懺悔室(意味深)

亜逸

男爵令嬢、懺悔室に入る

「わたくしに懺悔室に入ってほしいですって!?」


 王城の聖堂で、男爵家令嬢――エミリ・オブライアの素っ頓狂な声が響き渡る。

 そのエミリに懺悔室に入ってほしいとお願いした妙齢のシスターは、口元に人差し指を立てながら「しーっ、しーっ」と、エミリに静かにするよう求めた。


「そもそもなんで、シスターが懺悔を聞いているのですか?」


 神父や牧師ではなく、シスターが懺悔聴聞を行うなどという話は、少なくともエミリは聞いたことがない。

 それゆえの質問だった。


「この城の懺悔室は少々特殊でしてね。なに、適当に話を聞いて適当に答えていれば向こうが勝手に満足して帰っていくから、あなたが思っているほど難しい話じゃありませんよ」

「なんかとんでもないこと言ってません、シスター!?」

「それにあなたの声質は、わたしによく似ています。わたしの言い回しに寄せて喋ればバレることもないでしょう」

「わたくしの話聞く気あります、シスター!?」

「そういうわけなので、私はこれから大事な飲みか――ゲフンゲフン、会合がありますので、適当によろしくやっといてください」


 そう言い残し、シスターは修道服をエミリに手渡すと、風のように聖堂から走り去っていった。

 

「……今、飲み会って言おうとしてませんでした?」


 その問いに答える人間は、最早誰もいない。


「まったくもう……」


 とは言いながらも、律儀に修道服に着替え、懺悔室へ向かう。


 実のところエミリは、父の付き添いで王城に来ただけで、その父の用事が終わるまでは特段やることがなく、有り体に言ってしまえば暇だった。

 暇すぎて顔見知りであるシスターのもとを訪れた結果、こんな厄介なことを押しつけられてしまったことはさておき。

 懺悔室の聞き手側の部屋がどうなっているのか、王城にいる人たちがどんな懺悔をしてくるのかなんだかんだで興味があったエミリは、内心ではちょっとワクワクしながらも、聞き手側の扉から懺悔室に入った。


 人一人がようやく入れる程度の狭い部屋に、椅子と、カーテンがかかった小窓があるだけの、何の面白みもない部屋だった。


「……まあ、こんなものだろうとは思ってましたけど」


 早速テンションがだだ下がりになったエミリは、深々とため息をついてから椅子に座る。

 懺悔室に入ったからといって人がすぐに来るわけもなく、暇すぎてウトウトし始めたところで、初めての懺悔人が懺悔室に入ってくる。


「シスター、聞いてください」


 眠りそうになっていたせいもあって、心の準備もままならぬまま懺悔が始まったことに、エミリは慌てふためくも、


「僕は明日、とある女性に告白しようと思っているのですが……」


 明らかに懺悔ではない相談内容に、目が点になってしまう。


「この場合、普段どおりの服装で行くべきか、一張羅いっちょうらで行くべきか、どっちが良いと思います?」


 いや、知らんがな――とはさすがに答えず、シスターの声音と口調を真似ながらもそれっぽく答えた。


「いきなり一張羅で現れては、その女性に余計な警戒心を与えるかもしれません。普段どおりの服装で行った方がよろしいかと」

「そうですか! 普段どおりの服装ですね! ありがとうございました!」


 礼を言って、懺悔人は懺悔室から出ていった。

 あっという間に相談が終わったことに、エミリはしばしの間唖然とする。

 相談は相談でも、懺悔ではなく恋愛の相談だったものだから、なおさら唖然としていた。


「まさか、シスターが少々特殊だって言ってたのはこのことですの?」


 それこそまさかと思っていたが、その後に来た人も、さらにその後に来た人も、懺悔の相談ではなく恋愛の相談だったことに、エミリはいよいよ閉口する。

 しかも本当に、適当に話を聞いて適当に答えていれば向こうが勝手に満足して帰っていくものだから、閉口しているのに開いた口が塞がらない思いだった。


(いやでも、これはこれでいい暇つぶしになりますわね)


 などと思っていたところで、予想だにしなかった相談相手が懺悔室を訪れてくる。


「シスター。話を聞いてくれるか?」


 小窓のカーテン越しから聞こえてきた年若い男の声に、エミリは口から飛び出しかけた驚愕を、両手で押さえることでどうにかこうにかこらえきった。


 なぜなら今の声は、聞き間違えようがないほどにのものだったから。


 エミリにとって、絶賛片思い中の男性あいてだったから。


(イ、イクス様!? どうしてこの国の王子である彼がこんなところに!?)


