第14話 プールの練習

『天堂くん、いますか?』


 ポコンとスマホにメッセージ。高嶺さんからだった。

 俺は返事を返す。


『いますよ。なんか用かな?』

『今、わーちゃんとプールの練習をしようって言ってたんですけど』


 ポコン。


『天堂くんが一緒じゃなきゃイヤだ、ってグズっちゃって』


 ポコン。


『もしよかったらなんですけど、手伝って貰えないかなって』


 プールの練習。

 そうかもうそんな季節だ。今は七月、まだ蝉こそ鳴き始めていないけど、そろそろ暑くなってきている。

 どこのプールで練習するのかな。去年の海パンがまだ穿けるといいんだけど。


 了解、と俺は返事をした。

 準備できたら部屋に来て欲しいと言われたので、スイミングバッグにプールの用意を詰め込み部屋を出た俺は、隣りである高嶺さんのウチのインターホンを鳴らした。


『ちょっと待っててね、いま開けますから』


 そう返事をされてしばらく待つと、ガチャリ、中からドアが開かれる。


「ごめんね天堂くん、急にお願いしちゃって」

「うわはっ!?」


 俺が思わず声を上げてしまったのには理由がある。

 そこに姿を現したのは、ワンピースの花柄水着を着た高嶺さんだったのだ。



 ◇◆◇◆



「ビックリしたよ。突然水着姿なんだもの」

「改めてそう言われちゃうと、なんだか恥ずかしくなっちゃう」


 顔を赤らめて頬に手を当てる高嶺さん。

 水色基調の地に、白い花柄が映えるデザインの水着が目に毒だ。


「プールに行くんじゃなかったんだね」

「うん。今日はお風呂場をプールに見立てて練習なの」

「……和音ちゃんの練習なら、俺たちまで水着になる必要なかったんじゃない?」


 俺も奥の部屋を借りてトランクスの水着を穿いてきた。

 部屋の中で俺と高嶺さんは水着姿、強烈な違和感を覚えながらもお風呂場へと向かう。


「わーちゃんがね、一緒じゃないとやらないってうるさいの」

「和音ちゃん、プール嫌いなの?」

「むしろ好きだったんですけど……、なんか保育園でお友達にバカにされたらしくって」

「そっかぁ」


 脱衣所からお風呂場に入ると、和音ちゃんが少なめに水を張った湯舟の中にいた。

 水に顔をつけて、ぶくぶくしている。


「練習中。天堂くんが来るっていったら、頑張るって言って」

「それは光栄」


 なにかのモチベーションになるなら幸いだ。

 俺は和音ちゃんが水から顔を上げるのを待って、挨拶をした。


「頑張ってるみたいだね、和音ちゃん」

「カズオミお兄ちゃん!」


 バシャア、と水飛沫を上げながら立ち上がる和音ちゃん。和音ちゃんはワンピース、水色のパステルカラーが可愛い。

 和音ちゃんが湯舟から出てきて俺の腰に抱きつく。


「なんの練習をしてるのかな? 和音ちゃん」

「お水の中でおめめ開けるれんしゅうー」


 和音ちゃんが俺に抱きつきながら言う。

 高嶺さんがそっと耳打ちしてきた。


(それが出来なくて、からかわれたらしいんです)

(なるほどな)


 小声でひそひそとやる取りする俺たち。

 そういえば俺も小さい頃は水が苦手だったっけ。水の中で目を開けられるようになったのって、小学生になってからな気がするぞ。


「和音ちゃんの歳なら、まだできなくても問題ない気が」

「でもみんなわらってたー」


 笑ってた子の中にも出来ない子は混ざってたんじゃないか、そんなことを思ったものの、言っても詮無いことなのでやめた。笑われたという事実は、和音ちゃんの中で覆るまい。


「カズオミお兄ちゃん、おめめ開けてられる?」

「うん。開けられるよ」

「さすがですね!」


 あはは、と俺はテレ笑い。和音ちゃんの目は本気で言っている目だ。出来ない子にとっては大きなことなのだろう。


「練習すれば和音ちゃんもすぐできるようになるよ。頑張ってみようか」

「がんばりますっ!」


 和音ちゃんが元気に答えた。


「じゃあ二人とも! てつだってください!」

「どうすればいいのかな?」

「二人でおふろにはいって、手本をみせてほしいです!」


 俺は高嶺さんと目を合わせた。高嶺さんは笑顔でこっくり頷いた、お願いします、という意味だろう。


「わかったよ、じゃあまずは俺から――」

「二人一緒にですよ! 一緒にはいってください!」

「「えええ!?」」


 俺と高嶺さんが同時に声を上げる。なぜ一緒に!?


