第31話 武藤象二郎
武藤さんの家の中に招かれた。
古風なその家は、外からみた印象通り木造で歴史のありそうな内装をしていた。庭に面した縁側の廊下へと通され、大きな部屋につく。
そこは打って変わって洋風の部屋で、大きなテーブルと大きなソファが置かれた客間になっていた。
「垣崎さん、和臣くん、どうぞそこへ。いま店屋物ですが食事を頼ませたので、それでも食べながら話を聞こうじゃないか」
俺は言われるがままソファに座る。
武藤さんは和音ちゃんを垣崎さんの隣に座らせて、最後に自身もソファに座った。
「わーちゃん、レオンと仲良くなっていたみたいだねぇ」
和音ちゃんは言葉で答えず、こくん、と頷く。
犬と遊んでいたときは明るく見えたのに、今の和音ちゃんは自分の境遇を思い出したかのように沈んでいた。
武藤さんはそんな和音ちゃんに優しく微笑む。
優しくない声を出したのは、垣崎さんだ。
「あら和音ちゃん、しっかりお答えしないと。なんですその態度は」
「いや、いいのです垣崎さん。気にされてしまうとこちらが困ってしまう」
「でも武藤さん? 私が思うに――」
「垣崎さん」
少し硬めの声で、武藤さん。
「いいんですよ本当に。もうおやめください」
「そうですかぁ? まあ武藤さんがそうおっしゃられるなら……」
引き下がりながらも、垣崎さんはなにか不満そうにブツブツ言っている。
武藤さんは、和音ちゃんに向き直った。
「わーちゃん、よかったらウチの琴美さんと一緒にレオンと遊んでいるかい? おじちゃんたち、これからちょっとお話があるから」
「それは、わーちゃんのおはなしですよね?」
「ん……、まあね」
「ならのこります。わーちゃんのことですから」
「そうか」
武藤さんは困ったように頭を掻きつつ笑い、俺の顔を見た。
「ということだけど、和臣くんは良いかな?」
「はい」
「そうか。それじゃあ話を聞いていこうか」
促され、俺は頷いた。
目立たぬように、大きく息を吸い込んで深呼吸。よし始めよう。
「さっき言った通り、俺は和音ちゃんを連れ帰りにきました」
「ふむ」
「養子縁組の話を、なかったことにして欲しいと思っています」
垣崎さんの両目がつり上がる。
「なに言い出してるのかしらこの子!? そんなこと、できるわけないじゃない。ここまで話をまとめるのに、どれだけの時間を私が掛けたと思ってるのよ!」
「垣崎さん、まあ落ち着いて」
冷静に垣崎さんを制して、武藤さんがこちらを見る。
「続きをどうぞ、和臣くん」
俺は続けた。
まずは自分の立場を告げる。隣に住んでいて、同じ学校のクラスメイト、バイト仲間。高嶺姉妹とは仲良くさせてもらっていて、よく一緒に食事もしている間柄だ、と。
自分の口から他人に言うのは少し恥ずかしいが、これは必要な情報だ。
俺がどれだけ和音ちゃんと仲良くしていたかを知ってもらわないと、話にならない。
「つまり和音ちゃんの気持ちも、よくわかってる自分である、と」
「はい。ここから口幅ったいことを言っていきますが、ご容赦ください」
俺は続ける。
高嶺さんと和音ちゃんが、どれだけお互いを想いあっているかということ。
ここに和音ちゃんが居るのも、きっとお姉さんの高嶺さんを想ってのことだろう、と。
本心では和音ちゃんは、高嶺さんと一緒に居たいはずなのだと。
「カズオミお兄ちゃん、違いますわーちゃんは――」
「大丈夫だから和音ちゃん。約束しただろ? まだ動物園も、水族館も、遊園地も、俺たちは行ってない。ああそうだ、プールも一緒に行くって言ってたよね、これだけは残暑のうちに行きたいよなぁ。あはは」
「わーちゃんは……」
俯く和音ちゃん。今の俺は、この子の顔を上げてやることすらできない。
俺は言葉を続けた。
「瑞希さんも、和音ちゃんとの暮らしを続けるためにアルバイトをして頑張っています」
アルバイトをする上で、重度の人見知りな高嶺さんがどれだけ頑張ったか。
頑張って変わってろうとした高嶺さんを、俺や和音ちゃんがどう応援してきて、どう好転してきたか。結果、姉妹に笑顔が溢れてきたところなのだと、懇々と話し続けた。
「そうやって互いを支え合ってきたんです」
「やぁねぇ、結局言いたいことはボクたちのオママゴトを続けさせてください、ってことかしら?」
「ちが……っ! 二人は、俺たちはママゴトなんかで一緒に居たわけじゃない……!」
「あらそう。で、仮にそうだとして、本当に貴方以外の方も、それを続けたいと思っているのかしら?」
垣崎さんは細めた目で笑うと、和音ちゃんの方を見る。
