第666話 ここからは騎士団の管轄だ

◇ここからは騎士団の管轄だ◇


「つまり…そういうことか。残夜の騎士団が一線を越えて行方不明…。君ら近衛は私が残夜の騎士団の積極的な協力者だとして訪ねてきたと…」


 そう言葉を絞りだしたマルフェスティ教授は混乱が色濃く見て取れた。残夜の騎士団を信用し好意で自宅を貸し与えたというのに、そこで拷問が執り行われていたのだからそういう気持ちにもなるだろう。戦闘で死者が出るのと拷問で死者が出るのは完全に別物なのだ。


 一般的な死生観として、戦い抜いた戦士の魂はその善悪に関わらず命を燃やし尽くして世界に還ると言われているが、拷問などによる無念の死は、死に切れずにその場に留まってしまうといわれている。だからこそいくら普段から利用していない家だとはいえ、自宅が凄惨な殺人現場になって何とも思わないわけはないだろう。


「マルフェスティ様がどの程度事情を理解して残夜の騎士団と協調しているか不明でしたので、私が訪ねる運びとなったのです。…中にはマルフェスティ様の事情を酌まずに拘束する意見もありましたが、私が出向いたことで静かになるはずです…」


 後半は声を潜めるようにしてアデレードさんは呟いた。明確な言葉には表さなかったが、チラリとタルテとメルルを見た彼女の視線がその理由を俺らに教えてくれる。恐らく近衛は手っ取り早くマルフェスティ教授を拘束するつもりだったのだろうが、彼女を俺らが護衛していると聞いて、アデレードさんが気を回してくれたのだろう。


「おっと、それならば私は君が来てくれた事に感謝せねばならないのかな?それとも貴方と知り合いであるこの子達に感謝するべきか…。もっとも、幸運に恵まれたとはとてもじゃないが言えない状況のようだがね」


「もともと強引な拘束は私の意志にも反します。マルフェスティ様の心象を悪化させるよりも、誠意を持って事にあたり協力を仰いだほうが合理的ですから」


 もちろん俺らの人間性を事前に知っていたことも大きいのだろうが、恐らくはメルルの実家が王家の影であり、加えてタルテが豊穣の一族であるためアデレードさんは手を回してくれたのだろう。だがそのことを知らないマルフェスティ教授は、どうやら俺らがアデレードさんの知り合いであるが故に贔屓してもらったと思ったようだ。


「それにしても…私の家はもぬけの殻になっていたわけか。通りで手紙が返ってこないわけだ。一つ尋ねたいのだが、家の中に翡翠の玉は転がっていたかな?」


「…メルガの曲玉のことですね。残念ながらメルガの曲玉も見つかっておりません。恐らくは残夜の騎士団が持ち去ったのかと」


 アデレードさんの返答を聞いて、マルフェスティ教授は大仰な動作で肩を竦めてみせる。メルガの曲玉を守るために残夜の騎士団と協力したのに、共に行方不明ともなれば本末転倒だろう。だがどこかで諦めがついていたのか、あるいは既に予想していたのか、メルガの曲玉が行方不明と聞いてもマルフェスティ教授は呆れるだけで悔しがる様子はない。


「あのあの…その…見つかったご遺体の中に…熊の獣人の方はいらっしゃいましたか…?」


「ああ、そうだ。そうだったな。私達の知る限り熊の獣人族が一人あの家に詰めていたはずだよ。ほら、この契約書を交わしたオッソという男がそうなんだ。…身元が分らないとの事だが…熊の獣人族なら見分けはつくだろう?」


 アデレードさんの言葉に引き摺られるようにして、既に場の意見は残夜の騎士団が暴走し始めたというものに傾きつつあったが、それでもメルルが示唆した可能性を捨て切れなかったのだろう。タルテが不安そうな声色でアデレードさんに尋ねかけた。


 そしてタルテの言葉に触発されて、思い出したかのようにマルフェスティ教授も契約書に書き込まれているサインをアデレードさんに指し示す。あの特徴的な体格の男であれば、たとえ遺体が白骨化していたとしても、その大きさから同定する事だって可能であろう。


「遺体は全て平地人と思われます。オッソ氏のことは近衛でも把握していたため、遺体が彼である可能性は無いと断言してもいいでしょう。その点も拷問を執り行ったのが残夜の騎士団であると判断した理由でもあります」


 残夜の騎士団を監視していただけあって、ある程度はこちらの状況も知っていたらしい。既にタルテが思い描いた可能性は確認済みのようだ。


 アデレードさんの言葉を聞いてタルテは安心したように息を吐き出した。オッソの死体がないという事は、同時に彼が拷問に関与しメルガの曲玉を持ち去った可能性が高いことを示すのだが、それでも見知った人間が拷問で死んだとは思いたくなかったのだろう。


「どうやら…残夜の騎士団が暴走を始めたのは間違いないようですわね。…一体何を考えているのでしょう。悪い評判も知ってはいましたが、ここまでとは思いませんでしたわ」


「でも…まだメルガの曲玉は返ってくる可能性はあるよね。オッソさんも何か理由があってメルガの曲玉を持って行方をくらましたんじゃないかな?」


「その可能性も無くは無いだろうが…連絡が無いのが不自然なんだよな。…いや、仮に暴走していたとしても…妙な違和感が…」


 言葉も無いマルフェスティ教授とは裏腹に、俺らは一体どういう状況なのかと互いに言葉を交わす。蛇の左手にメルガの曲玉を奪われてしまい、取り戻すために必死で追いかけているのならば行方不明であろうことも説明がつくが、その場合は俺らに一報を入れるはずだ。素人の集団ではないのだから、流石に奪われるという失態を隠すために連絡をしないということは無いだろう。


 かといってメルルの言うように暴走の一言で処理するには違和感も残る。復讐のために過激な手段をとる残夜の騎士団だが、それでも協力者を無碍には扱わないからこそ一定の信頼を築いているのだ。今回のことはその信頼を裏切るこういでもある。


「極論を言ってしまえば…たとえ彼らが止むに止まれぬ理由で行方をくらましていたとしても、拷問で人を死なせた時点で私達の介入理由になります。もちろん、同時に蛇の左手も大々的に取り締まることになりますので、マルフェスティ様が望むのであればこちらから身辺警護の人員も割きましょう」


 俺らは残夜の騎士団…というかオッソさんがどのような状況に置かれているのかと頭を悩ましたが、近衛であるアデレードさんにとってはそこは問題ではないらしい。


「それは…随分と堅苦しくなりそうだね。はぁ…、私はのだろう?」


「…不満不服は重々承知のうちです。ですが何卒、ご協力のほどよろしくお願いいたします」


 アデレードさんの発言にマルフェスティ教授は投げやりな態度で答えた。彼女からしてみれば蛇の左手などという存在が王都に出現した時点でもっと確りと取り締まってくれと言いたいのだろうが、それは近衛のアデレードさんではなく衛兵の怠慢である。ある意味では昨夜の事件があったからこそ、蛇の左手という存在が明るみになり近衛が動くことが出来るようになったのだろう。


「…いや、すまない。わざわざこちらに気を使ってくれている君には失礼な物言いだったね…。どうにも事が私の予想外な方向に進んでいて混乱しているようだ」


「構いませんよ。…ある意味では身軽な残夜の騎士団が羨ましくもあります。近衛は少々腰が重い節がありますので…」


 マルフェスティ教授も近衛の彼女にとる態度ではないと思ったのか、気まずい表情を作りながら先ほどの発言を詫びた。アデレードさんは気にする素振りも見せず、優しげな笑みをマルフェスティ教授に返した。


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