第704話 別の研究室への呼び出し
◇別の研究室への呼び出し◇
「あれ…?ハルトさんも呼び出しですか…?薬草学は聴講だけでしたよね…?」
騎士団は蛇の左手の捜査を続けているだろうが、俺らは護衛の任務を終わらせて学院の生徒としての日常が戻ってくる。護衛中は一部の授業を自主休講としていたため、今までの遅れを取り戻すかのように複数の授業に顔を出しているのだ。
「タルテも呼び出しか?用件を聞いているなら先に教えてくれるか?俺にはこれといって呼び出される心当たりがないんだよ」
「ごめんなさい…私もこれといって心当たりは…。丁度…研究用の畑に空きが出来たので…栽培する植物の相談かと思ったのですけれど…。ハルトさんも一緒ってことは別のお話みたいですね…」
だがしかし、真面目な学徒としての本領を発揮し始めた俺にお呼び出しの声がかかり、呼び出された研究室に向かってみれば、そこには俺と同じように呼び出しを受けたのだろうかタルテの姿もあったのだ。
タルテと俺はほとんど同じ授業を履修しているものの、完全に同じという訳ではない。例えばタルテが口にした薬草学だと俺は狩人として役立つような薬草を知るために聴講している程度だが、タルテに限っては栽培を含む実技にまで手を出している。
そして俺が呼び出しを受けたのはその薬草学の研究室なのだ。実技まで履修しているタルテが呼び出しを受けるのはまだ予想が付くのだが、聴講程度に留めている俺が呼び出しを受ける理由はこれといって思い当たらない。聴講であるため成績は関係ないのだが、それでも履修している者以上の成績を示しているため成績不良で呼び出されることはないと思いたい。
「ここで話してても仕方ないしお邪魔するか。クスシリム準教授は部屋にいるんだろ?」
「そうですね…。クスシリム先生…?いらっしゃいますかぁ…?」
俺の言葉を聞いたタルテはノックもすることなく薬草学を担当しているクスシリム準教授の研究室の扉を開く。通常なら無礼な行為なのだが、この研究室ならば仕方がないだろう。マルフェスティ教授の研究室とは異なりクスシリム準教授の研究室は温室や作業場が併設されている一風変わった研究室なのだ。
校舎の隅にあるクスシリム準教授の研究室は、それこそ知らない人間から見れば庭師の作業部屋か用務員室にも見えてしまうだろう。だがその土埃に塗れた部屋こそがクスシリム準教授が研究室であり、半ば他の研究室から隔離されているのも理由があるのだ。
「あ…!?ハルトさん…私の後ろを付いてきてくださいね…!この辺からは危険なので…!」
「いいのか?俺はこの辺まで立ち入る許可を得ていないんだが…」
「私と一緒なら大丈夫ですよ…?それにこの時間ならクスシリム先生は多分奥の作業場ですので…」
入り口の扉を抜ければ中庭のような庭園が顔を出し、更に進んでいくと温室や寒室、暗室などの特殊な部屋が立ち並び始める。既に一般の生徒の立ち入りは禁止されている区画であるため、周囲には危険な植物の姿も見え始める。
聞くところによると、この危険な植物は盗まれる可能性のある高価な植物の守りであると同時に、その更に奥にある致死性、かつ攻撃性の高いより危険な植物から生徒を守るためにあるらしい。植物による特殊な守りは単なる錠前よりも効果的に働いているのかもしれない。
「あ…!?クスシリム先生…!お呼びと聞いたのですが…」
「あらあら、わざわざごめんなさいね。二人とも揃っているなら丁度いいわ。あっちのお部屋に入っていて貰えるかしら」
畑仕事を終えたところだったのだろうか、クスシリム準教授は農作業の道具を用具室に仕舞いこんでいるところであった。タルテの声で俺らの存在に気付いた彼女は俺らが通り過ぎた部屋の一つを指差して用具室の中に消えてゆく。
彼女の言葉からしてやはり別々の用件で呼び出したのではなく、俺とタルテに共通する用件で呼び出したのだろう。俺とタルテは妖精の首飾りに所属する仲間ではあるが、オルドダナ学院の学徒としては繋がりはない。だからこそ何故二人に共通の用件があるのかと不思議に思えるが、俺らは素直に指定された一室に向かう。
「おぉ…。この部屋は綺麗なんだな。そととは随分と印象が違うが…」
「この部屋は本も多いですからね…。流石に土汚れを入れるわけにはいきませんよ…」
先頭を歩くタルテの後姿を追いながら部屋の中に入れば、そこは細かいところまで掃除の行き届いた一室であった。マルフェスティ教授の研究室と同様に壁の書架には本棚が並び、紐に吊るされて乾燥されている薬草の臭いに混じって仄かにインクの香りも鼻腔に飛び込んでくる。
外の植物園は実物を重んじる研究者としての側面を印象づけたが、この部屋はまさしく植物学者としての赴きを感じさせてくれる一室だ。タルテは慣れた手つきで椅子を引くと、吊り下がった薬草の一つを手にとってお茶を入れ始める。
「おお…これは当たりの
「手馴れているけど…勝手に飲んでいいのか?」
「この部屋に下がっている
何が大丈夫かは分からないが、どうやら飲んでしまっても問題ないらしい。俺の不安げな声をよそにタルテはにこやかな表情で俺にハーブティーを注いでくれる。…もしやクスシリム準教授の用件とやらは人体実験のお誘いなのだろうか。
メルルは為政者は巨人族の特性を欲すると言っていたが、他にも人体実験の検体を探している研究者も巨人族の特性を求めているのかもしれない。何処かから漏れた俺の出自がクスシリム準教授の耳に入ったのだろうか…。
そんな考えが一瞬頭を過ぎったが、流石にそれは無いだろう。毒が効かないように大半の薬効も消してしまう巨人族が人体実験の検体になっても意味は無いのだ。他にも毒見係などに適正があるようで、毒が効かないゆえに毒を検地することが出来ないため巨人族は毒見係には向いていないのだ。
そんな事を考えながら俺はタルテに礼を言ってハーブティーに口をつける。タルテが当たりと言ったのも納得できるほどそれは香りがよく、薬効が効かないはずの俺にも心を落ち着けるような味わいを感じ取ることが出来た。
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