第13話 お誕生会②
和音ちゃんがケーキの上に立てられた六本の蝋燭の火を、一気に吹き消した。
「おめでとう和音ちゃん」「わーちゃんおめでとー」「めでたい」
それぞれの言葉で祝福し、手を叩く俺たち。和音ちゃんが嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます、六歳になりました!」
俺たちの祝福に頭を下げて応え、自らも手を叩く。
時子さんが頷いた。
「六歳か。てことは来年小学校なんだな」
「がっこう!?」
「そうだよ、キミはもうすぐ小学生。お姉さんだな」
「わーちゃんはおねえさんですか!?」
「ああ。今より少しだけ、おねえさんになる。頑張れよ?」
時子さんはニッと笑い、テーブルの下から可愛い包装紙にくるまった物を取りだす。
「そんなおねえさんに、お誕生日のプレゼントだ」
「プレゼント!」
和音ちゃんはその包装紙の包みを受け取る。
「開けてもいいですか!?」
「どーぞ」
和音ちゃんが器用に包みを剥くと、そこにはビーズのセットが入っていた。ジュエリー仕立てのビーズが色とりどり、和音ちゃんの目がキラキラ光る。
「こないだウチの店に持ち込んでビーズ弄ってただろう? ああ好きなんだろうって思ってな。どうだいお気に召して貰えたかな?」
「お気に召しました! ありがとうございます!」
テンションが高い和音ちゃん。俺と高嶺さんは目を合わせて頷き合う。
「わーちゃん、これは私と和臣お兄ちゃんから。開けてみて」
再びガサゴソ。和音ちゃんが包装紙を開ける。
「クレヨン! なんかたくさん!」
「36色のクレヨンセットだよ。和音ちゃんはお絵かきが好きなんだってね、使って貰えると嬉しいな」
俺はそう言って、画用紙のセットを渡す。
和音ちゃんはクレヨンと画用紙セットを交互に見回して、
「いっぱい描きます!」
とクレヨンを入れ物ごとギュッと抱きしめたのだった。
「さあ、わーちゃん。プレゼントはいったん横に置きましょ。ケーキ切ろうケーキ!」
「ケーキたべたい!」
「時子お姉さんが作ってきてくれたケーキだからね、美味しいよー?」
「おいしそう!」
高嶺さんがケーキにナイフを入れる。
ケーキは苺のショートケーキ、高嶺さんと和音ちゃんが初めて『トレジュアボックス』に来たときに食べたものと同じだった。ふーん、同じなのか。ちょっと肩透かし。
俺がそう思いながらケーキを見ていると、「いや」と時子さんが否定した。
「これは特製苺ショートケーキだ。和音ちゃんがウチにきたとき食べたのよりもスペシャルな苺を、ゴージャスに使っている」
「俺の心を読んだようなこと言わないでください」
「目つきでだいたいわかるんだよ、和臣の考えてることは」
フフン、とドヤ顔の時子さん。
俺は時子さんをスルーして、取り分けられたケーキの皿を受け取った。
ジュースを注いで回り、キッチンから料理も運ぶ。フライドチキンを始めとした肉の皿と、野菜中心のサラダ皿が並んでいく。ついでに気分モノで甘酒なんかも。
全てがテーブルの上に揃ったのを確認して、高嶺さんが音頭をとる。
「それじゃあみんなで、はい」
『いただきます!』
こうして食事が始まった。
お店のことを中心とした雑談から始まって、時子さんが俺たちの学校生活について聞いてくる。俺たちが学校ではあまり話していないというと時子さんはシニカルな笑いと共に肩をすくめた。
「そういえば高校生の頃なんてそんなもんだったか。異性と付き合ってるとバレたら根掘り葉掘り聞かれるもんな、面倒なことこの上ない」
和音ちゃんはプンプンと怒っていた。
「ダメですよお姉ちゃん、カズオミお兄ちゃん。もっとなかよくしないと!」
「仲良くないわけじゃないのよ? わーちゃん」
「そうそう、別に俺たちは仲良しだよ?」
「もっともっとなかよししてください!」
ケーキ用のフォークを握り締めて言う和音ちゃんを見た時子さん。
彼女は悪戯を思いついた顔でニンマリ笑う。
拳を振り上げてヤンヤヤンヤ、和音ちゃんの応援を始めた。
「そうだそうだー」
「そうですよねトキコお姉さん!」
「まったくだー」
「まったくです!」
和音ちゃんの同意を受けた時子さんは、如何にもわざとらしく両腕を組んだ。
「これはあれだな、和音ちゃん。お兄ちゃんたちには、もっと仲良しなところを見せて貰わないといけないな?」
「……? もっと仲良しなところって、なんですか?」
「そりゃあ、アレだよ。仲が良い象徴といったらアレだ、『ちゅー』だよ」
「ちゅー!!」
「そう、『ちゅー』だ」
そう言って時子さんが、ジャジャーン、とばかりに俺の顔を見た。
なんてことを言い出すんだこの人は! あ、ほら、高嶺さんが固まってる。
「ば、ばっか! 時子さん、なに言ってンの!?」
「うるさいこれも和音ちゃんへの誕生日プレゼントだ、ほらほら! 『ちゅーぅ! ちゅーぅ!』」
「ちゅーぅ、ちゅーぅ」
ハシャいだ和音ちゃんが手を叩きながら時子さんの真似をする。
もしかして時子さん、和音ちゃんの教育に良くない人なのでは!?
