恋患い治療法




 風に雨が交じり、雨は風に重なる。雨は人を隔て、家という牢屋に閉じ込める。風は意思を持ち、人を隔てる。

なんて罪な天候なのだろうか。私は毛布に包まって、返信の来ないラインをぼーっと見ている。こんなにも雨が強いのはいつぶりだろう。お陰で頭が痛い。

だから、何をする気も起きない。

時計の針が動いたとき、風が強くなって雨がガラスにたたきつけられる。その衝撃は、忘れようとしていた彼を呼び起こした。

「俺ら、別れよっか」

彼は私を特別にしてくれていた訳ではなかった。いや、厳密にはしていたのかもしれない。でもそれは永遠ではなかった。三ヶ月という短すぎる期間だけだった。彼を思い出すたび、熱が出る。頭が痛くなって、寝たきりになる。友達に症状を話すと「それは恋患いだ」と言って笑っていた。

 


 この町では「失恋」のことを「恋患い」という。私が罹患したのは一昨日、彼が別れ話を切り出したときからだった。口頭ではなくて文章で告げられた別れ文句に、私の心は引き裂かれた。その切り傷に、大量のウイルスが侵入して私は「恋患い」になった。かさぶたができるまでの間、症状は悪くなっていくのだろう。

予防する手立てはなかったのか、私は考えた。

 三か月前。私の方から告白した。快晴の昼下がり、彼は高校の制服らしい紺のブレザーを着て、私と横並びで歩いていた。繰り出した告白に、彼は「こちらこそ、宜しくお願い致します」と丁寧に頭を下げた。私は少し怖かった。周りが見えなくなって、その人のことしか考えられなくなる私が怖かった。でも後日、きづいたら私は彼に染まっていた。そんなバカみたいな不安は、最初からなかったかのように。彼は「どうしたの?」と笑ってごまかしていたけれど、内心彼は凄く驚いていたのを私は知っている。

それから私も彼に尽くしたし、彼も私に尽くしたと思う。もしかしたら私が勝手に思っていただけかもしれない。

だとすると、ほどなくして彼のラインの返信の頻度が激減したのも頷ける。もしかしたらその頃から薄々きずいていたのかもしれない。彼の気持ちが離れていってるのを。下の名前でよばれなくなったのも。だけど私は、全部を見て見ぬふりした。原因を作らなければ、永遠に関係はつづくと思った。

しかし、現実は非情だった。彼は別れを告げて、私に病気を与えた。

彼を思い出す度に心臓がすり減っていく。左心房の辺りがズキッと痛む。この病は症状のでる器官が多すぎる。脳、腸、胃、心臓。更に倦怠感を引き起こして頭も痛くなる。

私は彼の画像とラインを繰り返し眺める。朝から見続けているため、スマホのバッテリーの減りが速くもう82パーセント。彼との関係が戻ることなんてないのに、今度はトーク履歴を上下にスライドさせている。症状が加速するだけだというのに、私の指は止まることを知らない。次に、彼とのツーショットを開いては、その写真を拡大したり縮小したりする。

やっぱり、予防する手立てなんてないことを知った。

私はとうとう泣き出した。

それに吊られたのか、カーテンの外でまた雨が荒々しく降りだす。それはまるで、私と曇の感情が共有しているようだった。行き場の失った思いを仕方なく地面にぶつけ、人を迷惑にさせる。

私と同じ。他人を困らせてしまうこの重みは何処にぶつければいいのだろう。

私は重い頭を抱えて考えた。恋患いを「治癒」することが不可能なら「自癒」することは可能なのか。

私なりに治療法を編み出そうとしてみた。



「0・2」



 友達に電話をかけてみる。


それが治療に繋がると勘づいた私は、友達に電話をかけた。友達の智子は直ぐにでてくれた。

「どーしたん?」

声を聴いて、私はまた涙を流した。それほどまでに私は、人の声が恋しくなっていたようだった。部屋のベッドに寝ころんで、私はビデオ通話をオンにする。

経緯を話すと、智子は彼に怒った。予測どおりの反応に私は鼻をすする。泣いてるの?と私に言う。

その優しさに、私の心の中の黒い靄が少しずつ晴れていく。でも、通話を切った瞬間、再び黒い靄が私を覆いつくした。雨が豪雨に変化し、窓が揺れだす。治癒は失敗に終わった。彼のラインを再び開いてしまう。目に飛び込んできた文字に、私の目尻が熱くなる。遠くで、雲がかすれる音が鳴り、地に落雷が落ちる。

私はヘッドフォンを装着して、外部の聴覚情報をシャットダウンした。耳が機器に包まれ、空間が音に支配される。今聞いているのは、彼の嫌いだった音楽。甘くて切ない音が、矢のように鼓膜に突き刺さる。「君は画面だけの人」そんなワンフレーズが聞こえ、無意識にスマートフォンに手を伸ばす。

そこでは2Ⅾの彼が私に笑いかけていた。その横には幸せそうな私がいて、彼に微笑んでいる。そんな私に嫌気がさした。まるで別人のような自分が、幸せだった空間に取り残されている。画像の中の私はいつまでたっても、好きだった彼を好きでいられている。彼は優しかった。君は素敵だった。そんな君が好きだった。

簡単に、さよなら、なんて私は言えなかった。




一頻り降ったあとの雨は、力尽きたように勢いを無くしていく。最後の悪足搔きか、一瞬だけ勢いを取り戻し、雨は消えていく。

代わりに雲の隙間からひょっこりと顔を出した太陽が、カーテンの隙間から入り私の顔を照らす。眩しさに顔をゆがめてベッドから起き上がる。そして私は、彼のトーク履歴を付けたまま、スマートフォンをポケットに入れて家を出た。

外にはまだ雨の匂いが残っていた。私は水溜りを避けながら、虹がよく見える高台まで赴いた。半透明の雫が跡形もなく消えていく様。長靴をはいた子供達。それらを見ながらコンビニを横切る。

高台に着いた私は、虹の全貌を写真に収めた。心が洗われる感覚がした。

だから今しかないと思った。私は、意を決した。

「さよなら」

私は彼のトーク履歴を開いて、もう一度最後の文面を見返した。

「さよなら、過去の私」



 私は、彼のラインをブロックして、同時にライン友達から削除した。

これが私なりの「恋患い治療法」。荒治療にはなるけども、私にはこれしかないと思った。

何時までも彼のことを引きずるわけにはいかない。女々しい気持ちは捨てる。

でも、ポツンポツンと再び降り出した雨に、私はさみしく微笑んだ。




 

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