第671話 彼のプロフ帳

◇彼のプロフ帳◇


「これ…ハルトさんの分ですよ…?食べないのですか…?」


 全員分の胡桃を剥いてくれたのだろう、俺が書類に目を通しているとタルテが胡桃を差し出してくれた。俺は礼を言ってからその胡桃に手を伸ばし、食べながらも書類の内容を確認していった。カルディが近衛のために用意してくれた書類ではあるが、アデレードさんが俺も協力者であると紹介してくれたお陰で一部を借りることが出来たのだ。


 もちろん部外秘の情報が含まれているため、取り扱いには重々注意するように釘を刺されたが、それでも俺らを雇っているマルフェスティ教授が残夜の騎士団に被害をこうむっているため、預けることに特に問題はなかったらしい。カルディもあの家の惨状をみて断る判断は出来なかったのだろう。


「随分と詳しく書いてあるよね。ギルドの内情については私も知らないけれど…私達もこんな風に纏められてるのかな?」


「ここまで詳しくは書かれていないんじゃないか?拠点を変えるときに持ってく書類は手紙サイズだしな」


 同じように胡桃を摘んでいるナナが俺の手元を覗き込みながらそう呟いた。俺が目を通していたのは残夜の騎士団の構成員についての資料であり、異様とも言っていいほどに細かく纏められている。その資料を見て俺らも狩人ギルドでは同じような資料が作られると思ったのだろう。


 しかし、拠点を移すときに発行される転移届けと言うべき手紙は懐に収まる程度の厚さしかない。そこには俺らの情報が書かれていると言われているが、目の前の資料と比べれば厚さも量も格段の差がある。もちろん後から手紙鳥などで具体的な資料を古巣のギルドに要求している可能性はあるが、狩人の一人一人をここまで細かく調べておくのは仕事熱心にも程があるだろう。


「それは彼らが残夜の騎士団だからでしょう。表立って対立することはありませんが、傭兵ギルドは残夜の騎士団の勢力を削りたがっている節がありますわ。余りに大きくなりすぎると、嵌める首輪が無くなってしまいますもの」


「組織同士の対立ですか…?光の女神の教会と狩人ギルドは仲良しですけど…お得意様だからですかね…?」


 話を聞いていたメルルがそう言いながら俺の手元から資料を一枚抜き取った。彼女はどうやら資料の内容から傭兵ギルドの残夜の騎士団に対するスタンスを読み取ったらしい。確かに近衛からも危険視されているクランを傭兵ギルドがそのままにしているとは思えない。それこそカルディが直ぐに資料を用意してきたのも、こうなることを普段から予想していたのかもしれない。


「君達。念のために言っておくが残夜の騎士団を追うつもりじゃないだろうね?私としては蛇の左手から守ってくれればそれで十分だよ。悔しがってはみせたが、メルガの曲玉だって無理して回収する必要はない」


 俺が蛇の左手ではなく残夜の騎士団の資料を見ていたからだろうか、マルフェスティ教授が忠告をする。護衛に専念しろというよりは、余計な危険を背負い込む必要はないと諭すような口ぶりではあったが、どこかこれ以上残夜の騎士団に関わりたくもないという思いも感じ取ることが出来た。


 その証拠に彼女は俺の手元の資料に忌々しい視線を向ける。だが、たまたま俺が呼んでいた資料に知っている者の名前を見つけたからだろうか、眉を軽く跳ねさせてそのその一文を追うように覗き込んできた。


「それはオッソについて書かれているのか。彼も理性的な人間に見えたのだが…どうやら見当違いであったようだね。物を見る目は自信があるのだが、人を見る目がなくて困ってしまうよ」


「でも…少しですけど…黒い気配がしてましたよね…?やっぱり…何か蛇の左手に恨みがあったのでしょうか…?」


 理性的であったとマルフェスティ教授は語るが、彼が不意に放っていた怒気にもっとも過敏に反応していたのはマルフェスティ教授だ。確かに礼儀正しく表面上は取り繕ってはいたが、内面に抱え込んだ何かは彼を凶行に走らせるほどのものであったのだろう。


「…この資料によると西部の村の出身らしいな。旧カーデイル領か…。旧フーサン地区ってのはカーデイル時代の地区名か?」


「それは間違いだね。フーサン地区は彼の地を併合した僅かな期間だけ存在した地区のことだ。…地理と歴史をもっと学ぶべきだと言いたいところだが、その辺は実に面倒なことになっていてね。下手なことを言うと貴族が煩いのだ」


 オッソの出身地と記されている地名を見て俺は推測を口にしたが、その推測をマルフェスティ教授が否定した。存在ということは現在は存在していないのだろうが、一体何があったのかは資料の続きが説明してくれる。そこを読んだ俺は、なぜマルフェスティ教授が貴族が煩いと言ったのかも理解することができた。


 しかし書類をまだ読めていないナナやタルテには何故マルフェスティ教授がそのような事を言ったのか理解できていないようで、彼女に向けて解説を求めるような視線を向けている。その視線を受けて教授としてのスイッチが入ったのか、マルフェスティ教授は得意気な表情で口を開いた。


「君らも狩人なら旧カーデイル領が長らく荒れていたのは知っているだろう?原因はカーデイルの崩壊によるものとされてはいるが…それだけが正解ではないのだよ。何故荒れていたのか理由を説明できるかな?」


「崩壊直後は無統治の状態があったために盗賊が蔓延り、民も併合による混乱があったと言われていますわね。…ですが語られない問題として、貴族による領地の奪い合いがあったと言われていますわ」


 マルフェスティ教授の言う貴族が煩い事情をメルルは知っていたらしい。彼女もまたマルフェスティ教授のようにナナとタルテに向けて説明するようにそう答えた。彼女の答えを聞いてマルフェスティ教授は感心するように頷き、ナナとタルテもまたそうなのかと納得するように頷いて見せた。


「そう、まさしくその通りさ。まさしく切り取ったパイをどう分け合うかと揉めに揉めてね、誰も彼もが美味しい所をより多く食べたいと主張したわけさ。その過程で内戦とも言うべき小競り合いもあり、無くなってしまった地域の一つが旧フーサン地区というわけさ」


「そのあたりを詳しく教えると、統治に関しての正当性に傷が付く貴族がいますものね。統治に至る過程は省かれることが多々ありますわ」


 つまり、旧カーデイル領が荒れた原因はカーデイルの崩壊ではあるものの、長く荒れた原因は別にあるということだ。それを統治が移行する際の混乱期といえば一言で済んでしまうが、その内情には一言では語りきれない様々な思惑が関わっていたらしい。


 オッソが抱えていた黒い気配の一端を垣間見たような気がして、彼の恨みがましい表情が脳裏に一瞬だけ浮かび上がった。


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