 まさかこの国の王子が、懺悔室という名の恋愛相談所にやってくるなど予想外もいいところだった。


(ダ、ダメですわ! イクス様の恋愛相談なんて、とてもじゃないけど聞けませんわ!)


 などと心の中で思っていても、イクスの好きな女性が誰なのか、というか自分のことを好きになってくれているのか気にならないと言えば嘘になる。

 同時に、イクスの好きな女性が自分以外の誰かだとわかってしまったら立ち直れる気がしないので、聞きたくないという思いも確かにある。


 しかし、押しつけられた形とはいえ、シスターに代わって懺悔室に入っている以上は投げ出すわけにもいかないので、エミリは覚悟を決めて、精一杯にシスターの声真似をしながらイクスに応じた。


「勿論です。そのための懺悔室ですから」


 返事は、すぐにかえってこなかった。

 代わりに、安堵したような吐息が小窓の向こうから聞こえたような気がした。


「僕には、好きな人がいるんだ。ただ……その、こういう言い方はあまり良くないけど、僕とは少々身分に差がある相手でね」


 身分に差がある――その言葉に、エミリは喜びそうになる。

 この国の王子であるイクスに対し、自分は男爵家の娘。

 王族が婚約を結ぶ相手としては除外されても仕方のない爵位だ。


(いや、でも、わたくしと決まったわけではありませんわ。他の淑女ひとのことを言っているのかもしれませんし)


 ぬか喜びなんてさせられたら、向こう一ヶ月は寝込む自身があったので、自分であってほしいと願いつつも自分ではないと言い聞かせることで、どうにかこうにか心の平穏を保つ。


(わたくしとイクス様の確かな接点は、子供の頃、今日みたいに父に連れられて王城を訪れた際、教育係の目を盗んで逃げ出してきたイクス様とたまたま中庭で出会った時)


 それから一年間、エミリが王城を訪れる度に、イクスは教育係の目を盗んで会いにきてくれて、一緒に遊んだものだが……そんなイクスに業を煮やした国王が教育係の数を増やしたことで逃げ出すことができなくなり、そのまま疎遠になった。

 そして、疎遠になったことで気づかされてしまった。

 自分が、どうしようもないほどにイクスのことが好きだったということを。


 社交界デビューしてからはパーティの場などでお目にかかる機会もあったけれど、イクスの周りは王族や公爵といった身分の高い方たちばかりで、男爵家令嬢のエミリが立ち入る隙はなかった。


 だから、イクスが子供の頃にあった接点についての話をしない限りは、絶対に自分のことだとは思わない――そう自分に言い聞かせた矢先のことだった。


「彼女と初めて出会ったのは子供の頃で、出会った場所は、その……とある館の中庭だったんだ。今となっては恥ずかしい話だけど、僕が教育係の目を盗んで逃げ出した折に、偶然中庭にいた彼女と出会って……」


 もうこれ完全にわたくしのこと言ってますわよね?――と言いたくなる内容に、エミリの顔は瞬く間に真っ赤になる。


「その時に僕は、彼女に一目惚れしてしまったんだ」


 最早わざとやっているのではないかと勘ぐりたくなるほど的確にハートを撃ち抜かれ、エミリは身悶えそうになる。


(ダ、ダメですわ……こんなの……こんなのぉ……)


 嬉しいやら恥ずかしいやら信じられないやらで、感情がグチャグチャになっているエミリに、とどめとばかりにイクスが訊ねてくる。


「それから何年も会えない日々が続いたせいで、彼女への想いが気が狂うそうなほどに大きくなってしまった。だから僕は近い内に、彼女に思いの丈を伝えようと思っているのだだ……仮に、彼女が僕を受け入れてくれたとしても、父上に反対されるのは目に見えている。シスター、僕はどうすればいいと思う?」


