第683話 火は着き煙は燻る
◇火は着き煙は燻る◇
「…あと一歩遅かったってか…!?どこから貴族街に侵入しやがった…!」
立ち上った煙が炎に照らされて橙色に染め上げられており、俺はそれを見据えながら夜の街を駆け抜けてゆく。警鐘が鳴らされていないということはまだ火の手が上がった直後なのだろうが、それでも空に登る煙の量が単なる小火ではないと教えてくれる。
燃えているのは間違いなくホロデナント伯爵邸だ。まさかこのタイミングで無関係な火事がホロデナント伯爵邸で発生しているとは考えずらい、十中八九、残夜の騎士団か蛇の左手によるものだろう。民の味方を謳う残夜の騎士団が焼き討ちをするとも思えないが、オッソの行動を鑑みると有り得なくは無いと疑ってしまう。
「チュィッ!」
「とにかく向かうしかないよな。警備の騎士は何をやってるんだよ…」
あの手紙を陽動に使われたとはいえ、貴族街は夜警が行われている。こんな目立つことをして他の騎士は何をしているのかと俺は悪態をつくが、その理由はホロデナント伯爵邸に近づくに連れて明らかになった。
石畳の道の上に滴る血潮。その赤い道標の向かう先に二人の人間が蹲っていたのだ。恰好からして夜警をしていた騎士なのだろう、彼らは息も絶え絶えではあるがまだ息があり、苦しげな声を漏らしていた。時間がないとは言えども目の前に転がる怪我人を無視するわけにはいかない。俺は彼らに駆け寄ると容態を確認した。
「おい、意識はあるか。…随分と痛めつけられているな…」
「…す…すまない…。奴は…向こうに…。俺らは平気だから…先に行ってくれ…」
うなされる二人の騎士は俺が応援の騎士だと思ったのだろう。震える指先でホロデナント伯爵邸の方向を指差す。幸いにして出血死するような怪我は追っていないが、足は骨を砕かれており頭や胸にも打撲痕がある。命までは取らないにしても確実に行動不能にするような執念深さを感じ取ることができた。
先を指差す騎士に促されるようにしてホロデナント伯爵邸の方向へと目線を向ければ、赤い足跡が淡々と伸びている。俺は直ぐに他の応援も駆けつけると彼らに伝えてから、その足跡を辿るようにホロデナント伯爵邸に向けて再び走り出した。
そして俺がホロデナント伯爵邸の前に辿り着く頃には、火事が発生していることを確認したのだろう、どこか遠くで警鐘が鳴り始める。ホロデナント伯爵邸の門は何者かが押し入ったのだろう、金属製の門が捻じ曲がるようにして打ち捨てられ、庭には火事に騒ぐ使用人らしき者達の影ががった。
「駄目です!届きません!中から回り込まないと!」
「もっと長い梯子はないのか!?ホールはもう煙が凄くて近づけない!」
庭師のような男が壁にはしごを立てかけるが、彼らが目指しているであろう三階にはその梯子が届いていない。それでも執事らしき男が何とかしろと三階を見つめて騒ぎ立てている。他の使用人も井戸からくみ出した水を屋敷を炙る火にかけて回っているが、あふれ出すような大量の煙が屋敷の中に蔓延し消火活動がままならないのだろう、明らかに火の手は収まる様子がない。
ホロデナント伯爵邸は一階から火の手が上がり、二階、三階へと延焼していったのだろう。火の勢いは苛烈ではあるが、まだ邸宅は形を残してはいるため、警鐘を聞きつけた消火師や騎士が駆けつけてくれば全焼する前に消し止められる可能性はある。だが問題は執事や庭師の見つめる先にある。煙が溢れ出している三階の窓に人影が動いていたのだ。
「お嬢様!こちらに降りてこれますか!私が受け止めますから!」
「だ、駄目です…怖くて…足が…それに窓もこれが限界で…」
梯子の上で庭師らしき男が手を広げるが、その梯子は二階までしか届いていない。流石に三階から落下してくる人間を受け止めれるほどの安定性はないだろう。それに窓は大部分がはめ殺しとなっているらしく、換気のために一部は開くようだがその大きさでは人が通り抜けることはできない。恐らくは防犯のために人の通れない窓を備え付けたのだろうが、火事によってそれが裏目に出てしまっている。
俺は使用人たちが慌てふためく庭に踏み入ったが、誰も彼もが火事の対応に追われているため俺の存在に気が付いていない。かといって俺から声を掛けて暢気に状況を聞いている時間はないだろう、俺は自己紹介は後回しにしてホロデナント伯爵邸の壁を一気に駆け上った。
「少し窓から離れてろッ!」
「きゃっ…!?」
俺は窓の中にいる少女に声を掛けたが、唐突に現れた俺の姿を見て既に少女は驚いたように飛びのいている。俺はそのまま勢いに任せてはめ殺しの窓を蹴り破った。破壊されたガラスが部屋の中に飛び散るが、俺はその破片が少女に降りかからないように風を軽く弾けさせ、そのまま少女の目の前に滑り込むように着地した。
「あ、あの…」
「チチチッ!チュイッ!」
「黙って捕まってろ。少し怖いだろうから…目も瞑ってたほうがいいな」
俺が即座に部屋に渦巻く煙を排除すると、それによって視界が開け少女がまじまじと俺の姿を確認している。見知らぬ人間の登場に少女は混乱しているようだが、俺の周囲を飛び回る
大人しくしてくれるなら都合がいい。俺は少女に手を伸ばして抱きかかえると即座に進入してきた窓に向き直った。少女はこれから何が起こるかと察したのだろうか、目を瞑りまるでコアラのように俺にしがみ付いた。
「ひゃぁあぁああぁぁあぁあ!」
窓から飛び出した俺は、なるべく少女を刺激しないように壁面や風を利用してゆっくりと下降したが、それでも沸き起こる浮遊感に少女は悲鳴を上げる。だが、そんな浮遊感を味わうのも数秒の出来事である。直ぐに俺は柔らかな足取りで地面の上に着地した。
「お嬢様ァ!ご無事ですか!?」
地面に辿り着いても少女は目を強く瞑って俺にしがみ付いていたが、駆け寄ってきた執事の声を聞いてゆっくりと目を開く。そしてまだ俺にしがみ付いていることに気が付いて少女は慌てて手を離すが、腰が抜けてしまったのだろう、ストンと草原の上に腰を落とした。
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