第662話 猫の恩売り

◇猫の恩売り◇


「…かすかに秋の気配を感じ、朝夕の風にゆく夏の淋しさを覚えます。…何で猫が季節の挨拶から始まる手紙を書いてんだよ…」


 丁寧な挨拶から始まる手紙は認めた者の知性を感じるが、間違いなく描いたのは妖精猫アルヴィナなのだろう。それは本文に描かれた内容が証明している。丁寧な文体ではあるものの、書いてあることは俺らに対する請求であり、まさか猫からこんな請求が来るとは思っていなかったため、俺は目を白黒させた。


 手紙に目を通す俺をマルフェスティ教授が静かな目で見つめている。彼女は既に書かれている内容を知っているのか、あるいは妖精猫アルヴィナがこのような要求をしてくると予期していたのか平静そうに振舞っている。


「ハルト。何が書かれているの?妖精猫アルヴィナがわざわざ私達に手紙を書いたんだよね?」


「猫さんが…手紙…。どうやって書いたのでしょう…」


 ナナとタルテが興味深げに俺に尋ねてくるが、俺はその内容を消化するので精一杯である。既に内容に目を通したメルルも、溜息を吐きながら呆れたようにネズミ捕獲長を見つめていた。


「要約すると…マルフェスティ教授の護衛を手伝ったのだから報酬を寄こせといった内容だな…」


「マルフェスティ教授を部屋に匿った事、ハルト様を戦場に転移させた事、ハルト様の戦闘にて転移による補助をしたこと…。それに対して転移料金を払えとのことですわ…」


 確かに転移によって襲撃に手早く対処することができた。そして泥の中から転移によって救い出されなければ俺は無事でなかった可能性も高い。だからこそお礼という形で酬いるのは吝かではないのだが、こうも先んじて要求されるとその気持ちも削がれてしまう。人の気持ちの機微に疎いのは猫だから仕方がないのか…。


 手紙という名の請求書を最後まで読み終わった俺は、メルルと同じように疲れた表情を浮かべた。呆れた俺がその手紙をテーブルの上に投げ捨てるように置くと、部屋の片隅で寛いでいたネズミ捕獲長がテーブルの上に飛び乗り、目を逸らすなと言いたげにズイと俺に向かって手紙を押し返した。


「報酬ってご飯でいいのかな?魚を沢山とか?」


「可愛い要求ですね…!えへへ…私のお金で少し多めに渡しましょうか…!」


 呆れ果てた俺とメルルとは違い、手紙に目を通していないナナとタルテは猫のお礼催促に好意的である。それこそ金銭では猫に対してお礼にならないから、何を渡すべきかと首を傾げている。タルテに至っては猫に餌を上げることを想像して楽しそうに微笑んだ。


「タルテ…。妖精猫アルヴィナの要求は…竜の燻製肉を塩抜きして渡せとのことです。それも…結構な量を…」


 しかし、楽しげな様子のタルテをメルルの一言が地獄に突き落とす。普段は天真爛漫で表情豊かなタルテではあるが、その言葉を聞いた途端にストンと表情から感情が抜け落ちた。恐らくはその絶望的な情報を脳みそが理解することを拒んでいるのだろう。それ故に絶望の表情を浮かべるのではなく真顔になってしまったのだ。


 それでも一時的に記憶喪失になるような器用な真似はできない。タルテは言葉の真偽を確かめるように、錆付いた機械のような挙動でゆっくりとネズミ捕獲長に視線を向ける。…よほど恐ろしかったのだろう。ネズミ捕獲長の毛は全て逆立ち、飛びのくようにしてマルフェスティ教授の後ろに隠れた。


 残念ながらネズミ捕獲長を脅したところで要求が撤廃されることはないだろう。仕事をしたのはネズミ捕獲長だが、猫に力を貸しているのは妖精猫アルヴィナであり、要求も妖精猫アルヴィナから届いているのだ。