 エミリは、小窓の向こうにいるイクスに悟られないよう気をつけながら、何度も深呼吸を繰り返す。

 正直、今すぐにでも名乗りを上げたい衝動でいっぱいいっぱいになっているが、そんなことをしてしまったら色々と台無しになってしまう気がしたので、あくまでもシスターのフリをしながら自分もイクスも望む答えを返す。


「お話を聞いた限りだと、あなたの中ではもう答えが決まっているご様子。ならば、父上のことなど気にせずに、彼女に思いの丈を伝えるのがよろしいかと」

「……そうだね。そのとおりだ。僕の中ではもう、彼女に思いの丈を伝えると決めている。もし彼女が僕のことを受け入れてくれた場合は、僕が父上を説得すればいいだけの話じゃないか」


 そんな言葉のとおりに吹っ切れたのか、小窓の向こうにいるイクスが立ち上がる音が聞こえてくる。


「シスター。あなたのおかげで思いを固めることができた。心の底から礼を言わせてもらう」


 そう言い残して、イクスは懺悔室から立ち去っていった。

 一方、エミリはというと、


(シスターにお礼を言いたいのは、わたくしの方です~~~~~~~~~~っ!)


 イクスがいなくなったことをいいことに、思う存分身悶えていた。


(いやでも、まだわたくしと決まってわけではありませんし、実は別の人のことを言ってましたなんてオチだったらそれこそ一生立ち直れない自信がありますし、仮にわたくしのことを言っていたとしても、イクス様のお父上であらせられる国王様がお許しになるとは思えませんし……)


 事ここに至ってなお、ぬか喜びになることを恐れたエミリが、心の平穏を保つために「自分のことを言っているわけではない」と言い聞かせていたところで、ふと気づく。

 イクスと相思相愛であったとしても、国王に認められない限りは本当にぬか喜びで終わってしまうことに。


(……はは。世の中なんて、結局はこんなものですわね……)


 先程まで弾んでいた心が、急速にしおれていったその時だった。



「失礼する」



 渋みのある壮年の男の声とともに、誰かが懺悔室に入ってくる。

 その誰かの声が、イクスとは別の意味で聞き間違えようのない声であったことに、エミリは口から心臓が飛び出しそうになる。


(なななななんで国王様が懺悔室ここに!?)


 イクス以上に、懺悔室という名の恋愛相談所を訪れることなんてあり得ない相手に、エミリは目を白黒させる。


(噂をすればとはよく言いますけど、だからってこんなタイミングで国王様が懺悔室にやってくるなんてあり得ます!?)


 動揺しきりのエミリを尻目に、国王は淡々と話を切り出す。


「実は、妻には内緒で相談したいことがあるのだが……」


(王妃様には内緒でですって!? ま、まさか国王様は不倫を!? なんと罪深いこと!!)


 突然の国王の来訪に恐慌パニックになっていたエミリだったが、「妻には内緒」という言葉を聞いた途端、想像力という名の翼を羽ばたかせ、不敬だと思いながらも軽蔑の念を国王に抱き始める。


 さもありなん。

 国王は愛妻家で知られており、以前はこの国にあった側室制度を自ら廃止したことでも知られている。

 その国王が妻に内緒で不倫しているなど、一人の女性としてエミリはどうしても許せなかった。


(……いえ。落ち着きなさい、エミリ。まだ不倫と決まったわけではありませんわ。ここは冷静にシスターのフリをしながら、国王様のお話を聞くべきですわ)


 そう自分に言い聞かせてなお憤りが収まらないことを自覚しながらも、エミリは国王に応じる。


「奥様に内緒とは穏やかではありませんね。一体どのようなご相談なのですか?」


 後ろめたさでもあるのか、すぐには返事がかえってこなかった。


「それはだな……夜の営みに関係することでな……」


 普通ならば夫婦間での営みを想像するところだが、


(まさか、不倫している相手と肉体関係に!? ますます罪深いですわね!!)


 脳内で勝手に不倫だと決めつけていたエミリは、ますます勝手に憤っていた。


「私はどうにも、今の妻との営みに満足できない体になってしまってな」


(まあ! そんな言い訳を理由に不倫を!?)


