第668話 血の所業

◇血の所業◇


「ええと…この少年は?話は途切れ途切れ聞こえていましたけれど…近衛の方ではないですよね?」


 遺体から目を逸らしたカルディの視線は、自然と傍らに佇んでいた俺にへと向けられる。そしてなんでこんな所に狩人の恰好をした俺がいるのかと尋ねかけた。近衛の男がそうだったように、この現場に俺という存在がいることに違和感を抱いてしまうのだろう。


 逆に俺から見ればこのカルディがいる理由は容易に想像できた。残夜の騎士団は騎士団を名乗っているものの、その実態は傭兵ギルドに籍を置くクランであるため、この事件現場の検分のために召喚されたのだろう。最も、残夜の騎士団はその組織力と規模ゆえに半ば独立した結社とも取れるため、今回の剣は傭兵ギルドからしてみれば良い迷惑だろう。


「彼はマルフェスティ様が私的に雇った狩人で、ここには彼女の代理として同行していただきました。マルフェスティ様と残夜の騎士団の契約の際にも立会をしているはずですよ」


「おお、なるほど。そういうことでしたか。私は傭兵ギルドにて監査を担当していますカルディと申します。狩人であるならば、どこかでお会いしているかもしれませんね」


 どこか商人にも似た気配を纏うカルディは、俺をさりげなく観察しながら右手を差し出した。凄惨な現場にいる反動か、近衛の男もこのカルディという男も妙に人当たりがいい。だが両者ともその視線の鋭さだけは隠せずにいる。


「狩人のハルトです。…傭兵ギルドの監査ということは…」


「ええ。想像通りだと思いますよ。どうにも傭兵というのは無頼者が多くてですね、私のようなものが度々仕事をする羽目になるのです」


 狩人ギルドは狩人達の権利を守る組合としての側面が強いが、傭兵ギルドは傭兵達に対する枷の側面が強い。一歩間違えれば国を蝕み始める暴力機関をコントロールするために存在していると言っても間違いではないだろう。


 そしてそんな傭兵ギルドの中で所属する傭兵達の動向を調査するのが監査官だ。彼らはその仕事内容故に傭兵達からは忌み嫌われているが、彼らがいなければ自浄が不可能となり、傭兵ギルドは瞬く間に暴力集団に成り下がることだろう。


「お二人にはまず、この死体の身元を調べるための協力をお願いいたします。…カルディ様。目を逸らしたいとは思いますが、しっかりと確認してください」


 アデレードさんは俺とカルディにそう言葉を掛けた。今回の件が問題になりつつある原因の一つが被害者が特定できていないということもある。被害者が市民権すら持たない犯罪者ならば、殺しの罪状は大きく変わるし、何よりメルルが言っていたように残夜の騎士団の仕業に見せかけている可能性だってあるのだ。


 だからこそ俺とカルディさんはここに呼び出されたのだ。カルディさんは監査としての仕事もあるだろうが、先ずはこの死体を作り出したのが残夜の騎士団の仕業だと確定させる必要がある。俺は目を皿のようにして死体の様相を確認した。


「まぁ…一目で分りますが、俺が会ったオッソさんは居ませんね。身長はもちろん、骨格に熊獣人の特徴がありません」


「わ、私も彼は知っていますよ。…彼は特徴的な体付きですから…こうなってしまっても直ぐに分るでしょうね。…ただ、他の残夜の騎士団の人間かどうかは…分りかねます。何か特徴が残っていれば、誰それのだと判断することは出来るとは思いますが…」


 カルディさんは申し訳なさそうにして俺の言葉に続いて口を開く。近衛としては彼にこの死体は残夜の騎士団では無いと断言してもらいたかったのだろうが、流石に残夜の騎士団の誰でも無いと判断するには所属する者が多すぎる。違うと言い切るのは悪魔の証明に近しいものがあるだろう。