「ねえ和音ちゃん、貴女はどうしたいの? ね、言ってごらんなさい? この子に言って聞かせてあげて頂戴」
「わーちゃんは……」
俯いていた和音ちゃんが、顔を上げた。
「わーちゃんは、ようしになりますカズオミお兄ちゃん」
「ほら! 聞いた!? ねえ聞いたかしら!? 和音ちゃん、養子になってどうするの!?」
「小学校にいきます。お姉ちゃんも、大学校にいきます。わーちゃんたちは、それでしあわせです」
笑顔で言う。
俺は思わず拳を握った。
「おほほほほ! わかったかしら? それがこの子の幸せなのよボクちゃん。おわかりになったらさっさとこの家から――」
「垣崎さん!」
鋭い声を上げたのは俺じゃない。武藤さんだった。
垣崎さんは挙動不審に身をすくませ、
「は、はい!?」
「いま、あちらで琴美さんが呼んでいたようです。申し訳ありませんが様子を見てきてくださいませんか」
「あらやだ、なにかしら」
そう言い残して客間を出ていく。
……危なかった。俺は自分の握り込んだ拳を見て思った。
もう少しで殴りつけるところだった。暴力的な衝動が、込み上げていた。あああ。
「ひっく、うっく」
和音ちゃんが泣いている。泣かせてしまった。
俺のせいだ、俺が和音ちゃんを守れなかったせいだ。俺に力がないせいだ。
俺は和音ちゃんの隣に座り直した。
「ごめん和音ちゃん、ごめん」
謝って、肩に手を置く。
和音ちゃんは声を殺して泣き続けた。
「ごむようですから、しんぱいごむようですから」
「うん」
俺は力なく答えた。
武藤さんが疲れた顔で言う。
「……今日の垣崎さんはおかしい。どうもキミが居ることで変になっているような気もするんだが、垣崎さんとなにかあったのかな?」
「実は」
俺はこれまでの経緯を話した。
俺が垣崎さんに逆らい、憎まれていること。それで学校に謂れのない通報をされたこと。
昨日の時子さんが言っていた不正のこと。高嶺姉妹の両親の遺産を使い潰していること。
武藤さんが呆れた顔をした。
「それが本当なら、犯罪じゃあないか」
「そうです、この斡旋もその一環ですよ。武藤さんを接待したい者がいます、最近なにか不動産絡みの取引などありませんでしたか?」
武藤さんがハッとした顔をする。
どうやらなにか心当たりがあるようだった。
「ハナから泥だらけなんです。今回の養子紹介は」
「……そう、らしいね」
武藤さんが、ふう、と息を吐いた。
「垣崎さんの件はあとで正そう。話を戻すよ?」
「わかりました」
「キミの主張はわかったよ、和臣くん。だけど、その上で私は言わせて貰おうと思う。和音ちゃんがウチの子になってくれるのが良いだろう、と」
「武藤さん……!」
「聞いてほしい」
武藤さんは語った。
和音ちゃんが『誰かに言い聞かせられて』ここに来たことなどすぐわかった、と。当然彼女が自分たちに心を開いてくれていないことも理解している、と。
「だがきっと、この話は和音ちゃんの為になる。もちろん、瑞希さんの為にも」
武藤さんはそう信じていると言った。
和音ちゃんもいずれわかってくれる、と確信している顔でそう言った。
眩しい顔だった。力強い顔だった。大人の顔だった。
自信に満ちた顔だった。
今の俺には、とても真似できない顔だった。だけど。
「武藤さん、お願いします! 和音ちゃんを高嶺さんの元から奪わないでください、俺にできることならなんでもします! だから――!」
俺は立ち上がり、頭を下げた。懇願した。
和音ちゃんが、俺の隣で心配そうな顔を向けてくる。
ああ、俺はまた、和音ちゃんにそんな顔をさせてしまっている。俺は、どうにも未熟だ。
武藤さんが首を振る。
「ダメだ和臣くん、キミには覚悟が足りない。そんなキミの言葉をこれ以上聞くことはできない」
「かく……ご?」
「さっきキミは恥ずかしがっていたね。自分と瑞希さんの関係を語るときのことだよ」
覚えがあった。
俺はこんな場面なのに、他人にその話をするのが恥ずかしくなってしまった。
なぜだろうか。
「なぜだろう? って顔をしてるね。わかるかな、しょせんキミはまだ他人なんだ、繋がりがその程度なんだ」
「ちが……っ!」
「違うと言い切れるかい? わかってるはずだがね。キミには覚悟が足りない、全然足りてない。なんにも足りてない。身内ですらもなく、覚悟すらない男に、どうして縁があった幼子の将来を託せようか」
「俺は……! 俺は……!」
言葉が出ない。
心のどこかで、武藤さんの言を認めてしまっている自分がいた。ああ。ダメだ、負けてしまう。心が負けてしまう!
