じ屋根で暮らすみんなが出迎えてきてくれた。

「おお戻ったかい、故千代さん。それに華ちゃん」

「ただいま」「ただいまです!」

 わたしの発言の後に華ちゃんが続く。置き場所に水の入った手桶を置いて子供たちのほうを見ると、嬉しそうに早速あの本を開き始めていた。わたしはそれを咎めた。

「皆さん、絶景を眺めるのは後回し。御飯の手伝いしよ」

「いいよ故千代お姉ちゃん、手伝ってあげちゃいます!」

「ごめん、いつも甘えて。じゃあ皆さん、今日は寒くなりそうですから鍋にでもしましょ……えっと、舞子さんたちは?」

 辺りを見渡した時だった。ものすごい勢いで長屋の扉が開き、息を切らした舞子さんがわたしたちの部屋を見渡した。部屋を確認した後、息を整える間もなくわたしに声を掛ける。

「故千代さん、私の久美子がどこにいったか知りません?」

「久美子ちゃんは、帰ってきていないですね」

「そんな……」

「取り敢えず深呼吸して……」

 熱っぽく、落ち着きのない目が事の重大さを物語っている。わたしは後ろに振り返り仲間たちの表情を確認した後、舞子さんをみつめた。

「あの後、なにかあったんですか?」

「……あなたのように、神様を信じなさい。と𠮟ったんです。そうしたら、急に私から逃げ出したんです」

「先ずは見つけ出しましょう。みんなと一緒に」

 舞子さんの表情が一瞬柔らかくなる。でも外から流れ込む冷気に触れるたび、緊張感が増していく。久美子ちゃんはどこに行ってしまったのだろう。一刻の猶予はない、看過することは絶対にできない。季節にそぐわない汗が額から流れる。声を掛けようと後ろを振り向くと、子供たちの悲しそうな表情が瞬時に飛び込んできた。

「どこかに行っちゃうの、故千代お姉ちゃん。一緒に行ってもいい?」

「危険だからお留守番」

 わたしの発言にみんなの口角が下がる。やんわりと近づいて、手を握った。

「大丈夫、みんなの気持ちは伝わっている。久美子ちゃんは絶対に帰ってくる」

 自分に言い聞かせた後、長屋のみんなに振り向く。ここからは役割分担、子供たちを見守る係と久美子ちゃんを捜索する係。捜索隊の集合場所、久美子ちゃんを発見した際の報告役。かなり人数が必要、でもこれは村の一大事。村一丸となって捜索しなければならない。

「皆さん、今から話す事を村のみんなにお伝え願います」

「はい!」

 その仲間の返事がわたしの心に染み渡る。伝えなければいけないことを伝えたのち、拭い切れない焦燥感を隠しながら送り出す。外に出るみんなへ舞子さんは精一杯の感謝を籠める。後にわたしも深々と頭を下げる。

「ありがとうございます。故千代をどうか……」

「こちらからもよろしくお願いします。故千代ちゃんのこと、頼みます」

 そして皆は視界から消える。舞子さんは顔を下に下げ、顔を闇に沈めていた。わたしは舞子さんの方を見ず、前を向きながら語りかける。

「わたしたちも探しに出ましょうか」

「はい、でも……あてはあるんですか」

 舞子さんは振り向く。わたしは自責に満ちる顔を止めるため、震えている手を握る。やっぱりそうなのかもしれない。笑顔の違和感、既視感の正体に気付いてしまったかもしれない。久美子ちゃんは、あの日の私だった。神様に助けを乞う幼い自分だった。わたしは昔から人に恩返しをしたい性分で、神様に頼んだことがあった。この村にお水を流してください、この村の人たちはみんないい人たちです。どうか……よろしくお願いいたします、と。

「あの巨木の下、もしかしたら……」

「あの大きな木に?どうして?だって久美子は神様の存在を信じていないのですよ」

「違いますよお母さん。久美子ちゃんも神様を信じています」

「だったら、なんで?」

「久美子ちゃんはお母さん、舞子さんを救ってあげたかったんです。神様の信じ方を、変えてあげたかったんです」

「え……………………」

 わたしは覚悟を決めると長屋の出口に手をかけ、隙間を開けた。どっと流れ込む冷気に耐えながら酸素を取り込み、村人を呼ぼうと声を張り上げる。しかし結果として大声を上げることなく、違和感に気付いた村人が先に声を掛けてくれる。村人は同じ長屋に住まう村瀬さんと長野さん、二人だった。

「他の長屋の確認は取れました?」

「はい。でも足取りは掴めません」

 目線を下に向ける村瀬さんへ、わたしは決意を固める。

「……あの大きな木に、巨木に久美子ちゃんはいるかもしれません」

「…………?」

「久美子ちゃんも、神様を信じているから。親和性の高い巨木にお願いをしているんです」

 わたしは一度舞子さんに振り返る。華ちゃんと亮吉くんは火鉢に近寄って暖をとっていた。華ちゃんはわたしに気づくと口角を上げて微笑む。そしてわたしは再度村瀬さんへと向いた。

「わたしと舞子さんは、巨木に行きます。長野さんは他の皆さんに通達を願います。村瀬さんはわたしと共に」

「いえ、危険ですよ」

 両手で制する村瀬さんだった。困り眉でわたしたちを見つめる。その状況を打開したのは舞子さん。舞子さんは近付くと震える声で言った。

「男なら!そういうことなら任せてくださいっていうんです!」

「そう。すごく勝手なお願いをしていることは分かっています。村瀬さん、長野さん、わたしの我儘、聞いてください!」

 

 降り積もる雪は足を掬われる。村瀬さんは直進し、安全を確認したのち手を伸ばす。分厚い手を握りしめて体を預ける。体は前方に引き寄せられ、髪が左右になびく。村瀬さんは舞子さんを支え、舞子さんはわたしを支える。