あ、てかこの人、お酒飲んでるじゃん。この酔っ払いめ。
これはちょっと強く言わざるを得ない、そう思って俺が息を大きく吸い込んだ、そのとき。
「い、いいよ、わーちゃん……!」
高嶺さんが、絞り出すように声を上げた。
「仲がいいところ、見せてあげます」
「た、高嶺さん!?」
高嶺さんが、ズイと俺に身体を寄せてくる。近い。それはもう、体温を感じるくらいに。
――ん? ちょっと酒くさい?
見れば甘酒が飲み干されていた。甘酒のアルコール量は本当に微量なはずだけど、もしかして高嶺さん、めっちゃお酒に弱いのか?
「天堂くん……?」
「ひゃ、ひゃい!」
高嶺さんの顔は真っ赤だ、上気している。
潤んだ目が、濡れた唇が、艶やかに部屋の光りを反射していた。
石鹸の匂いが寄ってきた。高嶺さんのいい匂い。近づいてくる。
俺の心臓が、飛び出しそうなほど大きな音で鳴っていた。
「目を、つむって」
「う、うん」
言われるまま俺が目をつむると。
――ちゅっ、と。
俺の頬に柔らかな感触が広がった。
俺は目を開く。高嶺さんの整った顔が目の前にあって、びっくりする。飛び跳ねるように高嶺さんは後ろに下がっていった。
「わー! ちゅぅだー! お姉ちゃん、ちゅぅーっ!」
和音ちゃんはご機嫌だ。
そうだよな、ほっぺたへのキス。はは。嬉しいような、残念なような。いや嬉しいけど。
俺はふわふわした気持ちのまま頬を撫でた。
「わはは、まあ鉄板の躱し方だ。でもいいぞ、頑張ったじゃないか!」
時子さんは嬉しそう。
「ほれほれ、なんか言えよ和臣、瑞希が恥ずかしそうにしたままだろ」
「えーと、あの、その」
俺は迷った挙句。
「恥ずかしいことさせちゃってごめん。次は俺からするから」
なんか変なことを言ってしまったらしい、時子さんがケタケタ笑いだす。
「次! ほほー次! いいねぇ和臣少年、その意気だよそれが青春だ!」
頑張り給え―、などと言いつつ酒を飲む。
そして時子さんは、場を荒らすだけ荒らして帰っていった。「店を開けなきゃな」今からお店を営業するつもりらしい。なんなんだ、あの人。もうただの呑んだくれでは。
三人でテレビを見ながら、柔らかな時間が過ぎていく。
途中、プレゼントのクレヨンで絵を描き始めた和音ちゃんも、今は寝てしまった。
和音ちゃんを敷いた布団の中に運び入れると、リビングには俺と高嶺さんだけが残されたのであった。
高嶺さんが、しみじみとした風に声を上げる。
「ほんと楽しい」
「ん?」
「今日はほんと楽しい。嬉しいな、またこんな楽しいお誕生会ができるなんて、思ってませんでした」
「そうなの?」
「うん。両親が死んで、去年の私の誕生日はなにもない日になったんです。だから不安だった、わーちゃんの誕生日もそうなっちゃうんじゃないかって。でも……」
高嶺さんが俺の顔を見つめてきた。
「ありがとう天堂くん。みんな天堂くんのお陰、天堂くんがわーちゃんを助けてくれたところから、すべてが新しく始まりました。世界に色が戻ってきた。感謝しても、し足りない」
「……そんなこと言ったら、俺だって」
感謝しているのだ。高嶺さんに、和音ちゃんに。
頑張る高嶺さんを見るのは、俺にとっての癒しだった。頑張り切れなかった俺の気持ちを、癒してくれた。だから俺は尊敬している、感謝している。高嶺さんに。
「聞いて貰っても、いいかな?」
「うん。なんでも」
気がつくと俺は、高嶺さんにそう言っていた。
「俺さ、小さい頃から剣道やってたんだ。時子さんに教わりながら」