「ちがいます! ちがうんです!」
そのとき、横で和音ちゃんが立ち上がった。
「カズオミお兄ちゃんはすごいんです! なんでもできます! いつでもお姉ちゃんとわーちゃんのことを考えてくれてます!」
「ふむ?」
「だから、カズオミお兄ちゃんはまけません! おじちゃんにもまけません!」
和音ちゃんが、俺の方を見た。
「そうですよね、カズオミお兄ちゃん!」
と、すがるような目で俺を見た。――あれ?
なんだろう、力が湧いてくる。さっきまでの負け気分が、嘘のようだった。
俺はなにを弱気になってたのだろう。
俺と高嶺さんのことを話すだなんて、恥ずかしがって当然じゃないか、なにせ俺は男子高校生なんだから!
「ああ、そうだ。そうだよ和音ちゃん、俺は負けない……!」
「よく言った、和臣」
突如部屋に響く、女性の声。
「和音ちゃんにそこまで応援されてんだ、見せろよ、意地を」
「天堂くん! わーちゃん!」
いつの間にいたのか、時子さんと高嶺さんがそこにいた。
「お姉ちゃん!」
和音ちゃんが明るい声を上げた。飛び上がって、高嶺さんの方へと駆けていく。
「時子くん? どうしてこんなところに」
「勝手知ったる師匠の家ってね。昔からあたしゃ、断りもなく入ってはオヤツを盗み食いしていたでしょうが」
「ははは、懐かしいね。――で?」
突然の訪問者に驚いた様子もなく、武藤さんは促した。
時子さんが片目をつむって見せた。
「そいつ、和臣はあたしの弟子なんです、剣道のね。つまり師匠の孫弟子ですよ」
「ほう、そうだったのか」
「あんがい根性、入ってますよ?」
高嶺さんとわーちゃんが、俺の方へと寄ってくる。
「天堂くん。わーちゃんが見せて欲しいって。天堂くんが負けないところを、見せて欲しいって。そうしたら、わーちゃんは――」
「おじちゃんにカズオミお兄ちゃんのすごさ! わからせてあげます!」
「私にも、わからせて。天堂くん!」
俺は笑った。ああ、できる、と笑った。
この綺麗な姉妹に期待されて、応えないやつなんていないに決まってる。
「高嶺さ……あ、いや」
俺は目を見た。彼女の目を、真っ直ぐに見た。
「瑞希さん、応援してくれますか、俺を」
瑞希さんは一瞬驚いた顔をして、すぐに笑う。
「はい! いつも! いつだって!」
言いながら、祈るように胸の前で手を合わせた。
俺は力強くうなづき、武藤さんの方を見る。
「武藤さん、俺は覚悟を決めます」
「ほう?」
「俺と、剣道で勝負してくれませんか。もし俺が勝ったら、和音ちゃんを諦めてください」
「剣道……?」
武藤さんが、チラと時子さんの方を見る。
時子さんは腕を組みながら、
「あんがい根性入ってるっていったでしょう? なにせあたしの弟子だ」
ニヒヒ、と笑う時子さん。俺は続けた。
「なんならこれは喧嘩です。俺は武藤さんに喧嘩を仕掛けていますよ」
「なるほど、剣道ではなく喧嘩なんだね」
武藤さんはソファーから立ち上がった。
「わかったそれでキミの気が済むなら付き合うよ。でも負けたら、もう話は終わりだよ?」
「ええ、わかっています!」
武藤さんと俺の、和音ちゃんを賭けた戦いが始まろうとしていた。
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