「ちゃんと相手がおめめ開けてるか見ないとダメです!」

「でもほらわーちゃん……、お姉ちゃんたちが二人で入るには、お風呂小さいから」

「だいじょうぶです! がんばって! わーちゃんもがんばりますから!」

「ぇー」


 どうしよう、と俺の方を見てくる高嶺さん。

 頑張れば確かに俺たち二人が入ることもできそうだけど……。


「とりあえず試してみようか?」

「……ごめんなさい天堂くん、またわーちゃんの無理に付き合わせて」

「大丈夫。んじゃ入ろうか」

「うん」


 俺たちは湯舟に入ってみた。

 お風呂の水は、熱くもなく冷たくもなく。丁度いいぬるさの温水だった。

 二人で入ると、少なめに張ってあった水なのに湯舟から溢れてしまう。

 俺たちは二人並んで湯舟に浸かった。


「それじゃただのなかよしさんです。ちゃんと二人でむきあってください」


 え、だけど。向き合うとなると……。

 俺は少し腕を動かす。


「あ……っ」


 と高嶺さんが声を上げた。肘が、高嶺さんの胸に当たる。

 俺は慌てた。


「ご、ごめ! 別にそんなつもりじゃ!」

「わかってますから。狭いですもんね」


 うう、柔らかかった。――じゃない、動きにくい。

 俺たちは一度立ち上がり、向かい合わせになった。立ったまま、さてどうやって座っていくかを考える。


「しゃがみましょうか、天堂くん」

「う、うん」


 二人で同時に、湯舟の中でしゃがんでいく。その過程で、俺の足と高嶺さんの足が何度も擦れあった。擦れるごとに足に高嶺さんの柔らかさを感じてしまうので、どうにも意識がそこの一点に集中してしまう。


 途中までしゃがんで、狭くてこれ以上この体勢ではしゃがみ切れないことに気がつく俺たち。仕方ないので、足を交互に挟み込むように俺たちは重なってしゃがもうとする。

 体勢がよくわからないって? 要するにこういうことだ。


「あっ!」

「ごめん!」


 俺の膝が、高嶺さんのおっぱいに当たってしまう。

 俺の足の一本は、高嶺さんの折りたたまれた太ももの間に挟まっているのだった。足を胸と太ももで抱え込むようにして、高嶺さんは湯舟の中でしゃがんでいた。


「ほら! やればできます!」


 和音ちゃんは嬉しそう。

 ……って、わかってて俺たちにやらせてるわけじゃあないよな?


