第686話 心を惑わす物

◇心を惑わす物◇


「あんたもオッソも何も説明しないつもりかよ。言葉にしなきゃ伝わらないこともあるだろ…」


 俺は呆れながらも何を隠しているのだと問い詰めるような視線を向ける。オッソが飛び掛ってくる可能性があるため暢気にお喋りをしている訳にはいかないが、少なくとも戦いは命を賭けるものなのだ。出目の期待値がどうであれ、俺は納得しなければ命のチップを賭けたくはない。


 理解し納得したのならばそこから先は俺の選択だ。それならば、たとえ結果的に俺の命が果てようとも俺は納得することができるだろう。…何も解らぬままフーサン地区を殲滅されたであろうオッソも、ある意味では納得するためにここまで来たのだろうか。


「ならば先に教えてくれ。お前は何者なのだ…?血啜り…蛇の左手ではないのだな…?」


「何者と言われてもな。今はオルドダナ学院の教授に雇われている狩人で…、騎士団に出向中の身分だ。残念ながらそれを証明するものは執事に渡してしまったがな。…ああ、娘さんらしき子は救出したぞ…」


 娘の存在を口にした瞬間、強張っていたホロデナント伯爵の肩が少し下がる。口にはしなかったものの娘の存在が気がかりであったのだろう。そしてその言葉が信用を得ることに繋がったのか、ホロデナント伯爵は意を決したように俺を見据えた。


「あの石は…十中八九、精神汚染を引き起こす呪物だ。…それを味わったことがある私が保証する。そこの男は…感情が増幅され理性が機能していないのだろう」


 メルガの曲玉にそんな機能があるとは聞いた記憶もないが、ホロデナント伯爵は間違いないと断言するようにそう語った。現に今のオッソの様子は異様であり、まるで催眠術に掛かった人間か夢遊病の患者のようだ。


 思い起こせばマルフェスティ教授もメルガの曲玉を手放すことを反対していたのに、いざ手放してみればメルガの曲玉に対する執着をなくしていた。あの態度の変化もメルガの曲玉が精神汚染の機能を有していたからなのだろうか。


「…そういえばメルガの曲玉も成長するタイプの呪物だったか…。それで精神汚染の能力を獲得したのか?」


「決して触れるなよ。非接触ならば影響は無いようだが、触れればたちまちに侵食されるはずだ」


 俺が独り言を漏らしながらオッソに相対すれば、背後からホロデナント伯爵はそう俺に忠告する。俺に呪物の影響があるとは思えないが、本当にあれがそのような呪物ならば破壊してしまったほうがいいだろう。執着心をなくしたマルフェスティ教授が悲しむとも思えないし、何よりオッソが正気に戻る可能性もある。


 俺がこの部屋に来たときよりも炎の勢いは増してきており、それが残り時間の少なさを教えてくれる。たとえ風で煙や炎を逸らしたところで焼け落ちる運命は変えられないだろう。その炎に急かされたのだろうか、あるいは俺が障害だと見限って排除するつもりになったのだろうか、オッソは無言で剣の切っ先をホロデナント伯爵から俺に移した。


「なるほど、そうか。君も蛇の左手の一員か。だから邪魔をするのだな…」


「なんでそうなるんだよ…。陰謀論でももっとマシなこじつけをするだろ」


 オッソはホロデナント伯爵と同じように俺の肩口に向けて剣を突き刺してくる。俺を蛇の左手と断定したものの、殺すのではなく無力化するつもりなのだろう。意外な優しさをみせたもののその剣は迷わず俺目掛けて迫ってきており、俺はそれを上方に弾くようにして逸らした。


 認めたくはないが、体躯を比べれば大人と子供のようなものである。だからこそオッソは俺に剣を弾かれると思っていなかったのだろう、後退しながら警戒するように俺を睨め付けた。オッソは大柄な体格とは裏腹に、前傾姿勢で背を小さく丸めるようにして片手剣を構え、もう片手は鋭い爪を示すように手の平を開いてみせる。


「…呪術による筋力の増加…か?だが剣士ならばまだやり易い。そんな輩は何人も斬ってきた」


「精神汚染されているのに戦闘能力は据え置きかよ…。随分お得な操り人形だな」


 オッソの反応を見て俺は思わず文句を呟いてしまう。ホロデナント伯爵の語る精神汚染がどのようなものかはわからないが、正常な精神でないのならば剣筋も鈍って欲しいものだ。しかし少なくとも剣を構えるオッソは戦士としての感覚は鈍っていないのだろう、剣筋は曇ることなく振舞いも自然なものだ。


 オッソは獣人の瞬発力を生かしまるで砲弾のように俺に迫ってくる。その重量感のある体当たりを避けて俺はカウンターの剣を叩き込むが、それは片手剣によって阻まれる。そして鍔迫り合いと成った体勢を破綻させるのはオッソの空いた片手による爪撃だ。爪は容易く床板を破砕し人の胴体ほどの穴が空く。


 片手剣よりも爪を使ったほうが破壊力があるのではないかと思えるが、事実、オッソは片手剣を受け流し用短剣パリーイング・ダガー左手用短剣マンゴーシュのように防御のために使っている。攻防自在の片手剣で立ち回り、作り出した隙に爪を叩き込むのがオッソのスタイルなのだろう。


『俺が戦っている間に入り口のほうに移動してくれ。刺激しないようにゆっくりとだぞ』


 俺はオッソに聞かれないように風でホロデナント伯爵に声を飛ばす。できればオッソの首から下がるメルガの曲玉を回収、あるいは破壊したいとこだが、制限時間の迫るこの状況ではホロデナント伯爵の救出が最優先だ。俺の指示だと理解したホロデナント伯爵はゆっくりと壁を背にしながら移動を開始した。


 その間も俺とオッソの戦闘は過激になってゆく。大きな的だから斬りやすいと俺が剣を叩き込めば、オッソは片手剣で受けながら体重差を利用して強引に俺を跳ね飛ばす。そして諸共を抉るような爪を俺目掛けて振るい、俺は敏捷な身のこなしでそれを回避する。


 オッソはもちろん俺も遠慮なく部屋を荒らすような攻撃を繰り出す。どうせ燃えてしまうのだから遠慮することはないだろう。ポールハンガーは真ん中で切断され、机は既に薪に変わって図らずとも火にくべられる事となる。そして壁際の本棚から吐き出された本もまた床に散らばり、そこに火が着火して更に火の勢いが増してゆく。


「くぅ…ッ」


 そしてその火の勢いに煽られてホロデナント伯爵が苦悶の声を上げてしまう。そのことでホロデナント伯爵が逃げようとしているのに気が付いたのか、オッソが吼えるように声を張り上げた。


「…ッ!?逃げるつもりかァ!ホロデナント!罪から逃げられると思うなよ!」


 戦士としての感覚が残っていたからこそ、脅威度の低いホロデナント伯爵の存在を自然と無視してしまっていたのだろう。だがしかし、俺だけを見ていた瞳がホロデナント伯爵の方に移ったためそこに隙が生じることとなる。


「伯爵!部屋の外に向かってくれ!さっさと高飛びしよう!」


 俺は侵入してきた廊下の窓から大量の空気を流入させてホロデナント伯爵に向かうオッソの足を止める。そしてその空気は最終的にオッソの空けた床の穴から階下に向かい、そこの炎を更に燃え盛らすこととなる。


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