第687話 一途な思いを振りかざす
◇一途な思いを振りかざす◇
「火を付けたのは間違いだったな。少し熱くなり過ぎてるようだから、熱を冷ましてからまた会おう」
火の手が回ってきたことでこの部屋も呼吸が苦しくなる程の熱を孕んできている。それでもまだ燃えていない場所のほうが多いのだが、開いた穴から見える階下はまさに火の海である。そんな場所の炎を風で焚付けたものだから、階下から火柱が沸き立ち部屋の中を加速度的に燃やしていく。
壁のように立ち上がった火の柱に堪らずオッソはホロデナント伯爵に向かう足を止める。俺はそんな彼を尻目にホロデナント伯爵に駆け寄り、彼を抱え込むとオッソと火の手から逃れるように部屋の扉から飛び出した。
「お、おい。どこに向かうつもりなのだ!?階段は右だ!」
「どこって…、目の前に出入り口があるだろ。わざわざ階段まで遠回りするのも馬鹿らしい…」
廊下にでれば目の前には俺の入ってきた窓がある。お姫様抱っこされているホロデナント伯爵は俺に避難経路を示すかのように右手方向を指し示したが、俺はそれを無視して窓目掛けて駆けてゆく。
俺が窓枠に足を掛けると、同時に背後からメキメキと木々が裂かれるような音が響き渡った。そしてその音を呼び水とするように今度は轟音が鳴り響き、熱風が俺の背後を建物の外へと押し出した。恐らくは部屋が自重に耐え切れず床板が崩落したのだろう。オッソがどうなったか気になるところだが、それを風で確認することよりも今は着地が優先だ。俺は強烈な上昇気流を吹かせて重力加速度に反抗する。
「びゃぁあぁぁあぁぁあぁあ!!」
三階からの逃亡劇に抱えたホロデナント伯爵が悲鳴を上げる。お姫様抱っこをしているため迫る地面は見えていないはずなのだが、背後から地面に落ちる感覚が余計に恐怖を掻き立てるのだろうか、野太い悲鳴は夜空に無常に響く。
しかし先ほど救出した少女ならまだしも、いい歳したホロデナント伯爵にそこまで気を使うつもりはない。少々荒っぽくなってしまうが、俺は風を爆ぜさせ強引に減速して地面の上に降り立った。吹きぬけた強風で周囲の草葉が舞い上がり、その風が収まると同時に俺は抱えていたホロデナント伯爵を地面の上にゆっくりと降ろした。
「お父様ッ!」
「お、おおお。セルマータ、無事であったか…」
野太い悲鳴を聞きつけて先ほど助けた少女が駆け寄ってくる。ホロデナント伯爵は傷の痛みに耐えながら彼女の抱擁を受け止め、彼女の背中を優しく叩いた。駆けつけてきたのは彼女だけではなく、執事やメイドも彼女らの後ろに控えている。そして執事は僅かに顰めたホロデナント伯爵の表情から肩口の怪我に気付き、少女がホロデナント伯爵から離れると即座に破ったハンカチを止血帯代わりにして応急処置を施した。
その治療でホロデナント伯爵が怪我をしていることに少女も気が付き、口元を両手で覆いながら心配そうにホロデナント伯爵を見つめている。しかしそんな不安を払拭するようにホロデナント伯爵は少女に向かって微笑みをかえした。
「すまない。助かったよ…」
「あの…ありがとうございます…」
治療を受けながらホロデナント伯爵が俺に礼を述べる。そして少女もまた祈るように胸の前で手を組みながら俺に向かって頭を下げる。少女は礼を述べながらも俺が何者なのかと気になるようで、伏目がちに顔を伏せながらもチラリチラリと俺に視線を投げかけてきた。
だがしかしあまりのんびりとしてもいられない。燃え盛る火の熱はここまでも迫ってきており、それこそ建物の倒壊が始まれば巻き込まれるかもしれない距離にいるのだ。メイドが少女の背中に手を添えると、彼女をここから引き離すように促した。
「旦那様もお早く…。離れのほうは無事ですので、そちらで確りとした治療を致しましょう」
「あ、ああ。…君も来てくれるかな。直ぐには礼を渡せないが、何かしらの形で酬いる事を約束しよう」
執事も熱量に顔を顰めながらホロデナント伯爵に離れるように声を掛ける。ホロデナント伯爵は素直に足を進めるが、その前にチラリと燃える邸宅に目を向けた。その視線は俺らが飛び出してきた窓に注がれており、家が燃えたことを嘆いているのではなく、火に埋もれることとなったメルガの曲玉を心配しているのだろうか。
結局、火の海の中にオッソ諸共メルガの曲玉を置いてくることとなった。メルガの曲玉を危険視していたホロデナント伯爵にとっては、その破壊を見届けたかったのだろう。しかし、こうなってしまっては今すぐ打てる手立てはない。だからこそホロデナント伯爵は俺にも離れるように声を掛けた。
「…俺は…まだ後始末が残ってるんで。巻き込まれるだろうからさっさとここから離れてくれ」
だが俺はホロデナント伯爵の誘いを断って鞘に収めていた双剣を引き抜いた。唐突に鳴り響いた鞘擦り音に少女やメイド、執事が驚いたように俺を見つめたが、直ぐにその視線は俺の背後の燃える邸宅へと注がれることとなった。
「ホロデナントォォオオ!!逃がすものかぁッ!」
轟音と共に二階の壁を打ち破ってオッソが飛び出してくる。業火の中から姿を現すその様子は地獄からやってきた極卒のようであり、執念に濡れた瞳はおぞましいほどに暗く瞬いている。放物線を描きながらこちらに向かって落下してくるオッソ目掛けて、俺は跳び上がって空中で迎撃する。
「セルマータを連れて逃げてくれ!早くしろ!私は…外に逃げる!奴の目的は私だ!」
「なっ…!?どうなさるおつもりですか!?」
これを単なる火事だと思っていたのだろう、少女やメイド、執事は唐突に姿を現したオッソに驚き動けずにいた。そんな彼らに発破を掛けるようにホロデナント伯爵が指示を出し、彼は向かう予定であった離れとは逆の方向に逃げ始めた。
自分が離れに逃げ込めば娘や使用人を巻き込むと判断したのだろう、一人で逃げるのは感心しないが、外に向かえばこちらに向かってきているであろう騎士に保護してもらえるかもしれない。そういう点では正しい判断ともいえるだろう。
「なぜ…なぜ邪魔をするのだ!どちらが悪か解らないのかッ!」
「知るかそんなもん。そんなことより蛇の左手はどこに居るんだよ」
空中で剣を切り結ぶ俺に対してオッソの怒声が響く。ホロデナント伯爵が蛇の左手と繋がっている証拠を出されれば俺だってオッソに協力的にはなるだろうが、オッソはホロデナント伯爵が悪だと断定するだけで根拠を示さない。
少なくともここまで大事になればホロデナント伯爵は騎士団の調査対象になるはずだ。そうであるならばホロデナント伯爵は証言をしてもらう必要があるため死なせるわけにはいかない。このままでは憎しみのままに我侭にオッソはホロデナント伯爵を傷付けてしまうだろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます