第681話 明るくなっただろう

◇明るくなっただろう◇


「少年、無事な様で何よりだ。…建物から出てきたということは…ここは空振りということか」


 夜の闇に紛れていたとはいえ、窓から飛び降りた俺の姿が遠くからも見えたのだろう、近衛の男が俺の元に馬を寄らせてそう声を掛けてきた。俺の心配する言葉とは裏腹に、建物を見上げる近衛の男の顔は厳しいものだ。俺が戦闘した様子もないため、この拠点には誰も居ないことを言わずとも感じ取ったのだろう。


 この拠点に誰も居ないことが、残夜の騎士団が陽動のために待ち合わせをしたという可能性を強めているため、どこか周囲にも焦る気持ちが蔓延している。残夜の騎士団の手掛かりを追ってここまで来たが事を起こすまでに追いつくことは出来るのだろうか。あるいは、残夜の騎士団は既に事を起こしてしまっているのだろうか。


「残念ながら誰も居ませんでしたが、中には情報が残されていましたよ。どうやらここに騎士が来ることまで考えては居なかったようです」


「それならば早急に調べましょう。既に他の騎士も手薄な場所に向かわせましたし、ここからは時間の問題です」


 俺の言葉にアデレードさんは馬を飛び降りながらそう答えた。そして同時に彼女はチラリと俺に視線を投げかけてくる。当初の予定では俺の協力はここまでであるため、帰らせるべきか悩んでいるのだろう。


 俺としてはここで抜けるのは不完全燃焼という気持ちもあるのだが、それだけでなく残夜の騎士団の向かう先に蛇の左手が居るのではないかという期待もあるため、出来ればこのまま一緒に行動したいところでもある。いつまでもマルフェスティ教授を護衛するわけにもいかないため、できれば残夜の騎士団が彼らを仕留めるところを確認したいのだ。それこそ漁夫の利というわけではないが、残夜の騎士団の力が及ばないのなら俺が協力することだってやぶさかではない。もとより当初はそのために残夜の騎士団と契約していたのだ。


 だがそんな俺の思いやアデレードさんの考えが言葉となって口からでる前に状況が動き出した。先ほど俺が飛び出してきた窓の中から、ガラスが割れるような音が響いてきたのだ。


「何をやってる!?正気なのかッ!?」


 部屋の中を調べていただろう騎士の叫び声となにやら争う音も響いてくる。俺とアデレードさん、そして近衛の男は示し合わせることも無く、いっせいにその部屋に向けて駆け出していた。


 深夜だが気を使っている暇は無い。アデレードさんと近衛の男は木製の階段を軋ませながら一目散に三階を目指し、俺は隣家の壁を利用して三角跳びをしながら三階の部屋の前に飛び乗った。


 二人に先んじて部屋の中に足を踏み入れた俺の視界に飛び込んできたのは、同僚であるはずの騎士に押さえつけられている騎士の姿だ。床に押さえつけられる形となっている騎士は未だに暴れており、なんとか抜け出そうと呻き声を上げていた。


 そして次に目にはいってくるのは奥の部屋を煌々と照らし出す炎の灯りだ。恐らく部屋を照らしていたランタンを割ったことで火が床や壁に燃え移ったのだろう、もう一人の騎士が何とか火を押し留めようとしているが、どうやら苦戦しているようだ。


「…君!!悪いが手伝ってくれ!隙間が多くて空気を遮断しきれない!」


「ッ!?水桶に水が残ってます!もう少し耐えてください!」


 風魔法使いも空気を遮断することで火を鎮火させることは出来なくはないが、火の勢いが付いてしまえば空気を遮断し鎮火する速度よりも延焼する速度が勝ってしまうため、あまり効果的とは言えない。だからこそ俺は、部屋を探っていたときに見つけていた水桶に寝具の薄布を詰め込んだ。足りない水分は食器に残ったコーヒーや水差しの水を戻し、滴るほどに水気を含んだ布を一気に広げて燃え盛る炎を押しつぶすように消火する。


 ジュウジュウと水が沸騰する音が響き、真っ赤な明かりの代わりに大量の白煙が室内に充満する。風を吹かせて窓から排煙したいところだが、俺も騎士もそれどころではない。風を吹かせれば再燃する恐れもあるうえ、濡れた布から逃れた残り火を消すことで忙しいのだ。


「一体何が起きたのだ!直ちに報告をせよ!」


「こいつが部屋に火を放ったのです!い、いきなりのことで止め切れませんでした!」


 追って部屋に入ってきた近衛の男が部屋の惨状を見てそう叫んだ。俺もまだ何が起きたのかは把握していなかったが、どうやらあの押さえつけられていた騎士が火を放ったらしい。状況からして事故による放火ではなく、故意の放火なのだろう。押さえつけれれた騎士は弁明することなく、苦い顔と共に沈黙していた。


「…こんな所で火を放つなど正気なのですか?なんとか消火できたようですが…下手すれば周囲が火の海となる可能性もあったのですよ…」


 アデレードさんは消火に勤しんだ俺と騎士の方をチラリと見ながら、犯行に手を染めた騎士に対する怒りを露にした。水魔法使いや火魔法使いがいれば大火事も瞬く間に消火することができるが、木造の家が多い場所では彼らが現場に駆けつける僅かな時間でさえも重大な被害が発生するのだ。初期消火に成功したから良いものの、下手すれば大量の死者を出すような火事になっていた可能性もある。


 近衛の男の指示で何も語らない騎士が外に連行されてゆく。恐らくは場所を移して尋問するつもりなのだろう。代わりにアデレードさんが火にあぶられた部屋に足を踏み入れて現場の状況を詳しく確認する。火は消し止められたものの部屋の中には霧のように漂う煙が残っており、灯りとなっていたランタンも破壊されたため視界は非常に悪い。火事があった場所に新たな火種を入れるのは気が引けたが、俺は隣の部屋の壁に掛けられていたランタンを手に取ると、それを現場の小部屋に運び入れた。


「ここに…残夜の騎士団が残した情報があったのですが…。恐らくあいつは事故に見せかけて証拠を消そうとしたのでしょう」


「彼も…残夜の騎士団の協力者ということでしょうか…。今回の捜査員は関係の無い者を集めたはずなのですが…」


 騎士が残念そうな声を上げながら濡れた布を捲り上げて火元の様子を確認する。水に濡れた布の下から顔を出したのは、案の定黒く焦げて判別不能となった書類の類だ。もともとランタンに使われる動物油や植物油は単体では燃えにくい。書類の類がその油を吸い込んだことで灯芯の代わりとなり一気に燃え上がったのだろう。


 アデレードさんはその中からも比較的被害の少ない書類を摘んで拾い上げるが、期待を裏切るように焦げた箇所が自重に耐え切れず崩れるように落下した。ベシャリと濡れた音と共に落下した書類を見て、アデレードさんは深々と溜息を吐き出した。


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