第676話 再びの静かな街角
◇再びの静かな街角◇
『少年。全ての人員が位置についてそちらを窺っている。特に何か気付いた点はあるか?』
薄暗い倉庫街の片隅で、俺は背の低いレンガ造りの塀を椅子代わりにして待ち惚けている。そんな俺の耳に近衛の男の声が風に乗って届くが、彼の声も非常に密やかなもので、まるで夜の静寂を壊さないように気を使っているようにも思えた。
俺が
『凄いですね。…皆さんよく隠れていますよ。呼吸がなければ気付かないほどです』
『その呼吸音を聞き取れるのは異常だという事を覚えておくといい。少年の周りに隠れているのは全て風魔法使いだぞ?なぜ彼らの風壁を透過できているのだ…』
風魔法使いだからこそ、他者の風魔法を欺きすり抜ける技法を学ぶのだ。なにより風による盗聴は脅威であるため、風壁を張って防諜を施す魔道具は広く出回っている。風魔法使いとしてはその風壁を感知されることなく透過することができてようやく一人前といえるだろう。…といっても俺の風は他者よりも荒々しいらしく、静謐性を尊ぶ父さんに比べれば足元に及ばないのだが…。
『…あえて助言をするならば、もっと風壁を小さく張るべきです。一人程度ならば問題ないでしょうが、複数人でそれをすると反響音に違和感が生じます。あまりに静か過ぎるんですよ…』
俺はそう言いながら、
『…助言感謝する。反響音など気にしたこともなかったよ。耳の良い魔物を相手にする狩人には当たり前の知識なのだろうか…』
『風魔法使いの狩人なら大抵は知っていますね。まぁ…ここまでしても地面の振動を感知されることもあるんですが…』
俺はバリバリに戦うような魔物を相手取る依頼のほうが好みだが、熟練の風魔法使いの狩人は警戒心が高く逃走するような魔物の狩猟をこなす事が多い。そのような魔物は非力で脅威度は低いのだが、狩猟のための難易度が高く依頼料が高額に成りやすいのだ。そんなデリケートな魔物を相手にしている風魔法使いの狩人にとって、騎士たちの隠密は児戯のようにも思えるだろう。彼らは俺から見ても異様なほどに身を潜めるのが上手いのだ。
だがそれでも、騎士がここまでの隠密性を持っているのかと驚く気持ちもある。騎士なのだから特殊急襲部隊のように武力制圧こそが正義と謳うような存在かと思っていたのだが、意外とこのような隠密行動の訓練も積んでいるらしい。騎士とは何かと言いたくもなるが、王都の治安を守るためには必要な技能なのだろう。
『ハルトさん。そろそろ約束の時間が近づいています。もしオッソが現れて何かしらの危険性を感じたのならば、無理に引き止めるのではなく逃走してください』
『たとえ少年の腕が立つとしても、少年とオッソの距離が開いていたほうが騎士達も気にせず仕掛けられるのだ。君が身体を張るのはここではない』
俺と近衛の男の会話にアデレードさんも介入してくる。彼女の姿はここからは見えないのだが、恐らくは教会のある東方を見つめていることだろう。オッソが指定してきたのは今夜の最後の鐘であり、それが鳴らされる時間が近づいてきているのだ。表の通りにはまだ僅かに営業をしている店が残っているものの、その鐘が鳴らされれば王都の全域が眠りに入るはずだ。
丁度、蛇の左手であるフキと戦ったのも最後の鐘がなって暫くしてからだ。場所が場所であるため、あの時の戦闘を思い起こしてしまう。残夜の騎士団に繋がる手掛かりを先に入手したため騎士達は残夜の騎士団を捕らえることに注力しているが、蛇の左手は何をしているだろうか…。
学院に侵入した者もマルフェスティ教授の自宅に押し入った者も壊滅したため諦めたのだろうか。既に失敗を続けているため俺が彼らの立場であったら暫くは身を潜めるだろう。何より騎士団に嗅ぎつけられた状態で安易な行動はしないはずだ。
『鐘が…鳴りましたね…』
そしてとうとう約束の時間が訪れる。夜半に鳴らされる鐘はどこか透き通った音色であり、耳に心地よく王都の街に浸み込んでゆく。澄んだ音色であったが故に、その余韻は気付かぬうちに消え去り再び静寂が戻ってくる。
誰しもが耳を澄ませ周囲を深く探る。まるで時が止まったのかと思えるような数秒の静寂の後、俺の耳にささやかな音が届き、その音が時の流れを教えてくれた。その音は確実にこちらに近づいてきており、俺だけでなく周囲に隠れ潜んだ騎士の耳にも届いたことだろう。
『オッソではありません。それどころか…残夜の騎士団ではないですね』
隠れ潜んでいたであろう騎士からの報告が届く。それもそうだろう、その音は足音のようではあるのだが明らかにオッソの足音とは異なるのだ。ペタペタと素足で歩いているような音は麻袋を靴代わり使っている者の足音であり、歩幅からしても大人の足音ではないのだ。
「ひぃ…っ!?え…えと…」
俺の目の前に姿を現したのは一人の子供であった。服装からして浮浪児、あるいは貧困層の子供であることは間違いない。彼は暗がりの中で佇む俺に気が付くと、ビクリと肩を跳ねさせた。こんな暗がりに人が居たとなれば、確かに驚くのも無理はない。
「えと…お姉さんが…熊さんの知り合い…ですか?」
「…熊さんが熊獣人なら…そうだと言っておこうか」
しかしその子供はジロジロと俺のことを観察すると、怯えながらも俺に近づき搾り出すようにそう言葉を口にした。
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