 いよいよ憤りが最高潮を迎えようとするも、


「言いにくい話なのだが……妻との営みにおいて、大抵の場合のは儂の方でな」



 ……………………………………………………WHATファッツ



される? 殿方の方が?)


 なんだかんだでその手の知識があったエミリは、つい先程まで自分が憤っていたことも忘れて首を傾げる。が、考えても答えは出なかったので、直接本人に聞くことにする。


「すみません。挿されるとは一体どういう意味ですか?」


 やはりというべきか、返事はすぐには返ってこなかった。


 時間にして一分が過ぎた頃。

 国王は恥を惜しむように恥しかない話をし始める。


「実はだな……儂は妻との営みの際にだな……尻の穴に杖を突っ込んでもらうプレイを妻にしてもらうことが……何よりも大好きでな……」


 思わず遠い目になってしまう。

 罪深い相談ではなく、ごう深い相談だった。

 というか、深いではなく不快だった。


「様々な杖を試してみたが、一番気持ちよかったのは、儂がいつも愛用している杖でな……」


 あまりの生々しさに、ますます遠い目になってしまう。

 国王が愛用している杖など、この国の国宝にもなっている王笏おうしゃく以外考えられなかったから、なおさら遠い目になってしまう。


「妻は、いつも言うのだよ。『その杖でのプレイはやめなさい』と」


(当たり前ですわ)


「しかし妻は優しくてな。最終的には儂の望みを叶えてくれるのだよ」


(結局ヤるんかい!)


「だが、その優しさのせいで、儂は妻との営みに満足できない体になってしまってな……」


 最早ツッコむ気力すら失せたエミリは、投げやりになりそうな声音をどうにかこうにかこらえながら国王に訊ねる。


「具体的には、どう満足できないのですか?」

「……のじゃよ」

「浅い?」


 意味がわからず問い返すエミリに構わず、国王は続けた。


「優しい妻は儂の身を案じて、杖を〝奥〟まで挿し込んでくれないのじゃよ」


 深いのはごうだけではなかった。

 もう何もかもがどうでもよくなったエミリは、声音と物言いは崩さないよう心がけながらも投げやりに答える。


「奥様に挿してもらった際に、深く挿さるよう自分から突っ込んでいけばいいだけの話だと思いますが」

「それだ! シスター、お主天才だな!」


 手放しに褒めちぎってくる国王のせいで、この国の行く末がちょっとだけ心配になってしまう。


「相談してよかった! 礼を言うぞシスター!」


 ウキウキで帰っていくものだから、この国の今が普通に心配になってしまう。

 

「国王様には可及的速やかに隠居していただいて、さっさとイクス様に王位を継いでもらわないと、この国は大変なことになるかもしれませんわね……」


 そう独りごちたところで、ふと気づく。


「あれ? これって……国王様のとんでもない秘密を握ったことになるのでは……?」


 神妙な物言いとは裏腹に、エミリの口の端は悪魔的に吊り上がっていた。



 後日――



 イクス様が懺悔室で仰っていた女性は、わたくしではないかもしれない――と内心ビクビクしていたエミリのもとにイクスが訪れ、愛の告白をしてくれた。

 当然エミリは泣いて喜びながらも快諾し、すぐにでも国王に報告すべきだと提案した。


 早い方がいいと思ったのかイクスも同意し、二人で国王に謁見するも、案の定国王は、エミリの家の爵位が男爵であることを理由に二人の仲を認めなかった。

 どうすれば父を説得できるのかと苦渋するイクスをよそに、エミリは国王に近づき、小声で告げる。



「実はわたくし、シスターに代わって懺悔室に入っていたことがありまして」



 その一言で察した国王は、息子イクスが困惑するほど快く、エミリたちの仲を認めてくれた。


 そうして二人は結婚し、国王は隠居し、イクスが王位を継ぐことになったわけだが。


 どれほど深く国王の〝門〟を侵略していたのかわかったものではない王笏おうしゃくの扱いについては、国宝は大切に保管すべきだの何だのと理由をつけてエミリが手ずから城の奥に封印したのは、最早言うまでもなかった。

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懺悔室(意味深) 亜逸 @assyukushoot

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