第705話 次なる課題
◇次なる課題◇
「ごめんなさい。お待たせしたわね。…あら、流石タルテさん。見事にいい葉っぱを見つけたわね。これが分かるなら薬草の加工も問題なさそうね」
クスシリム準教授はハーブティーが冷める前には片付けを終えて俺らの待つ部屋へと姿を現した。そしてそのハーブティーの香りを嗅ぐと、嬉しそうな顔をしてタルテを讃えるように指先で小さな拍手を叩く。
手を叩く彼女の指先は白磁のように白く、先ほどまで薬草畑で仕事していた人間とは思えない。麦藁帽を脱ぐと結い上げていた髪が自重で解け、絹のような滑らかさを誇張するように肩を撫でた。クスシリム準教授は口調は完全に気の良いおばさんなのだが、見た目は妙齢の美女であるため学院内では人気が高いのだ。
そんなクスシリム準教授の美貌は、彼女の作り出す美容系の薬品の効能の良い宣伝塔にもなっている。事実としてクスシリム準教授はお手製の美容系の薬品は自身の体で試しているため、その美貌は彼女の薬品で支えられているといっても間違いではないはずだ。
「それでどのような用件なのでしょうか?生憎と心当たりがないのですが…」
「あら、随分とせっかちね。学院の若い子達はもう少しゆったりとしててもいいと思うの。最近の子はどうにも結果を急ぎがちなんだけれども、時には落ち着いて結果を待つことも重要なのよ。学院で切磋琢磨させる環境がそうさせるのかしら?それも別に間違いという訳じゃないのだけれども…私としてはじっくりと自身と向き合って欲しいのよ。生き急いでいたらあっという間におばさんになっちゃうんだから。どう?私が言うと説得力があるでしょう?私も若いころは確かに無我夢中で、落ち着くことを覚えたときには青春時代が終わってしまっていたって感じかしら。まぁそのお陰もあって準教授にまで上り詰めることは出来たのだけれども…」
「ああ…だめです…井戸端会議状態になっちゃいました…」
俺が言葉を投げかけるとクスシリム準教授は十倍の言葉を返してくる。口調はおばさんじみているとはいえ、講義をする彼女にはもっと落ち着いた大人の女性のイメージがあったのだが、その印象とはかけ離れた彼女の様子に俺は軽く身を仰け反らした。
そんな彼女の様子を見て、タルテはクスシリム準教授の気を逸らすかのように空になったティーカップに追加のハーブティーを注ぎ入れる。そのお陰もあってかクスシリム準教授は口にハーブティーを運ぶこととなり、その口を閉ざすことに成功する。
「…講義のときのクスシリム先生は…話が脱線しないように気を張っているのですが…」
「今は素の自分が出ているというわけか…」
タルテが俺に身を寄せて忠告を口にする。お淑やかなクスシリム準教授は対外向けに気を張った状態であり、今のお喋りな彼女こそが本来のクスシリム準教授なのだろう。本人も少しお喋りが過ぎたことに気が付いたのか、ハーブティーを一口飲むと恥ずかしそうに微笑んだ。
「あらあら、ごめんなさいね。私ったら喋りだすと中々止まらなくて…」
「え、ええ。自分は大丈夫です。少し驚いただけで…」
俺は苦笑いしながら、誤魔化すようにハーブティーに手を伸ばす。不用意なことを発言すれば再び彼女の口を回す燃料になりそうなため、俺は黙ったまま静かにお茶を楽しんだ。
「先生…。お話を先にしちゃいましょうよ…。早くしないとお昼になっちゃいますし…」
「あら、もうそんな時間なのかしら。やだわ、ついお花のお世話に熱中しちゃったようね」
それでもタルテはクスシリム準教授の相手は慣れたものなのだろう。先を促すようにクスシリム準教授との会話の主導をする。タルテに言われて彼女は時計を眺めたが、実際に予想よりも遅い時間帯であったのか、彼女は慌てたように書架から本を取り出した。
分厚いその本の背表紙にはクスシリム準教授の名前が記載されており、執筆者が彼女自身であることを俺に教えてくれる。その本は厚さを誇るようにゴトリという音を立ててテーブルの上に置かれ、俺とタルテに中身を覗かせるように開かれた。
「二人にはね。少しフィールドワークを頼みたいのよ。ああ、ハルト君も大丈夫。アニマニア教授の許可も貰ってあるわよ」
クスシリム準教授は眼鏡を掛け、本のページを捲りながらそう呟いた。俺は魔性生物学を専攻しているため、薬草学のフィールドワークを求められることはないのだが、どうやら魔性生物学を統括しているアニマニア教授の許可を先に貰っているらしい。
「フィールドワークですか?…俺もタルテも既に
だが、疑問がないわけではない。既に俺とタルテは狩人の仕事として赴いた先での調査内容をレポートに書いて提出しているのだ。既にそれは受理されているため、今更無効になったから追加でフィールドワークに赴けというのも可笑しな話だ。
「ええ。それはもちろん知っているわよ。二人とも随分と出来のいいレポートを書いてくれたのだもの。特に…
それは俺とタルテが共同で出したレポートだ。そのレポートも高く評価してもらえているのなら、だからこそフィールドワークを頼まれる理由が見当たらない。特別に目を付けてくれているのかもしれないが、いくらアニマニア教授もクスシリム準教授も実地での学びを重要視するとはいえ、こうも立て続けにフィールドワークを頼むものなのだろうか。
「だって仕方がないじゃない。貴方達…座学のほうは既に教えることが少なくなってきてるのよ?タルテちゃんなんて、最近はお庭の作業がメインなんだから。基礎的な知識が十分なら…次は一つの研究課題に向き合う時間ってわけ」
「えへへ…。その…もともと小さい頃から植物のことについては習っていたので…。それにハルトさんと狩人として活動してると…その関係で知らない植物の知識も増えまして…」
文句を言うように褒めるクスシリム準教授の言葉に、タルテは後頭部に手を当てながら照れてみせる。俺もそうなのだが、狩人として活動しているとどうしても魔物についての知識が増える。そのため大半の授業が既に知っている知識の復習になってしまっている節があるのだ。
そんな俺らを遊ばしているわけにもいかず、クスシリム準教授とアニマニア教授は次なる課題を出題するつもりらしい。どうやら目的のページを見つけたらしいクスシリム準教授は開いた本を俺とタルテに向けてテーブルの上を滑らせるように差し出した。
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