第688話 北風と太陽式脱衣
◇北風と太陽式脱衣◇
「蛇の左手だと?ホロデナント伯爵を庇う貴様のほうが詳しいのではないか?お前も組する者なのだろう…」
ホロデナント伯爵に至るためには俺をどうにかするしかないと理解したのか、オッソは俺を恨みがましく睨みつけてくる。俺に対する苛立ちと敵意、その意思を増幅したのだろうかメルガの曲玉がオッソの胸元で怪しく明滅した。
一度は火の海に飲まれたオッソの服や装備の一部は焼け焦げているが、彼の肉体は五体満足であり重度の火傷も負っていない。恐らくは階下に落下した直後、肉体に燃え移る前に一気に安全圏まで駆け抜けたのだろう。
「…そのメルガの曲玉を返してくれれば俺は退いてやるよ。言っただろ?俺は取り立てに来たんだよ」
「この石は…そうだ。メルガの曲玉…蛇の左手が狙っているのだったな。つまり、そういうことか…」
俺は駄目もとでメルガの曲玉を手放すようにオッソに進めたが、むしろそれが逆効果であったようでオッソは守るようにメルガの曲玉に手を当てた。確かに蛇の左手がメルガの曲玉を狙っていることは真実ではあるが、俺が蛇の左手ならばそもそもオッソにそれを託すことはしなかったはずだ。そんな当たり前のことに気が付かないあたり、メルガの曲玉に精神汚染の力が宿っていることは間違いないのだろうか。
メルガの曲玉を守るように身構えたオッソだが、ホロデナント伯爵を追いすがっている彼が攻める立場であり俺のほうが守る立場である。この間も離れていくホロデナント伯爵に焦らされたのか、戦闘の口火を切るかのようにオッソは俺目掛けて体当たりを仕掛けてきた。
「その矮躯で私を止められるとは思うなよ!私は…強くなった!あの夜のままではないぃ!」
「なんだよ、他人を怯えさせてしまうと大きな身体を嘆いていたのは建前だったのか?」
剣を盾代わりにした体当たりに、その後隙を潰す爪での攻撃。全身を使うような攻撃はまさしく獣人族ならではであり、産まれながらの肉体的強者の本領を発揮する。避けてもいいのだが、余り逃げていては再びホロデナント伯爵を追い始めてしまうだろう、俺はあえて距離をとらず強引にオッソと切り結んだ。
圧倒的な体重差は埋められないものの、筋力では俺も負けてはいない。金属と金属が衝突する鈍重な衝撃音が響き、それが火のはぜる音と混ざることで鍛冶場のような環境音を奏でることとなる。周囲に展開した俺の風は火花を巻き込み、まるで蛍の群のように俺とオッソの周囲で軽やかに渦巻いた。
「あぁ、燃えてるな。あの…あの夜も燃えていた。皆燃えたのだ…」
「燃えてるも何も火をつけたのはお前だろ。何を今更…」
傍から見れば舞い散る火花は人の目を引き付けるほどに美しく映るだろう。だが暗い光を灯すオッソの瞳にはそうは映らなかったらしい、過去の忌々しい記憶が掘り起こされたのか慟哭するように手を荒々しく振り切った。
強引な攻撃だが体重が乗っているため俺は溜まらず後ろに吹き飛ばされることとなる。オッソが狙ってやったのかは不明だが吹き飛ばされた先は燃え盛る邸宅であり、俺は風を吹かせて何とか体勢を変えたものの、勢いは殺しきれずに壁をぶち破ることとなった。
「そこかぁぁあああ!!」
距離が開いたことでオッソがホロデナント伯爵に向かうのではないかと心配したが杞憂だったらしい。オッソは俺を追って壁をぶち破り邸宅の中に進入してきたのだ。
「入ってくるなら扉から入れよッ!崩壊させるつもりか!?」
焼ける邸宅がいつ崩れるか不明であるため、せめて俺が開けた穴から入ってきて欲しかったが流石にオッソの巨体が入れるほど穴は大きくなかったらしい。壁が大きく破壊された影響か天上からは火の混じった燃えカスがパラパラと降り注いだ。
堪らず俺は周囲に強烈な風を吹かせて降り注ぐ火の雨を逸らす。俺が突入した一階は床が石造りであったため火の勢いはさほどでもなかったのだが、風を吹かせたことで一気に炎の勢いが加速した。
「ぁぁあぁあぁ…母さん…どこに…行った…。仇は…どこにいる」
燃え盛る火の光景を見て、更に過去の情景がリフレインしたのだろうかオッソは混乱するように頭を揺らす。その精神に観応したのかメルガの曲玉も不気味に光を放ち始めた。
「その不気味な石はさっさと手放したほうがいいな…」
「これ以上…私から何を奪うのだぁ!」
俺は周囲に吹かせた風をそのまま包み込むようにオッソに目掛けて吹きかけた。局所的に吹き荒れる竜巻は勢いを増し、オッソは目元を守るように腕を翳した。縄で縛られペンダントのようになっているメルガの曲玉がマフラーのようにはためくが、それでも強固に縛られているせいで外れることはない。
それどころか吹き荒ぶ風がオッソの対抗心を刺激したのか、俺に向かってゆっくりと近づいてくる。もともとオッソの巨体を吹き飛ばせるような風量ではないため、ジリジリと俺とオッソの距離は詰まっていった。
「逃げぬということは…罪を自覚したか…」
「俺や騎士から逃げていたのはお前だろ?精神汚染は戦闘には影響がないようだが、戦術となると鈍ってるようだな」
まともな精神状態であれば、風を吹かせているだけで逃げることも攻撃してくることもしない俺の様子に疑問を抱くことだろう。しかしオッソは都合の良い解釈をして俺の間近に詰め寄ってきたのだ。俺はオッソの接近に合わせて奴の近くにあった扉を勢い良く開け放ち、中に大量の風を流入させた。
風でメルガの曲玉を取り上げられないのであれば、次に何をすればいいのかは童話が教えてくれる。冷ましてだめなら熱してみればよいのだ。既に一度みせた攻撃ではあるが、今回は空気の流れが遮断されていた部屋に大量の空気を流入させたためより強烈な反応を示す。
風が入り込んだ次の瞬間にはバックドラフトが発生し、反動のような凶悪な火の手が扉から噴出したのだ。それは扉の前に立っていたオッソを容易く飲み込み、奴の姿を覆い隠した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます