第669話 二兎を追う公営暴力

◇二兎を追う公営暴力◇


「問題は…彼らが一体どこに消えたのかということですが…」


 皆で部屋の惨状を眺めていると、アデレードさんがそう呟いた。部屋の中には残夜の騎士団の色濃い痕跡が残されているものの、痕跡が示すのは過去ではあり現在ではない。むしろ憎悪を形にしたような痕跡が残夜の騎士団の足取りを覆い隠しているようにすら思えた。


 大量に書かれた床や壁の血文字も遺体の罪の数を示す物ばかりで、残念ながら行き先を示す書置きは混じっていない。血溜まりを踏んだことで作られた血の足跡も、残念ながら家を出たところで途切れている。


「間違いなく蛇の左手を追ったとのでしょうね。壁の彼らから拠点でも聞きだしたのでしょう」


 アデレードさんの呟きに答えるように、カルディはさも当然といった様子でそう言い放った。その推測は恐らく間違いはないのだろうが、結局はその拠点とやらがどこにあるか分っていないことが問題なのだ。それを示唆する物がないかと部屋を見渡すが、血に濡れた部屋には強い憎しみしか見つからない。


「…その蛇の左手とやらの対処も必要ですね。…もっと早くに彼らの情報を頂きたかったものですが…」


「そこは勘弁してください。蛇の左手の構成員の何人かは賞金首になっていますので…。傭兵ギルドとしても傭兵の飯の種を奪うような真似はできかねます」


 どこか他人事のような様子のカルディにアデレードさんがチクリと言葉で指す。個人的な犯罪者ならともかく組織だった犯罪集団ならば騎士団が動くことになるので、その存在を感知した時点で通報しろと言いたいのだろう。


「賞金首もなにも…判別不能ではないですか。たとえこの死体が賞金首であったとしても、これでは賞金は出ないはずですよね」


「そ、それはごもっともです。私としても…現状は困惑するばかりで…」


 だがカルディの言い分を覆すようにアデレードさんは言葉を続けた。当たり前の話だが、殺したという証言だけでは賞金は払われない。最低でも本人確認が可能な頭部が必要なのだが、壁の死体はそれも不可能である。それは賞金が貰えないだけでなく、残夜の騎士団の殺しを正当化するための材料が消え失せたということでもあるのだ。


 賞金首のシステムが本末転倒になってしまってもいるがカルディの言い分も分らなくはない。馬鹿正直に騎士団に通報してしまっても、傭兵や傭兵ギルドにとっては大した得にもならないのだ。


「…アデレードさん。推測の域を出ませんが…騎士団だと何処かで邪魔が入ったと思われます。仮に傭兵ギルドが通報したところで上層部から待ったが掛かることでしょう」


「お。おお…。ご存知でしたか…。その…近衛の方とこうして面と話す機会を頂けたことを行幸と捉えるべきか判断に迷ってまして…」


 しかし、カルディに鋭い視線を投げかけるアデレードさんに近衛の男が待ったを掛けた。その言葉を聞いて最も動揺したのはアデレードさんではなくカルディであり、彼は恐縮しながらも続けるように言葉を紡ぎだした。


「貴族に協力者がいるということでしょうか?」


「協力者と言うより顧客と言った方が正しいですね。蛇の左手は金さえ積めば何でもするそうですから…」


 二人の反応を見て直ぐにアデレードさんも何を言いたいのか気が付いたのだろう。カルディがあえて明言しなかったことを口にした。近衛は王家直属の兵隊と言えども、どこで貴族の息が掛かっているか分らないためカルディは口にすることを躊躇したのだろう。


 自分達の食い扶持のためということも間違いではないのだろうが、そもそも騎士団に通報したところでまともに捜査されないと傭兵ギルドは考えていたらしい。あまりに情けない内容にアデレードさんは額に手を当てて溜息を吐き出した。


「もちろん。こうなってしまえば傭兵ギルドは全面協力を致しますよ。残夜の騎士団は他の傭兵に指名手配させますし…、蛇の左手についても…。…あの、彼らについてはどこまで?」


「闇ギルドの一つとしか…。彼が捕らえた構成員の一人を尋問しているが…あまり芳しい情報は得られていないな。どうにもまともに話が出来ないらしい」


 先ほどの言葉から近衛は安全だと理解したのだろう。カルディは積極的に協力する姿勢をみせた。そして小走りで裏手に掛けていくと、その戸口の近くに放り投げてあった鞄を手に取った。見かけよりも重量のありそうなその鞄にはどうやら大量の書類が詰め込まれており、その中から束の一つをアデレードさんに差し出した。


 カルディはこうなることを予期して書類を持ってきていたのだろう、そこには蛇の左手に関する情報がひとしきり書き込まれていた。アデレードさんと近衛の男がその書類に目を落とし、しばしの無言の時間が流れた。


「あの…一応聞いておきますが、傭兵ギルドは残夜の騎士団からメルガの曲玉を預かっていますか?」


「え、ええと、その、申し訳ありません。例の宝玉ですよね…。残念ながら行方不明です。補填に関しましては全てが終わった後に席を設けますので…」


 二人の沈黙を見守りながら、俺は小声でカルディさんに尋ねかける。あまり期待はしていなかったがどうやらメルガの曲玉はそのまま残夜の騎士団が持ち去ったのであろう。もとより彼らはメルガの曲玉を囮に使うような意図があったため、こうなってしまうのも自然の流れではある。ここはメルガの曲玉のことは近衛に任せて、俺らはマルフェスティ教授の警護に注力するべきだろうか…。


「すみません。この蓋世導師会というのは初耳なのですが…」


「ああ、はい。蛇の左手の母体であった組織ですね。その組織に関しては私どもも殆ど情報を持っていないのです。…というのも蛇の左手とは違い、特に目立った活動をしていないようでして…」


「活動をしていない?蓋世などと謳っておいて、まさか呪術師達の茶会を開催しているわけないだろう?」


 小声で俺とカルディが話していると、資料に目を通した二人が尋ねかけてくる。その蓋世導師会という組織は俺もオッソさんの口から聞いたことがあるが、確かその蓋世導師会と呼ばれる組織から蛇の左手が派生したと聞いている。それが確かならば蓋世導師会もあまり褒められた組織ではないのだろうが、傭兵ギルドであっても蓋世導師会に関しては知識がないらしい。


 あるいは本当にコミュニティ程度の力のない組織であり、それ故に蛇の左手が離反という形で派生したのだろうか。蛇の左手自体も闇に隠れた組織であるため、どうにもその全貌が掴みにくい。この広い王都で奴らは一体どこに隠れているのだろうか。


「とにかく、まずは捜査網を広げて蛇の左手を追いましょう。残夜の騎士団も確実にそこに現れるはずですから」


「両者が激突する前に制圧できればいいのですが…。時間が残っていることを願いましょう」


 アデレードさんと近衛の男は今後の方針を定めたのだろう、互いの目を見て頷きあった。そしてアデレードさんが慣れた様子で指笛を鳴らすと、大型の手紙鳥レターバードが窓から舞い込んでくる。彼女はカルディから貰った資料のいくつかを抜き取ると、それを手紙鳥の足に結び付けて再び王都の空に放った。


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