 だが、俺の視線は死体の状態とその周囲の状態に向いた。おぞましい所業ではあるが、そこには作り出した人間の痕跡が残る。その痕跡の一つが俺の視線を引き付けたのだ。


「この血文字…毛の跡がありますね。それに指で書いたのでしょうが…余りに太い。書かれた高さからしてもオッソが書いたもので間違いないかと」


「…血文字は何かしらの意思を持って書かれています。天井近くに書くために、誰かが台座を使って書いた可能性は?」


「仮にそこの椅子を踏み台にして書いたのならば、文章が自然と湾曲するはずです。何より椅子も机も血で汚れてはいますが、踏まれたような痕跡はありません」


 俺の言葉にアデレードさんが言葉を挟むが、返答を聞いて直ぐに納得したように頷いた。彼女も俺の推測に間違いはないと思ったようだが、確証を高めるためにあえて重箱の隅をつつくようなことを言ったのだろう。


「…目ざとい少年ですね。知り合いのようですが…どこで見つけてきたんですか?」


「以前の仕事で協力してもらった凄腕の斥候ですよ。近衛にはこういった知識を持つ者が居ませんから、誰かを狩人ギルドに出向させて学ばせますか…」


 近衛の男が感心したように呟いた。彼は試しに椅子を踏み台にして壁に手を伸ばしてみたが、文章が横に移動するにつれて、手が届かずに高さが下がってきてしまう。小まめに椅子を移動して書けば下がることも無いのだが、その場合は筆記体で書かれた文字が途切れることとなるはずだ。


 俺の推測が間違いなければ、この惨状を作り出したのはオッソで間違い無い。筆跡からして他の人間も関わっているようだが、恐らくはオッソと共にこの家に詰めていた残夜の騎士団の仲間であろう。残夜の騎士団の所業ということが半ば確定したからか、カルディは静かに溜息を吐き出した。


「一つ聞いておきますが…今回の残夜の騎士団の件は…」


「もちろん私どもとしても初耳です。もともと違法行為スレスレのことを仕出かす彼らでしたが…まさか王都のど真ん中でも自重できなかったとは…」


 悩ましげな表情を浮かべるカルディを見て、俺はつい質問を投げかけた。彼は憂鬱そうに俺に答えると、チラリと遺体に目を向け即座に見なければ良かったと目を逸らす。


「カルディ様。今の発言では王都の外ならば構わなかったと聞き取ることが出来ますよ。発現にはご注意ください」


「おっと。これはこれは申し訳ありません。もちろん王都の外でも大問題ですとも。私が申し上げたかったのは…なぜ彼らが確実に問題になるであろう王都内でこのようなことを仕出かしたかという点でしてね。他の傭兵と比べれば頭の回る彼らがこんなことを仕出かすとは…未だに信じられませんよ」


 カルディの言葉にアデレードさんが忠告をする。実際問題、被害者が犯罪者であり、この拷問が王都の外での出来事ならば大した問題にはなっていないだろう。しかし、だからといって近衛であるアデレードさんが聞き逃せる言葉でもない。


 だが同時にカルディさんの言葉ももっともである。これが単に残夜の騎士団が暴走した結果であるのならば彼らを取り締まれば終わりなのだが、言葉よりも先に腕が出る傭兵が多い中で、残夜の騎士団は頭の回る者が多いのだ。だからこそ、この目の前の所業が彼らにしては余りに短絡的に思えた。


「…被害者が居たんじゃないですかね。この偏執的な所業はそうでもないと説明が付かないのでは?カルディさん。残夜の騎士団はそういった人間が多いのですよね?」


「確かにそうですね。義憤に駆られて所属する者が多いですが、彼らの中核はまさしく被害にあった者達で占められています。なるほど…。敵に仇が居てたがが外れたと…」


 近衛の男が壁を指先でぞりぞりと擦りながらそう呟いた。一面の赤が広がる壁や床には大量の血文字が描かれており、それは決してこの死体のダイイングメッセージではない。見知らぬ土地の名前に見知らぬ人の名前、そして犯してきた下卑た所業。それはこの死体となった者達の罪の記録であり、ある意味ではこの死体が過去に作り出した被害者からのダイイングメッセージである。


 そして近衛の男はこの連なった名前の何処かに残夜の騎士団の関係者が居るのではないかと推理したようだ。何よりもこのただ死ぬだけでは足りないと言いたげな死体の惨状が、その推理に説得力を持たせた。


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