第667話 形となった恨み

◇形となった恨み◇


「…酷い臭いですね。部屋の中も話に聞いた以上だ…」


 俺はアデレードさんと共に残夜の騎士団が消えたマルフェスティ教授の自宅を訪ねていた。事前に話に聞いていたため、楽しい現場検証にならないことは覚悟していたが、それでも扉を開いた瞬間に出迎えてくれた臭気に思わず顔を顰めるほどだ。


 以前に来たときは木の温もりを感じるような素朴な室内であったのだが、今は血と肉で覆われた赤い部屋となっている。暗い室内に灯された明かりがその赤黒色を強調し、その臭気とあいまって巨大な生物の肉体の中に彷徨いこんだと錯覚するほどだ。


 堪らず俺は臭気の篭った部屋の空気を風魔法で入れ替えた。家の外から流入した空気は死体の臭気を流し去り、幾分かこちらの気分を改善してくれた。青銅の鋲で壁に打ち付けられた死体の壁紙は沈黙をするばかりだが、その凄惨な光景が死者の叫びを脳裏に再現してくれる。静かながらも騒がしい光景はマルフェスティ教授が見たら卒倒することだろう。


「…アデレードさん。そちらの子は…?」


「事件の関係者であり、協力者です。直近で残夜の騎士団に会っており、この家にも来た事があるというので検分を手伝ってもらうことと成りました」


 俺とアデレードさんの登場に、家の中を調べていた近衛の一人が声を掛けてきた。彼も近衛らしく威圧感を放っているが、その表情はそこまで険しくはない。関係者とは思えぬ俺が現場に足を踏み入れるのを嫌がっているというより、純粋に俺のような存在を連れてきたことに疑問を思ったのだろう。


 彼は俺の恰好を一瞥して納得したように頷く。アデレードさんが知っていたように彼もマルフェスティ教授の置かれた事情については知っているのだろう、俺の恰好を見て彼女を警護していた狩人だと判断したようだ。


「持ち主の教授とやらは…若い女性でしたものね。流石にこの現場を見せるわけにはいきませんか。少年、気分が悪くなるようなら無理せず家の外に出るがいい。この現場は近衛の私達でも


 そして意外と優しいらしい。俺が若いからかこの凄惨な現場を直視するなと忠告をしてくれた。それもそうだろう、遺体の皮はあえて複雑な形状になるように剥ぎ取られ、一部がまだ身体にくっついた状態で壁に青銅の鋲で打ち付けられているのだ。


 まるで解剖図や腑分けした死体を放射状に壁に打ち付けたような遺体は、単にグロテスクなだけではなく、見るものに憎悪や執念のようなものを訴えかけてくる。猟奇殺人犯が死体を元に作り出した作品だと言われても納得してしまうことだろう。


「あ、アデレードさん。行方不明だったイチモツは輪切りにされて胃袋の中から見つかりましたよ。壁に書かれた血文字のメッセージによると…この男が強姦した数だけ切り刻んだようです。哀れなぐらい縮こまっていました」


「…一応言っておきますが私も若い女性なのですが。少しは気を使って頂いてもよいのでは?」


「はははは。面白い冗談ですね。少しは陰鬱な気分が晴れましたよ」


 アデレードさんが死体の胃袋を剣先で指し示す近衛の男に文句を呟いた。流石に仕事とは言え、下ネタとも取れる内容を最初に報告してきたことに呆れているのだろう。あるいは意外にもそういった話に弱いのかもしれない。アデレードさんは感情を表情に出さないため冷酷そうな印象を受けるが、中身は普通の女性であるのだ。


 そんな彼女から刺すような冷たい視線が送られるが、近衛の男は平然と遺体の検分を続ける。近衛にしては随分と飄々とした態度であるが、どうやら俺がいるから気分を紛らわさせようとその様な態度をとってくれているらしい。ちらりと俺にみせた優しい笑みがそれを教えてくれた。


「…この子なら大丈夫ですよ。幼い見た目ですが貴方の想像以上に場数を踏んでいます」


「ええ、まぁ…気分は良くないですが、これくらいなら平気ですね」


 そのことにアデレードさんも気が付いたのか、近衛の男の態度に溜息を吐き出しながらもそう答えた。それと同時に近衛の男に示すように俺の肩に手を置き、チラリと俺に視線を投げかけた。その視線に答えるように俺もこの絵の男に向かって口を開いた。


「なるほど。これは要らぬ気を回したようですね。…そもそもアデレードさんが連れてきたのは、そこは問題ないと判断したからでしたか」


 俺の年齢くらいの狩人ならば、殺しが未経験でもおかしくはない。それこそこの光景がトラウマになれば、殺しが出来なくなり今後の狩人としての仕事に支障が出ると心配してくれていたのだろう。だがアデレードさんの言葉で俺の手が既に血に濡れていることを察したようだ。先ほどまでの人当たりの良い表情から、近衛らしい精悍な表情へと変わった。


「だが、少年。気分が悪くなるようなら無理せず家の外に出ろと言ったのは本当だぞ。…現に大人でもああなっている者もいるのだ」


「…彼は仕方がないでしょう。傭兵ギルドに所属しているとはいえ、事務畑の者であると窺っていますよ」


 それでも俺のことを案ずるように、近衛の男はアデレードさんが置いた手とは逆の肩に手を乗せてくる。そして目線を俺にそろえるように軽くしゃがみながら家の外に顔を向けた。


 丁度良く、家の裏手から汚い音が聞こえてくる。裏手に繋がる扉は開け放たれており、外壁に手を当ててもたれ掛かっている男の姿が目に映った。後姿ではあるが男が着ている制服は傭兵ギルドに所属するギルド員で間違いはない。どうやら、俺と同じように近衛に協力するために傭兵ギルドから呼び出されたらしい。


「カルディ様…。大丈夫ですか?」


「あい…。もう…全部出しぎりまじだ…。申し訳ありまぜん…」


 遠巻きからアデレードさんがその男に声を掛けると、彼女の声に反応するようにズビズビと鼻水を啜る音を立てながら男がこちらに向き直った。青白い顔はまるで幽鬼のようだが、それは一時的なものなのだろう、肉付きの良い中年の男がこちらに頭を下げる。


 カルディと呼ばれたその男は頬をパシパシと叩いてから裏手の扉を通ってこちらに進んでくる。そして遺体から出来る限り目を背けるようにして、凄惨な現場に足を踏み入れた。


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