 久美子ちゃんは今もなお、舞子さんを神様の呪縛から解き放つために神様を待ち続けている。わたしも久美子ちゃんにそうさせてしまった一人、決して部外者じゃない。髪を整え、巨木へ急ぐ。

 あの日もトラを抱えてこの道を渡っていた。でもその時は心が悲しみに満ちていて、神様を信じなきゃいけないと一心不乱になっていた。不幸に陥るのは神様を信仰しないせい。そんな、神様に助けを被る時代はもう終わり。神様は都合の良い道具じゃない。運良く助けてくれるお助け人おたすけびとじゃない。

 ようやく見えてきた巨木の下、久美子ちゃんはそこにいた。わたしはほっと胸を撫で落とすと、舞子さんが素早い速さで我が子の元へ駆ける。わたしは舞子さんを制すと、先ずは私が行きます、と囁いた。

「久美子ちゃん!良かった、無事で!」

「こ、こちよさん?……本当にごめんなさい。お母さんは?」

「いるよ、でももう大丈夫」

 わたしがそう言うと久美子ちゃんは降り積もる雪へと顔を下げる。久美子ちゃんは巨木の真下、祈り続けていたようだ。神様という……人間の心に宿る存在を。

「お母さんを助けてあげたいんだよね、私もそうだった。この村を助けてあげないとって思うばかりに、神様に幸せを願ってた」

「でも全然姿をあらわしてくれないよ。よっぽどこの村嫌いなのかな」

「違う、好きだと思うよ」

「じゃあ、なんで現れてくれないの?」

 首を傾げる久美子ちゃんに、わたしは顔の位置を合わせた。

「神様はきっと、久美子ちゃん自身の力でお母さんを助けてあげて欲しいって。そう願っている」

「できないよそんなこと」

「そう?だったらあの時、神様なんていないよ、って言ったのは?あの発言、すごく勇気がないとできない」

「…………」

「自分の気持ち、お母さんに言ってあげて」

「………………うん」

 立ち上がり、しっかりとした足取りでわたしの手を掴む。巨木から距離が離れ、次第に夕焼けが顔にかかる。村瀬さんが手を振る中、わたしは舞子さんに、おーい、と呼び掛ける。舞子さんは即座に駆け寄り、勢い良く久美子ちゃんに抱き着いた。

「心配したんだから!ほんと、ほんと、ほんとに久美子がいなくなったら私」

 子は母から様々な事を学ぶもの。でも時には、子から学べることだってある。

「お母さん、本当にごめんなさい。お母さんを励ましてあげたくて。神様に会えたら、昔のお母さんに戻ってくれるかな……って、思っていたら、自然にここについたの」

 わたしは二人から離れ、話し声が聞こえない位置にまで遠ざかり村瀬さんと合流。わたしは村瀬さんに頭を深く下げ、謝罪を述べる。

「ほんと、甘えたこと言ってしまって……ごめんなさい。反省してます、凄く、凄く、感謝してもしきれません。償わせてください、お願いします!」

「いや、そんな」

「これはわたしの問題……そうです、文を書かせてください」

「そんな!言葉だけで気持ちは十分受け取りました」

「十分じゃ弱いです。もっと、沢山……」

「故千代さん、感謝されるのはこちら側です」「故千代さんありがとう」

 透き通った久美子ちゃんと舞子さんの声。わたしは顔を綻ばせ、より親密となった家族に振り返る。

「良かった。本当に良かった。久美子ちゃんが無事で」

「ごめんなさい、わたし……神様に助けを願ってた。お父さんが亡くなって、お母さんがお母さんじゃなくなってる気がして」

 涙を貯める久美子ちゃんに、舞子さんが抱きつく。わたしは後ろを向き、巨木にお別れを告げる。

「神様は信じるだけじゃいけない。努力して、善い行いをして、そしたらいつか、心の中の神様が応えてくれる」

「故千代さんはもう既に分かっていたのですね。神様はどうあるべき存在なのかを」

「全然、村瀬さん。今ようやくわかったんです。無意識に思っていたことが、ようやく言葉として完成したんです……それじゃあ皆さん、帰りましょうか」

 背後を振り返る瞬間、大きな風の音が耳を切り裂く。心臓が大きく揺れ、わたしは咄嗟に久美子ちゃんと舞子さんに駆け出した。

「伏せて!」

 風のせいで巨木に積もる雪が、雪欠となって落ちてくる。白魔が二人を襲う。間に合わない、わたしのせいで怪我とかさせたくない。決死の思いで覆いかぶさろうとしたとき、何かが白魔を粉々に粉砕した。

「え……」

 妙な威圧感がこちらを包み込む。獰猛な獣のような、神聖な神のような。どちらとも言い難い感覚に、わたしは恐る恐る振り向いた。そこには……四足歩行、白と黒の毛並み、一言で表すのなら……白い虎。白銀の世界、ふさふさな毛並みに覆われた動物がそこにはいた。そしてその動物は、わたしにしか見えていないようだった。

 白虎は向こうへと振り向くと、雄たけびを上げて空高く飛び上がった。

「ありがとうございます。故千代さん、お怪我は?」

 舞子さんの声が耳元近くで聞こえ、手を離す。

「大丈夫です。舞子さんは?」「私も無事です」

 わたしは飛んで行った方向を見つめ、独り言をこぼした。

「トラ?」

 確証はどこにもない。それにトラであろうと、わたしのするべき事は変わらない。人に感謝して、恩返しして、そういう人であり続けたい。わたしの心から悲しみは消え、暖かい気持ちになった。振り返り、わたしはみんなを見る。

「じゃあ皆さん、今日は寒くなりそうですから鍋にでもしましょうか!」

 

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