「竜の…お肉…私の…ご飯…。た…沢山…渡しちゃうんですかぁ…」


 そしてとうとう現実と向き合ったタルテの瞳から大粒の涙が溢れた。高濃度の魔力を含む龍の涙は、彼女の魔力傾向に影響されて光すら帯びている。そして零れ落ちた涙を受け止めた木のテーブルは、一時的に命を吹き返しパキパキと音を立てて小さな枝を伸ばす。


「タ、タルテちゃん!?大丈夫だよ!その…私の分から多めに出すから…」


「そ…そんな…駄目ですよ…。皆で倒した…竜なんですから…。わっ…わっ…私の…分からも…出します…」


 思わずナナがタルテを励ますが、タルテも一人だけ特別扱いされる訳にはいかないとナナの提案を拒否する。タルテは涙を振り払って、その身を犯す絶望に耐えようと拳を強く握り締めた。


「そ…そのだな。こういう報酬の後付は如何なものかと…。それにある意味じゃ俺らが学院の教授を守る手伝いをした訳だろ?学院の警備は学院の責任であるのだから…」


「なぁぁぁぁ…」


 予想通りのタルテの反応を見て、俺は無駄と知りつつも思わずネズミ捕獲長に掛け合った。ネズミ捕獲長もタルテの機嫌を損ねたいとは思っていないようだが、請求書を認めたのはネズミ捕獲長ではない。私に言われましても…と言うように短く鳴いただけだった。


「…君がその様な事を言ったらこちらの手紙を渡すように言われててね…。ああ、もう。私が彼女を泣かせたようで罪悪感が凄いじゃないか…」


 無意味なはずの俺の言葉だが、何故だかマルフェスティ教授が代わりに答えてくれた。そしてもう一通の手紙を取り出すと、困り顔で俺に差し出した。まさかとは思ったが、妖精猫アルヴィナは俺が先ほどのような発現を予期していたのだろう。猫相手に手の平で転がされてしまい、怒りを通り越して呆れてしまった。


「そちらの手紙は何が書かれていますの?」


「…マルフェスティ教授の依頼を受けた時点で警備責任の一旦を担うものとして扱うとのことだ。その辺りの責任の所在は、ギルドのほうに掛け合っても問題ないと…」


「…なんで猫が狩人ギルドの規約に精通していますの。ここまで周到ですと逆に清々しますわね」


 グレーな範囲ではあるが、妖精猫アルヴィナの言っていることは道理に沿ったものだ。そもそも猫達に学院の警備責任がある訳でもなく、彼ら彼女らは好意で学院に所属するものを庇護しているに過ぎない。俺らに出来ることは、それこそ猫に渡す分の報酬を必要経費として学院やマルフェスティ教授に請求することだろう。


「ハルト。実際どのくらい要求しているの?タルテちゃんの分は残してあげられないかな…」


「ああ、それはまぁ…大丈夫だ。実を言うとタルテが沢山食べると思ってな。皆に伝えている分より多めに確保しているんだ」


 厳密に言えばタルテとナナが食べる分なのだが、それをナナに言う必要はあるまい。俺やメルルの分より二人のほうが分け前が多いと聞けばショックを受けると思って黙っていたのだが、妖精猫アルヴィナはまさしくその過剰分ピッタリの量を要求してきたのだ。


 過剰分と言っても結局は俺らが食べる分が減るのだが、それでも事前に伝えていた量から減ることはない。ナナは俺が肉のへそくりを確保していたとタルテに伝え、まだ悲しみに暮れているタルテを励ました。


「ほ…本当ですか…!?よ…よがっだですぅ…」


「そ、そうだね。…こういった時のための交渉用のお肉らしいよ。だから私達の分は減らないってさ」


 効果は劇的で、ナナの言葉にタルテは笑顔を取り戻した。肉のへそくりの名目が変わってしまっているが、それが彼女の慰めになるのならば真実などどうでも良い。俺とネズミ捕獲長は、安堵と共に深々と息を吐き出した。


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