第684話 炎上に佇むもの
◇炎上に佇むもの◇
「あ…えっと…ありがとうございました…?」
地面に腰を落とした少女は俺の顔と自身が居た三階の窓を見比べながらそう呟いた。俺に抱えられてあの窓から飛び降りたことは理解しているようだが、衝撃を感じずに地面にまで降り立ったため不思議でしょうがないのだろう。
更には俺が見知らぬ人間であることも彼女の注目を集めている。俺は何者なのか、どうやって三階から降り立ったのか、何故火事が起きているのか。系統の違う複数の疑問が少女の中に積み重なり周囲の風景から現実味を削り取ったのだろう、どこか少女は呆けたように周囲を見渡している。
「お嬢様!お怪我はッ!?お怪我は在りませんか!?」
「え、ええ。大丈夫です…」
俺と少女の下に執事とメイドが駆け寄ってくる。この状況ではなりふり構っていられないのだろう、メイドは長いスカートを摘み上げ、執事は乱れた執事服を整えることすらしていない。駆け寄ると同時にメイドは俺から遠ざけるように少女を抱き寄せ、執事は俺と少女を遮るように間に立った。
俺が少女を助けたことは明白であるが、見ず知らずの人間に警戒心を抱かずにはいられないのだろう、特にメイドは俺を睨みつけているため非常に居心地が悪い。それと比べれば執事のほうは視線に棘は無いが、それでも視線を逸らさずに俺のことを見つめている。
「お、お父様は!?お父様はご無事なのですかッ!?」
だが、執事が俺を誰何する前に少女の声が響く。周囲の状況を理解し始めた少女が父親の姿が無い事に気が付いたのだろう、メイドに縋りつきながらそう問いかけたのだ。火事で混乱している現場では誰が居て誰が居ないなど咄嗟には判別できないが、屋敷の外に逃げ出せているのは使用人ばかりである、彼女の父親であろうホロデナント伯爵の姿は見つけられない。
そして少女の声に促されるようにして執事とメイドの顔が火の手の上がる邸宅の三階に向いた。そこは少女の居た部屋よりも火元に近く、ガラスの向こうでは炎が部屋の中を赤く色付けている。恐らくはそこがホロデナント伯爵の寝室、あるいは執務室なのだろうが、そこに二人の視線が向いたことで少女の顔が一気に青ざめた。
「そんな…!お父様はまだ中に居るのッ!?」
「お嬢様、落ち着いてください!もうすぐ警鐘を聞いた消火師がやってきますから!」
燃え盛る邸宅に近づこうとしている少女をメイドが抱え込むようにして必死に押し留める。少女の場合は窓際に彼女が居たからこそ何とか救助しようと動けたのだろうが、火の手が上がる邸宅にホロデナント伯爵を探すために進入するのは自殺行為だろう。使用人たちも水を掛けて少しでも火を消し止めようとはしているが、中に入って救助活動をすることはできずにいる。
「…自分は騎士の遣いできました。少し立ち入らせてもらいますね」
「は?ちょっと…!?お待ちください…!」
俺は目の前の執事にアデレードさんから預かった手紙を押し付けるように渡す。既に手遅れであろう情報だろうが、俺の身分を証明するためには一役買ってくれるはずだ。そして俺は執事が手紙の中身を確認するのを待つことなく、再び邸宅に向かって駆け出した。
この火事の原因も目的も不明であるが、これが残夜の騎士団の仕業であるのならば既に奴らは逃げ出したか、あるいは火事を隠れ蓑に何か事を成すつもりなのだろう。そして何よりオッソにとってはホロデナント伯爵は復讐の相手でもあるのだ。あの黒い気配が邸宅に火を付けるだけで雪がれるとは思えない。
「チュィ!!」
「お前はあの子の所で待機してろ!ここから先は煙に飲まれるからな、坑道のカナリアにはなりたく無いだろ?」
好奇心が旺盛なのか、尚も俺に付いて来ようとする
だが、それでも俺を先導するように飛立った
「…中までは付いてくるなよ。…カナリアどころか焼き鳥になるな、これは」
「チチチチッ」
外壁を駆け登った俺は窓枠に取り付くと
俺は空気を窓枠から流し込みバックドラフトが発生しないことを確認すると、窓を開き中に進入する。そこは左右に伸びた長い廊下となっており、壁に並んだ魔道灯の変わりに壁や床を紙魚のように侵食する炎が照らし出してくれている。
「…探す手間が掛からなくて助かるよ」
火事の現場は炎が引き起こす音に大量の上昇気流が風を阻害して音が聞き取りづらいのだが、流石に近場の音であれば問題はない。俺の目の前に佇む扉の向こうからは何者かの声が漏れ出ており、その声が
状況が状況であるため慎重に行動する暇もない。俺は滑るように扉の隙間から侵入すると、中に居る人間に無言で詰め寄った。
「驚いたな。…まさかここに辿り着くとは…」
「…随分、洒落た首飾りじゃないか。レンタル品だということを忘れたか?」
しかし十分に距離をつめる前に俺の存在は気づかれることとなる。部屋の中に居たのはオッソと血で濡れた肩口を押さえるホロデナント伯爵らしき男なのだが、ホロデナント伯爵の視界に扉から侵入してきた俺が映っていたため、彼の視線により俺の存在がオッソに伝わってしまったのだ。
こちらを振り返ったオッソの胸元には、ガラスの浮き球のように紐でメルガの曲玉が括りつけられていた。メルガの曲玉はいつか見たかのように怪しい光を放ち、まるで脈動するように文様を変えている。俺が言葉と共に剣先でメルガの曲玉を指し示しても、オッソはメルガの曲玉を軽く撫でただけで返却する様子はない。
オッソは驚いたと語ったものの驚いた素振りを見せることはなく、むしろ落ち着いた様子で佇んでいた。彼の瞳もまたメルガの曲玉のようにどこか怪しく暗い光を蓄えており、まるで瞳で意思を語るようにゆっくりと瞼を開閉した。
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