第690話 夜を散らせるために
◇夜を散らせるために◇
「初めて顔を俺に見せたな。…手配書の似顔絵はそこまで当てにならないと思ってたんだが、意外と似てるもんなんだな」
手配書でその顔を知っているとはいえ、実際にフキの表情を確認するのは始めてである。倉庫で争ったときも学院で争ったときも奴はその黒衣のフードで顔を隠して戦っていたのだが、今は俺に見せ付けるように顔を露にしたのだ。
ハカは男にしては長い髪を蓄えており、彼は頭を振るって黒衣の下から髪を外に出す。あまり手入れが行き届いておらずボサボサとした印象も抱くが、黒く長い髪は夜によく似合っていた。相変わらず黒衣の下には大量の投げナイフを仕込んでいるのか、髪に合わせて黒衣も重そうに揺れる。
「何だ?残夜の騎士団と我らが組んでいたのは疑問に思わなかったのか?」
俺はいつ戦闘が始まっても構わないように備えていたのだが、時間がないはずであろうフキのほうから俺に言葉を投げかけてきた。
「精神に関わる呪詛で操ったんだろ?せめて完全に自我を消すか、逆にばれないほど正確に操って欲しかったな。会話が可能なのに言動が異常過ぎるもんだから不気味でしょうがない」
「ほう…。知っていたのか。精神系の技術は一般には伏せられているはずなのだがな」
俺はオッソの様子を思い出してフキに文句を返す。もちろん簡単には見破れない精神汚染のほうが厄介なのだろうが、中途半端であるからこそ、それが違和感となって戦う際にはノイズにもなるのだ。
フキは精神汚染に感付いたことを賞賛したが、それは皮肉ではなく本心から来るものなのだろう。闇魔法による精神の沈静化や光魔法による高揚程度ならまだしも、強固に精神に作用する魔法や魔術は禁忌とされているのだ。だからこそその情報は秘されており、詳しく知らないものが大半だなのだ。
「これでも随分と手は尽くしたのだ。あの男が狂気に進むように…悲鳴を聞かせ血を見せて…わざわざ邸宅に火を放ったりな」
火を付けたのはオッソだと思っていたのだが、どうやら放火したのはこの男であったらしい。フキは俺の背後にある燃える邸宅を眩しそうに見上げている。…オッソは燃える邸宅の中で過去の情景をリフレインしていた…。フキが火を放ったのは、オッソの復讐心を煽ってホロデナント伯爵の殺害に向かわせるためだろうか。
「…つまりお前でも完全には操れないみたいだな」
「その通り。私がしたのは理性の箍を少し緩めただけ。この惨状はそこで寝ている男が望んだものということだ」
不完全な精神操作を指摘したのだが、フキは逆に惨状の罪をオッソに被せるような言葉を吐き出した。それは自身の潔白を示すというよりも、残夜の騎士団であるオッソも罪を背負う人間なのだと言い張るようでもあった。
「ふふふ。哀れなものだろう?残夜の騎士団とはそういうことなのだ。こいつらは未だに惨劇の夜から覚めておらず、何時までも囚われている…故に残夜と名乗っている幽鬼達の集まりだ」
「…妙に詳しいじゃないか。一応は敵対組織なんだろ?」
厳密に言えば復讐の理由を忘れないために残夜と名乗っていた筈だが、ある意味ではフキの言うことも正しいだろう。彼らは復讐に囚われ、再び歩み始めるために復讐を胸に誓った者達なのだ。だが決してそれは嘲笑の対象になるものではない。それは彼らにとっての禊であり、ましてや残夜の騎士団の標的になっている者が否定してよい感情ではないはずだ。
自身が狩りの標的になっていることが許せないのだろうか。オッソのことを嘲笑するフキには、自分達こそが狩る側なのだというどこか肉食獣のような傲慢さを感じ取ることが出来た。
「敵だからこそ知っているのだ。…最近は流石に目障りになってきたので、これを機に排除することにしたのだが…。まぁ、もののついでに…な」
「騎士達を利用するつもりか。…俺が騎士達に証言するとは思っていないのか?」
「お前一人の証言で止めきれるものか。貴族は面子を守るために残夜の騎士団を徹底的に排除するだろう」
ようやくフキの目的がハッキリとしてきた。フキは残夜の騎士団を排除するためにオッソを操ってホロデナント伯爵を襲わせたのだろう。大量の人員を抱える残夜の騎士団を排除するなど、たとえ蛇の左手の戦力が優れていたとしても容易ではない。しかし構成員が貴族を襲ったとなれば、この国の騎士団が代わりに彼らを排除してくれるのだ。
学院にて襲ってきたハカを魔物化させたこともそうだが、フキは他人を利用するのを好むらしい。あるいは呪符をつかって自分の分身を作り出すあたり、自身も駒の一つにしか過ぎないと考えているのかもしれない。
「だが…人を呪わば穴二つとも言うしな。念には念を入れておこうか…」
「ようやくやる気になったのか。火事場じゃなくて井戸端にいるかと思ったよ」
フキは黒衣の袖口に手を入れると中から一枚の呪符を取り出した。残夜の騎士団に罪を着せるために俺の口を封じる旨の言葉を口にしたが、本当の目的は俺が手に握っているメルガの曲玉なのだろう。現にフキはチラリとメルガの曲玉に視線を投げかけている。
そもそもフキはこのメルガの曲玉を回収するためにオッソを待っていたのだろう。奴からすれば俺が現場に駆けつけ、先にメルガの曲玉を回収したのは計算違いであったはずだ。俺はメルガの曲玉を奴に奪われないために、それを腰元のポーチの中に仕舞いこんだ。
「さっさと済ませても良かったのだがな、言ったとおり人を呪わば穴二つ。これだけ会話を重ねれば縁も深くなるというものだ…」
フキは俺に向けて左手を伸ばすと指先に摘んだ呪符がチリチリと燻り始め、周囲に漂う火の粉に混ざり合った。何かしらの呪術が発動するかと俺は身構えたが、その呪符が燃え尽きても何も発動する素振りはない。
だが不発ではないのだろう、俺を見つめるフキはニタニタとした笑みを浮かべており、その笑みは自信に満ちている。俺は不審げな眼差しでフキを見返すが、僅かにその視線は逸れることとなる。ポーチの中から光が漏れ出していることを俺の握る双剣が光を反射して教えてくれたのだ。
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