 俺の足が高嶺さんに抱えられているように、俺も高嶺さんの足を抱えている状態だ。

 すべすべの高嶺さんの足が、俺の目の前に。


「……はやく、やっちゃいましょ。天堂くん」

「そ、そうだね」


 俺たちは、ぐっとしゃがみ込んで温水の中で目を開けた。

 揺らぐ視界の中、高嶺さんの顔は耳まで真っ赤だ。よく見える。俺の足の膝が、高嶺さんのおっぱいに当たっているのがよく見える。柔らかい。

 他のことが考えられなくなるんじゃないかってくらい、俺の感覚は膝に集中してる。

 ――――。いかん一瞬、機能停止してしまった。


 ぷはぁ、と俺たちはほぼ同時に水から顔を上げた。


「どうですか、おめめぱっちりできましたか?」

「え、ええ」

「うん。できたよ和音ちゃん」

「わーちゃんも上から見ていました。がんばりましたね!」


 パチパチパチ、と手を叩く和音ちゃん。

 俺たちが頑張った為だろうか? その後の練習は和音ちゃんも頑張った。


「見ていてください!」


 と、幾度となく挑戦する。

 しかし「目が沁みます!」「怖いです!」と言ってなかなか成功には至らない。

 俺たちは応援もし、今度は一人づつだけど手本も見せた。

 和音ちゃんは頑張っている。だけど、成功しない。


「そろそろお夕飯作らないといけない時間……」


 傍らに置いてあったスマホを見て、高嶺さんが呟く。


「悪いんですけど、わーちゃんのこと少し任せちゃってもいいですか天堂くん?」

「構わないよ」

「ありがとう」


 行ってらっしゃいお姉ちゃん、と和音ちゃんに手を振られ、高嶺さんが風呂場から去っていく。

 さて、もう少し練習しなきゃな。



 ◇◆◇◆



「ごはんできたよー、……って、えぇっ!?」


 高嶺さんが戻ってきたとき、和音ちゃんは嬉しそうに飛び跳ねていた。

 その光景を見てビックリしたのだろう、高嶺さんが声を上げる。


「いたくないです! いたくないです!」


 元気に飛び跳ね続ける和音ちゃん。


「さっきまであんなに怖がっていたのに……、どうやったんですか、天堂くん?」

「ん? ああ、ほら、小学校のときにやっただろ? 生理食塩水」


 俺は和音ちゃんを見ていて、つい子供の頃を思い出してしまった。その記憶の中に、理科の実験でやった塩分濃度を調べるための授業があった。

 驚いて俺を見ている高嶺さんに、丁寧な説明をしてみせる。


「まずぬるめのお湯を洗面器に入れる。二リットルくらい入れたら、小匙で塩を四杯弱、それで完成」


 その授業中に、先生が言っていたのだ。この水は、目に入れても痛くない、と。血液と塩分濃度が同じ水なら、浸透圧の関係で目に優しいと。

 だから、この水の中でなら和音ちゃんも苦がなく目を開けられるだろうと、俺は考えた。洗面器一杯に作ってみようと考えた。


「カズオミお兄ちゃんの魔法なんだよ、お姉ちゃん! カズオミお兄ちゃんは魔法使い!」

「ま、魔法?」

「水に魔法を掛けたから怖くないよ、って言ったんだ。わーちゃんが喜ぶと思ってね」


 少しテレる。

 高校生になってまで、真顔で魔法とか言うのは少し恥ずかしかった。

 だけど和音ちゃんが喜んでくれるなら気にしない。ちょっと恥ずかしいくらい、なんだ。


 高嶺さんが感心したように、俺を見つめてきた。


「よく覚えてる……、それに応用力。天堂くんてやっぱり頼りになりますね」

「え!? いや! それほどでも!」


 俺は、あはは、と笑ってみせた。

 その後、練習の甲斐あって和音ちゃんは見事に水を克服した。

 普通の水の中でも、目を開けられるようになったのだ。


「よかったね、わーちゃん。天堂くんのおかげだね」

「はい! カズオミお兄ちゃんはスゴイですお姉ちゃん!」

「そうだねぇ、お兄ちゃん凄い」

「カズオミお兄ちゃんがいっしょなら、将来もあんしんですね! そう思いませんかお姉ちゃん!」

「え!? う、うん……? そうかも……」


 高嶺さんが顔を赤らめて、俺から目を逸らす。

 将来なんて言葉、どこから覚えてくるのだろう和音ちゃん。


「こんどプールに行きたいですお姉ちゃん!」

「そうだね、いこうか」

「はい!」


 と元気に返事をして、俺の方を見る。


「ありがとうございます! カズオミお兄ちゃんのおかげさまです、一緒にプール行きましょうね!」

「そうだね、一緒に行こうか」


 軽い気持ちで俺はそう返事をした。すると和音ちゃんが、にんまり笑う。


「行きましょう! 将来のために!」


 だからなんなんだ、将来のためって。俺は苦笑した。

 終わってみれば楽しい一日、こんな日も悪くないな、と俺は目を細めたのだった。



 ◇◆◇◆



 瑞希の家のリビング。

 食事をとり終えた三人は、つい横になってしまった。疲れていたのだろう、三人が三人とも、すぐに寝息を立て始める。


「お……にいちゃ……だいす……き」


 和音が寝言を言いながら寝返りをうった。

 そして、すぅすぅ、すぅすぅ、仲良く眠る。


 真ん中に和音を挟んで、川の字になって三人。

 それは幸せな風景なのだった。

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