第678話 夜のマラソン

◇夜のマラソン◇


「すまない。怖がらせてしまったな。おじさんは悪いおじさんではないぞ」


 近衛の男が俺の影に隠れた子供に向かって、俺と初めて会ったときと同じように人当たりの良さそうな笑みを浮かべた。その笑みのお陰で騎士としての厳つい気配が鳴りを潜めるが、残念ながら子供の警戒心を解くまでには至らなかったようだ。


 そもそも子供は怖がっているというよりも、大量の人間がいきなり姿を現したことに混乱したようだ。俺は宥めるように背後に隠れた子供の背中に手を当てた。何が起きているのかと問うように子供は俺を見上げ、俺は夜回りの騎士団だと呟いた。


「一人でうろつくには危険な時間だろう?だから一緒に来てもらってたんだよ」


「ほんと?あのおじさん、大丈夫なおじさん?」


「おじさんが怖いなら、お姉さんとお話しようか。お姉さんなら怖くないよね」


 俺が子供を宥めていると、隠れていた騎士の中から一人の女性騎士が近づいてきた。亜麻色の髪をした彼女は騎士にしてはどこか愛嬌のある顔つきであり、子供もあまり警戒している様子はない。


 女性騎士は子供と目線を合わせるようにしゃがみ込み、ゆっくりとした口調で子供に話しかける。何が起きているのか未だに分らず混乱していた子供だが、彼女が丁寧に説明することで段々と状況を理解したようだ。そして理解したことで自身が捕まるのかと不安を抱いたようだが、即座に女性騎士が捕まえるつもりはないと語りかけて子供を安心させている。


「ハルトさん。お願いしても宜しいでしょうか。明朝に仕掛けるつもりではありましたが、現在進行形で残夜の騎士団が何かを実行している可能性が高いです」


「構いませんよ。会いに来てくれないのなら、こちらから会いに行きましょう」


 子供が俺の元から離れると、代わるように今度はアデレードさんが俺に向かって話しかけてきた。その間にも近衛の男が他の騎士に指示を出し、粛々と次の作戦のために動き始めている。子供は女性騎士と会話しながらも、その騎士の様子を珍しいものを見るように見つめていた。


 アデレードさんが俺に頼み込んで来たのは手紙鳥レターバードの追跡だ。マルフェスティ教授の元から借りてきた手紙鳥レターバードは鳥籠に入れられてアデレードさんが携帯しており、籠の中から見知った人間である俺のことを見つめていた。


「風魔法使いの騎士が出来ればよかったのですが…流石に一人では難しいらしいです。分散して包囲網を敷けば可能らしいのですが、その時間がありません」


「感知できる範囲に限界がありますからね。俺だってここから王都の全てを感知するなんて不可能です」


 近衛の指示を受けて動き始めた風魔法使いの騎士は、俺と同じように夜の闇など無いかのように周囲を見通しているが、飛んでゆく手紙鳥レターバードの行き先を把握するには鳥に追いつく機動力が必要であるのだ。


 俺はアデレードさんから鳥篭を受け取ると、中から手紙鳥レターバードを取り出した。手紙鳥レターバードは特に抵抗することもなく、むしろ窮屈な鳥篭からようやく出ることが出来たと俺の腕の上で羽を伸ばした。


「こんな時間に悪いが手紙を届けてもらえるか?貸した物を返してもらわなきゃならないんだ」


 俺が語りかけると手紙鳥レターバードはチチチチと小さく鳴いて返事をする。そして了承するように俺に片足を差し出した。俺はアデレードさんに顔を向ければ、彼女は懐から小さな手紙を取り出した。事前にマルフェスティ教授から預かったフェイクの手紙であり、既に手紙鳥レターバードにはオッソの元に届けるように言いつけてある。


「気をつけてください。協力してもらって言うのもなんですが、無茶をするのは私達の仕事ですので…」


「場所を特定したら直ぐに笛を吹きますよ。何なら彼らがどれくらいで辿り着くか時間を計りましょうか?」


 アデレードさんは手紙鳥レターバードに手紙を括りつけながら、俺にそう声を掛けた。俺は返答をすると同時に周囲の騎士に目線を投げかける。この場にいる風魔法使いの騎士はこのまま解散する訳ではない。彼らは手紙鳥レターバードを追う俺を追って王都を駆け抜けることとなるのだ。


 彼らも俺に仕事を奪われた形になるためやる気に満ちている。既に俺の風魔法使いとしての力量に気付いているからか、あからさまな敵意を向けられているわけではない。しかし同じ風魔法使いだからこそ張り合うように気合を入れているのだ。


 そして手紙を託された手紙鳥レターバードは黒い空に向かって飛立ってゆく。軽く蹴られた腕の感触が夜のマラソンのスタートの合図であり、俺も直ぐに両足に力を込めた。


「少年、無理はするなよ!」


 地面を蹴ると同時に近衛の男の声が俺に掛けられる。俺はその声を背中に受けながら、そのまま目の前の倉庫の壁に向かってゆく。背中に掛かった声は風へと変わり俺を前へ前へと加速させ、壁に辿り着いても俺は速度を落とすことなく空に向かって駆け上がった。


「チチ…!?」


「一人でうろつくには危険な時間だろう?だから一緒に付いていってやるよ」


 屋根を飛び越して空に躍り出ると、先に空に至っていた手紙鳥レターバードが困惑したような鳴き声を上げた。まさか手紙の差出人が追ってくるとは思わなかったのだろう。手紙鳥レターバードは、付いてくるのなら何故俺に手紙を託すのだと言いたげな眼差しを向けたが、それでも自分の仕事を全うしようと夜の街の向こうに飛んでゆく。


 舞い上がった俺は屋根の上に着地すると、手紙鳥レターバードを追うようにそこを駆けてゆく。屋根の上のマラソンコースは高低差に富む楽しげなコースだが、流石に俺もあまり楽しむ暇は無い。遠慮なく前へと飛んでゆく手紙鳥レターバードに追いつくため、ひたすらに足を動かした。


「これは…ちょっと…住人に気を使う余裕は無いな…!」


 何時もならば音を鳴らさぬように走るのだが全速力では限界もある。瓦は割らないようにするから許してくれと心の中で呟きながら、俺は手紙鳥レターバードに並び立った。手紙鳥レターバードは俺の行動に未だに戸惑っているが、それでも初めての経験が面白いのだろう、どこか上機嫌な様子で俺をからかうように周囲を飛び回ってみせた。


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