そう、俺の剣道の師匠は時子さんだ。時子さんはああ見えて、学生の頃に剣道で全国一になっている。そんな時子さんに教わる俺は、年齢からみるとだいぶ強い部類だったと思う。
「だけど、俺の両親は俺が剣道をしていることに否定的でね」
道具はすべて時子さんに貰っていた。おさがりだったり、やらなくなった知り合いから融通して貰ったりと、色々手を尽くしてくれたらしい。
「それでも続けていたんだけど、中学卒業の頃に、両親が研究の都合で渡米することになったんだ。俺はこっちに残りたかった。両親とは折り合いが悪いわけではなかったけど、日本の友達や時子さんと別れたくなかったから」
その時に両親が出した条件が、剣道を辞めること。
俺の両親は、俺の受験を心配していた。高校はともかく、大学は良いところに行って欲しいと。そのためには剣道が邪魔と考えていたのだろう。
悩んだ末、俺は剣道を辞めることにした。
どうせ渡米したらまともに剣道を続けることが難しいと思ったということもある。
「だけど、時が経つごとに考えてしまうんだ。俺は貫けなかったんじゃないか、って。頑張りが足りなかったんじゃないかって」
だから俺は、頑張っている人を見ると尊敬する。
自分が貫けなかったなにか、頑張れなかったなにかを、まだ持ち続けていることが眩しくて、憧れる。悪友の純也もそうだ、あいつはいつも頑張っている。俺はあいつに憧れを抱いている。
「つまりね、感謝したいのは俺の方なんだ。頑張っている高嶺さんの姿は、俺にとって目がくらむような眩しい姿なんだ。頑張ってくれていて、ありがとう。応援させてくれて、ありがとう」
高嶺さんはずっと黙って、俺の話を聞いていてくれた。
話し終えての沈黙。少しすっきりした気持ちで、俺が目を細めていると――。
高嶺さんが俺の頭を、その胸でそっと抱きしめてくれた。
「天堂くんは今でも頑張れてますよ。頑張ってるから、そんな風に悩むの。頑張るのをやめた人なら、そうはならない」
ふわふわのポヨポヨに俺の顔がうずまる。
俺はその感触に、心地よさだけを感じていた。ただただ全てを委ねたくなる安心感。
「……そうなのかな。わかんないや」
「じゃあもっとわかりやすい頑張りを言うね?」
高嶺さんは、俺の頭を撫でながら。
「天堂くんは、私たち姉妹の為に頑張ってくれてる。私たちを応援してくれてる。いつだって天堂くんは頑張る人なんだと、私は思います」
頑張ってる、のかな? 俺は。
言われてもまだわからない。だけど高嶺さんからの感謝の気持ちは伝わってくる。そうか、俺は感謝されることをしてるんだ。そう思うと、少し気が楽になった。
「……ありがとう」
俺の心から、素直な言葉が零れていったのだった。
◇◆◇◆
「和音ちゃんは俺がおぶっていくよ」
「うん、お世話になります。えっと、わーちゃんへのプレゼントは、っと。……もうわーちゃんたら、すぐ散らかして、って、あら?」
パーティーも終え、帰りの支度。
和音ちゃんの荷物を集めていた高嶺さんが、和音ちゃんを背負った俺を呼んだ。
「見てほら天堂くん、わーちゃんの絵」
「あ」
そこには、大きな家を前にして手を繋いでいる三人の姿が明るい色で描かれていた。
高嶺さん、和音ちゃん、そしてたぶん――俺。
和音ちゃんの両脇に、俺と高嶺さんが和音ちゃんと手を繋いで笑っている。ああ。幸せそうな、なんて幸せそうな絵。まるで家族みたいな、その絵。
「ほらね、わーちゃん天堂くんのことが大好き。わーちゃんもわかってると思う、天堂くんが頑張ってくれてること」
「うん……」
俺は涙した。
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