第677話 計画的なドタバタキャンセル

◇計画的なドタバタキャンセル◇


「あ、あの…!お姉さんにお手紙を渡してくれって熊さんに頼まれて…」


 その浮浪児らしき子供は、怯えた声色ではあるもののはっきりとそう俺に告げた。年齢は十歳頃…、生育不足を加味すれば十二、三歳頃の子供であるが、おどおどとした様子はまるで初めてのおつかいに挑んでいるようだ。流石にこんな時間帯に見知らぬ人間に手紙を届けるなど、恐ろしくてたまらないのだろう。


 普段から他人の顔色を窺うことに慣れているのか、その子供は俺が僅かに見せた警戒の色を見て緊張するように方を竦ませている。だがそれでも頼まれた仕事を全うしようとしたのか手紙を取り出してそれを俺に向かって差し出した。あるいはさっさと仕事を終わらして帰りたいと思っているのか。


『少年。何が起きてる。その子供は知り合いというわけではないだろう?』


『恐らくオッソからの使いの子供です。手紙を託されたみたいですね』


 俺と子供のやり取りを目撃しているのだろう、近衛の男からの声が届く。俺は近衛の男に簡単に答えると、なるべく子供を刺激しないようにその手紙に手を伸ばした。


「…この手紙を貰ったのはいつの話だ?」


「ひぇ…っ!?きょ、今日のお昼ごろです…!」


 俺は手紙を受け取ると即座に子供に尋ねかけた。手紙を渡せば帰れると思っていたであろう子供は、俺に引き止められる形となったため僅かに顔を顰めながらそう答えた。あまり怯えられても話しにならないため、俺は懐から小銭入れの小袋を取り出して子供に向かって投げ渡した。


「え…?いいの…?お金は…熊さんにも貰ってるけど…」


「黙って貰っとけ。代わりに熊さんの様子を話してくれるか?俺は熊さんに会う約束をしてここに来たんだが…まさか約束を破られるとはな。あいつは今どこにいるんだ?」


 受け取った拍子に鳴った金属の音で中身が硬貨だと気が付いたのだろう、子供は目を瞬かせながら小袋を握り締めた。だがお陰で俺に対する警戒心が薄れたらしい、続く俺からの頼みごとを聞いて、多少は躊躇したものの了承するように軽く頷いた。


「熊さんは、えっと、数日前に会ったんだ。熊さんも、誰か人を探してるみたいで、似顔絵を持ってた。それで、今日のお昼にも会って、今度は、最後の鐘が鳴る頃、ここにいるお姉さんに手紙渡してくれって」


「…怖くなかったか?あいつ、見た目があんなだろ?」


「そりゃ、最初は怖かったけど、その、ご飯くれたから…」


 俺は手紙を開きながらも子供に言葉を投げかける。どうやらオッソと子供は前々からの知り合いという訳ではなく、恐らくは蛇の左手の調査の過程で知り合ったのだろう。俺の質問に対して子供は淀みながらも言葉を紡いでゆく。


 子供の話に耳を傾けながらも俺は開いた手紙に目を落とす。暗号化されていたらどうするかと考えてはいたものの、幸いにして手紙は暗号化されてはいなくなっていた。それどころか書かれた文章は非常に簡潔なものであった。


「…すまない。事が終われば返却する…ね」


「なんか貸してたの?それ、返ってこないよ。貸してってのは頂戴って意味なんだ」


「悲しいこと言うなよ。少なくとも俺は借りはしっかりと返す人間だぞ?」


 手紙を読み上げた俺の呟きを聞いて、子供が同情する言葉を漏らした。俺は子供に適当な言葉を返しながらも手紙の目的に考えを巡らせた。マルフェスティ教授にメルガの曲玉を返すためにここで待ち合わせをしたくせに、元から返却するつもりなど無かったのだ。


「もう一度聞くが、この手紙を貰ったのは昼の話なんだよな?…それと貰った場所はどこだ?」


「うん。今日のお昼。場所は北に行った所だけど。えと、貧民街?って呼ばれてる」


「一応、貧民街は悪口だからな。区画名が別にあるはずだぞ」


「えへへ。それくらいなら、知ってるよ。でも貧民街のほうが、伝わりやすいでしょ?言葉は、伝わりやすいほうがいいよ」


 昼にこの手紙を用意したのなら、手紙鳥レターバードに手紙を託した後に心変わりした訳ではあるまい。この子供のように事前に誰かに手紙を託し、今夜に手紙鳥レターバードを出すように言いつけてあったのであればその齟齬も説明できるが、わざわざ時間を指定して手紙鳥レターバードを飛ばす理由が無い。


 俺と子供だけの夜の闇に、カツカツともう一人の足音が響き始める。新たな人物の登場に子供がビクリと実を震わすが、俺が反応をしないからか窺うようにこちらを見つめている。どうやらこれまでの会話で多少は俺のことを信頼してくれているようだ。


「え、え、あの…」


「心配ない、知り合いだ。…ついでにお前も送ってもらうか。こんな時間に一人で帰るのは不安だろ?」


 知らない人間が姿を現したことに子供は怯えているが、アデレードさんが女性であったからか不安そうにしているものの逃げ出す様子は無い。


「…アデレードさん。陽動の可能性は?」


「有り得なくは無いですね。こちらに人員を割いた分、どうしても手薄になる箇所は存在します。…ですが、それでもどこが彼らの目的なのか…」


 近づいてきたアデレードさんに向かって俺は声を投げかけた。既に風でこちらの会話を伝えていたため、彼女も事態は把握しているはずだ。俺の問いかけに対して、アデレードさんは淡々としながらも苦々しげな言葉を吐き出した。この張り込みが空振りに終わったことよりも、まだ何か残夜の騎士団の狙いが隠れていることが問題なのだ。完全に後手に回ってしまったからこそ、何かしらの手を先んじて打たなければならない。


「ひっ…!」


 アデレードさんの登場に続くようにして、今度は隠れていた複数の騎士達も姿を現し始める。図らずとも包囲網の中心地にいた子供は逃げることも出来ず、怯えながら俺を盾にするように身を隠した。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る