第693話 熊の執着、抱きしめて
◇熊の執着、抱きしめて◇
「この…!なんなのだこの鳥は…ッ!?」
投げナイフを弾き飛ばした
そして二人のフキの視線が
「貴様…目が覚めて…ッ!?」
「…その顔は忘れまいぞ…。討たねばならぬ…応報せよと…叫んでいる…」
唐突に膨れ上がった気配に分身のフキが咄嗟に振り返るが既に遅い。正気に戻ったのか、あるいは精神が汚染されても残夜の騎士団の標的であるフキの顔は覚えているのか、オッソの両手はしっかりとフキの身体を抱え込んだのだ。
まるで愛の抱擁をするように、その両手はフキをきつく抱きしめた。そしてまるで呪詛を呟くかのようにオッソはフキの耳元で言葉を紡ぎ、段々と両腕は万力のように締めあがってゆく。オッソに捕まったフキが人質の少女の存在を活用しようと分身に視線を投げかけるが、俺だってこのチャンスを眺めていたわけではない。
投げナイフが無ければ即座に少女を傷付けられる心配も無いのだ。更に言えば
「きゃぁ…ッ!?」
「手荒で悪いな。じっとしててくれ…」
分身が炸裂することを警戒して俺は少女を抱えると即座に飛びのいた。窓から飛び降りた時のことを思い出したのか、少女は小さな悲鳴を上げたものの直ぐに俺に身を任せるように脱力した。人質が解放されたのを確認したからか、
「よくも…よくも…やってくれたな…!」
「こちらが先だ!私を優先しろ!」
吹き飛ばされた分身のフキが俺と
本体はオッソに抱かれているだけだが、熊獣人の抱擁は命に関わるものだ。だからこそ本体は自分の救出を優先させたのだろう。しかしもちろん俺がそれを許すわけは無い。目まぐるしく変化する状況の中で、互いが勢いに任せて交差する。
「そこを除け!風魔法使い!」
「やると思ったよ。流石に底が知れてきたな」
分身から放たれた投げナイフは俺ではなく開放した人質の少女に向かって投擲される。だが、そうするだろうと読んでいた俺は既に少女の周囲に強固な風壁を張ってある。その風によって投げナイフは容易く逸らされ一本たりとも少女に辿り着くことは無い。
そして投げナイフの攻撃が空振りに終わったということは俺の攻撃を受ける隙にも繋がる。フキは間合いを詰められることを嫌い、俺が接近すると即座に距離をとっていたのだが、今回は本体の救出に向かうため離脱するために訳にはいかない。だからこそ小さなナイフで俺の双剣を受けるつもりなのだろうが、ナイフの扱いでハーフリングの剣術が負けるはずなど無いのだ。
「不惑こそ盲。知れば受けれず、見れば惑う八風の剣…」
俺は飛び掛るようにして空中でフキに切りかかる。大振りな太刀筋は予測がしやすく即座にフキは攻撃を受け止めようと投げナイフを構えるのだが、そこに俺の剣が向かうことは無い。風が爆ぜることで俺の身体ごと軸が回転し、振り下ろしは横薙ぎにへと変化する。頭上からの攻撃を受けるために構えていたフキは胴体ががら空きであり、俺の剣は阻まれるもの無く胴体を叩き斬った。
「…なんだ…その…異常な軌道は…」
「空中で剣を曲げるのは…お前だけじゃなくて俺も得意なんでね」
フキは呪符を用いて投げナイフの軌道を空中で変えていたが、そもそもそれは風魔法使いの得意な手法だ。俺の場合は自分ごと軌道を変えるが、そこに大きな違いはあるまい。腹の大部分を切断された分身のフキは声を漏らしながら倒れこみ、地面に触れる前に呪詛が解けて多量の血に変わる。
頼みの綱が一太刀の下に二分されたからか、オッソに背後から抱き込まれている本体のほうは俺を睨みつけながら苦悶の声を上げる。俺はそちらを一瞥するが、流石にオッソごと叩き斬るわけにもいかないため先ほど救出した少女の元に戻る。
「あ、あの……風の魔法使い様…。お怪我は…」
「問題ない。縛ってる縄を切るから動かないでくれ」
戻ってきた俺に少女が声を掛けてくるが、その視線は直ぐに抱きしめるオッソと抱きしめられるフキに戻る。彼女からすれば最初に襲ってきたオッソが先ほど自身を攫ったフキを襲っている状況がいまいち理解できないのだろう。…厳密に言えば攫ったのは抱きしめられているフキと瓜二つの存在であり、その瓜二つの存在は俺に斬られて何故か死体ではなく血に変わってしまっている。混乱するのも無理は無いはずだ。
「この…死に損ないがぁ…!」
「そうだ…私は死に損なったのだ。あの夜に…生き残ってしまった。だからこそお前らにこの手が届く…」
俺が少女を開放している間にもオッソはギリギリとフキを締め上げている。既に肺に空気を吸い込むことも困難なのか、フキから漏れる苦悶の声は息が足りずに掠れてしまっている。それでもその声に応えるかのようにオッソの力は更に苛烈を増し、万力を通り越して破砕機へと変貌する。
見たくは無いと思っていても人間が圧縮される異様な光景がどうしても目に入ってきてしまうのだろう、縄が切れ腕が開放された少女は俺の身体で目隠しするように抱きついてきた。身体はガタガタと震えており、その震えを押し留めるように俺の身体に回された彼女の手に力が込められる。
「…チュイ?」
「…応援はいらないだろう。向こうはオッソが片付けてくれるはずだ」
抱き合っている人間が二組存在する異様な状況ではあるが、その状況は余り長くは続かない。俺は音が聞こえぬように少女の周囲の音を奪い、それを待っていたかのようにオッソが最後の力を込めた。
「次の復讐者はお前だ。…地獄で私を待ってるがいい」
オッソの言葉と共に骨が砕ける鈍い音が響いた。フキの口から最後に漏れたのは声ではなく、潰れた血肉が鳴らす酷く汚い吐瀉音であった。フキが事切れたことを確認するとオッソはゆっくりとその手を弛め、自分の手にこびり付いた血を確認する。
「正気に戻っているのか?…状況はどこまで理解している?」
俺は呆けたようなオッソに声を掛ける。オッソは俺の声に軽く頷いた後、燃える邸宅と怯える少女を見て悲壮感に暮れるように目元を手で覆った。
「…全て覚えている。まるで…酩酊しているかのように現実味が無かったが…。弁解するわけではないが…復讐心が自我をもって暴走しているようだった…」
自分がしたことがその肩に重圧となって圧し掛かったのだろう、オッソは脱力するように腰を地面に下ろし嘆くように首を横に振った。火傷を負い血に塗れた恐ろしい姿のオッソだが、その様子はどこか哀愁が漂っている。火の粉は舞い降り注ぎ、血に濡れた地面に座り込むオッソは、やはりまだ夜に取り残されているのだろうか。
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