グッドエンド
明日、彼女が天国から帰ってくる。報せを聞いたとき、私は目から随喜の涙を流した。つい口元がほころび、張り付いたままだった偽物の笑顔が自然に剥がれた。
そうなれば、シンクに零れたアルコール、台所にかさばる瓶や缶、その他諸々の類を片付けなくてはならない。私は早速行動に移し始める。燃えるゴミ袋に多大な量の空き缶を放り込み、些少液体が入っている物はシンクに流した後捨てる。
ゴミ袋が妙に甘い、液体を捨て忘れていただろうか。私はゴミ袋を床に置き、冷凍庫から冷凍食品を取り出した。塗炭(とたん)の苦しみを味わった私にとって、小さな容器に入ったライスでさえ幸せを感じる。私はその【幸せ】を電子レンジに入れ、表記通りの温度と時間で加熱する。
別に私は技術が優れているわけでも、他人に比べて劣る部分もない。ただ私は、どんな人よりも辛い経験をした。私がまだ幼い頃、母と父は宗教の沼にはまりやがて自殺した。一人取り残された私は祖父母に引き取られたが、宗教のいざこざに巻き込まれ一年半後変死した。そして私は見事災いを呼ぶ悪魔の子と囁かれ、人から距離を取られる毎日が続くようになった。
彼女が私の前に現れる前までは。
私は忘れかけていた【幸せ】を頂いたあと、【幸せ】がなくなり空になったトレイをシンクで洗い流しゴミ袋に入れる。
私は振り返り、床面に広がる用紙を視認した。彼女が来るまでに片付けなくてはならない。しかしゴミ袋の枚数が足りないことに気づく。私は玄関の靴箱の上、置きっぱなしにしている財布を手に取り、コートを着る。ドアノブを回すと、金属が軋む耳障りな音とともにドアが開かれた。フードを深く被り、近くのコンビニまで直進する。
人にこの悪魔の姿を見られないようにするため、私に外の情景を語る余裕は微塵もなかった。強いて言うなら、昨日の暴風雨の名残りがいたるところで私の行く先を妨害していた。石坂を歩き、赤土の勾配した斜面を下る。やがて姿を現した私の目的地は、昼間なのに電気を明々と付けていた。中に入りゴミ袋の大を見つける。手に取ろうとしたが、プラ袋の外装が指を滑らせて私の手は虚空を掴んでしまった。少しだけ不機嫌になり、袋にシワができるほど強く掴んでグッと引き寄せる。後は買って戻るだけだ。そう意気込んでいた私の脳内にとある環境音が響き渡る。
昨日嫌というほど聞いた雨音。聞き間違いかと外をみたが、全く私の耳はおかしくなく、今度は目を疑うはめになった。先程まで太陽が出ていた道路には、途轍もない豪雨が地に降り注いでおり、私の帰り道を阻んでいたのだ。マジックのように一瞬にして変わり果てた天候に、私の心も曇り空へと変わり果てていった。
-2-
気分は憂鬱そのものだった。私の衣服はずぶ濡れになり、髪は風呂上がりのように濡れている。明日彼女と久し振りに会うというのに、どうしてこんな気持ちにさせるのだろうか。鬱憤を晴らす気にもなれず、先ず雨の汚れを流すために私は風呂に入る。扉をガラッと開ければ、最初目に着くのは空のコップに入った彼女の歯ブラシと歯磨き粉だった。私の歯ブラシも一緒のコップの中に入っている。その時、私は初めて心に緊張が走った。天国から一時的に戻ってくる彼女にどんな顔をすればいいのだろうか。
言いたい台詞は沢山ある。
「なんで俺より先に死んでしまったの」
「天国に戻らず、ずっと一緒にいてくれ」
でもそんなこと言えるわけがなかった。私は目の周りが強張って瞬きを何度も繰り返した。瞼の裏に書かれた恐怖という文字が私を支配していく。恐怖、恐怖、恐怖。私の視界が暗転していく度、脳裏に刻まれる恐怖という言葉。遂に私は恐怖に耐えきれず風呂から飛び出した。フローリングを濡らしながら、コンビニで買ったゴミ袋の外装を引き千切る。まず床に散らばった宗教の紙を片付けるところからだ。他の事は全部後回しでいい。私はゴミ袋を広げ、片っ端から紙をその中に放り込んだ。彼女と約束したことを思い出した。宗教なんてものにはもう二度と関わらないと。こんな惨状を彼女に目撃されれば、どうなることだろう。考えたくもなかった。私はただ一心不乱に、紙を捨て続けていた。
全て片付けたとき、時計をみたら午後十一時。私の買ったゴミ袋十枚のうち四枚は紙に埋め尽くされている。ゴミをすぐに捨てに行き、歯磨きをして毛布に包まった。私の心は穏やかになっていた。もういつ彼女が帰ってきてもいい。しかし緊張のせいか私は眠りに眠れず、アルコールを飲み強制的に眠りについた。
−3−
早くもその時は訪れた。その夢にまで見ていた光景が現実のものとなる瞬間を。私は心臓の鼓動の高鳴りを抑えながら玄関の穴を覗き込む。そして映り込む彼女の姿に、思わず会心の笑みを漏らした。私は自然に口角があがり、迷うことなくその扉を開けて、彼女と四年ぶりの対面に望んだ。
四年前と全く変わらない彼女の服装。時代が大きく隔たってしまった感じが禁じ得ないが、仕方はない。長いこと天界に住んでいたのだから、最近のファッションに疎いのだろう。しかし私は掛け構いなく、彼女の手を引っ張って居間に連れ込んだ。話したかった事がみるみる空気に触れていき、隠すつもりだった事まで話してしまう。ふと気付けば空は赤く、秋の夕暮れが始まってしまっている。こんなにも時間が溶けるのはいつぶりだろう。私は時間の流れを呪いながら窓から彼女へと視線を移動させた。すると驚愕の光景が私をまっていた。彼女は髪を鷲掴みにし、頭を抱え込んでいる。のどが締め付けられ、周囲がボンヤリ霞んでみえる。文字を書くことすらママナラナイ。ふらふら す、頭が痛。うなだれてぽかんと朽ちを開。
速報のニュースをお伝えします。富山県富山市の真山アパートの二階にて男性の首吊り遺体が発見されました。居間には宗教関連の用紙が多数確認、原稿用紙三枚が確認されており、宗教に溺れ自殺を図ったとみて警察は身辺調査を行っており、同時に自殺教唆の線でも捜査を進めています。
私等は亡くなった方へ会いに行く唯一の方法を知っています。それは死です。会いに行きたければ、死を選択することを強くオススメします。そもそも我々生物は死に抗うことができません。【死】は絶対であり、【死】は確実。
そこの貴方、愛する人が亡くなって心が痛んではいませんか。そんな長い痛みに耐えるぐらいなら、死のほうが余程合理的だと思いませんか。
最初から天国に旅立たれるのも歓迎致しますが、まずは天国から亡くなった人を呼び寄せるというのはどうでしょう?
私たちにはそんな夢のようなことができます。
少しでもいいなと思えば、迷う暇はありません。まずは下の電話番号から私たちにご連絡ください。
精一杯お手伝いいたします。
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