第661話 襲撃者の猫送り

◇襲撃者の猫送り◇


「はぁ…。学院への報告は手紙でいいか。私から伝えなくても猫達が連絡をしてくれるとは思うがね。明朝には…呼び出しが掛かるだろうから早めに就寝させてもらおうか…」


 マルフェスティ教授はネズミ捕獲長を撫でながら小さな欠伸を浮かべる。ネズミ捕獲長も彼女の真似をするように欠伸を浮かべると、眠気を払うようにプルプルと背伸びをした。秘密の部屋に避難していたとはいえ、襲われたというのに意外にも肝が据わっている。


 就寝するといっても最低限の後始末は必要である。マルフェスティ教授はネズミ捕獲長を膝から落とさぬように妙な体勢で机の上に手を伸ばし、俺らに何が起きていたかを尋ねながらそれを紙に纏めていく。


「ほら、すまないがこれを持って行ってくれるかい?報酬のご飯は着払いで頼むよ。生憎と買い置きは切らしていてね…」


「なうぅぅ…」


 今夜の顛末を纏めた手紙をネズミ捕獲長に渡すと、ネズミ捕獲長はそれを咥えてするりとソファーの下に向かって飛び降りた。まだ周囲を警戒するために風の感知結界を張っていたから俺には感じ取ることが出来たが、ソファーの下に身を潜らせたネズミ捕獲長は煙のようにその身を消失させた。一体何が起きたのかと俺はソファーの下のスペースを覗き込むが、そこにネズミ捕獲長の影も形もない。


「…消えちゃいましたね…。流石は猫さんです…」


「観測者がいなくなったから自己認識を変えることによって存在する場所を移動させたんだろう…。猫だしな…」


 俺がソファーの下を覗き込むものだから興味を引かれたのだろう、タルテもまたソファーの下を覗き込んで、そこにネズミ捕獲長の姿がいないことに驚いている。これが出来るなら部屋に入るときなどもこれで入って来ればよいのだが、生憎と人がいる場合は人に窓や扉を開けさせる。猫にとって人を使役させることは、自分で動くことよりも手軽なものなのだ。


「なんなん。んなぁ」


「ああ、もう帰ってきたのかい?疲れているところすまないね。報酬は…鴨肉か。随分といいものを貰ったじゃないか」


 そしてものの十数秒でネズミ捕獲長が帰還する。消え去るときと同様に、いつの間にかソファーの下に鴨肉を咥えたネズミ捕獲長が出現し、餌皿の前に移動してからその鴨肉を食べ始めたのだ。ネズミ捕獲長としては餌皿を使わずに鴨肉を食べるのバッドマナーらしい。食べカスで床を汚さぬようにとマルフェスティ教授に気を使っているのだろうか。


「この人はどうしようか。衛兵に引き渡すより…学院の警備の人に渡したほうがいいよね?」


「今夜は私達が見張っておきましょう。少なくとも明日の朝までは目を覚ますことはないので、置物のように扱っても大丈夫ですわ」


 ナナとメルルが縛られた男の処遇を相談する。襲撃犯を護衛対象の近場に置いておくのは気が引けるが、学院が閉鎖空間であるがゆえに衛兵を直ぐに呼び出すことも出来ない。俺らが学院の外に男を連れ出せば直ぐにでも引き渡せるが、学院内で起きた事件であるため無断で引き渡すことも問題になるかもしれない。


「ああ、それは問題ない。オルドダナ学院にも…こういった事の為の場所が存在するからね。学生には知られていない場所だから、あまり公言はしないでくれたまえよ」


 だが、ナナとメルルの会話を聞いてマルフェスティ教授が口を挟む。彼女はツカツカと縛られた男に歩み寄ると、周囲の床に魔法陣らしき文様をチョークで書き込んで行く。そこまで複雑な文様ではなくそれこそ補助的な魔法陣に見えるが、その疑問は直ぐに霧散した。鴨肉を平らげたネズミ捕獲長がマルフェスティ教授の近くにテシテシと歩み寄っていたからだ。


「これは学院の牢屋に対象を転移させる魔法陣さ。といっても転移の大部分は猫頼りなので、これ事態は単なる対象の指定と入り口を作る補助なのだけれどもね。…さぁ、ネズミ捕獲長。食後に申し訳ないが申し訳ないが頼めるかな?」


「んなぅ」


 もとより自分の仕事だと思っていたのだろう、ネズミ捕獲長はマルフェスティ教授の言葉に小気味よい鳴き声を上げると男の胸の上に飛び乗った。そしてネズミ捕獲長は肉球を男の頬に押し付けるように前足で男を叩くと、同時にマルフェスティ教授の描いた魔法陣が淡い光を灯した。


「う…うらやましい…」


「ほら、タルテ。あまり近づくと巻き込まれますわよ」


 ネズミ捕獲長に踏み踏みされる男をタルテが羨むように見つめ、心ここに在らずといった様子の彼女をメルルが引き止めた。だがメルルがタルテを引き止めなくとも、次の瞬間にはまるで床を透過して落下したのかの如く瞬間的に男が消失する。男が消えた床の上にネズミ捕獲長が着地すると、一仕事を終えたことを誇るかのようにゆっくりと伸びをした。


 そしてネズミ捕獲長に習うかのように、こんどはマルフェスティ教授が片腕を天に伸ばして伸びをする。そして背伸びをしても晴れぬ眠気が逆に彼女に睡眠を意識させることとなったのだろう、眼差しをトロンとしたものに変えた。


「マルフェスティ教授。後は俺が夜番をしますから寝てしまって大丈夫ですよ」


「悪いね、そうさせてもらうよ。君達のほうが疲れているだろうに…。…ああ、待った待った。そういえば妖精猫アルヴィナにこれを君らに渡すように頼まれていてね」


 俺に声を掛けられたマルフェスティ教授は隣の部屋に足を向けるが、唐突に何かを思い出してその足を止めた。そして彼女は懐から便箋を取り出すとそれを近場にいたメルルに差し出した。猫が用意したとは思えない美麗な便箋だが、押された肉球の封蝋が猫が認めたものだと主張している。


 あの妖精猫アルヴィナが用意したものだと聞いて、メルルは躊躇しながらもその手紙を受け取った。しかし目を通さないわけにもいかないため、メルルは水でペーパーナイフを作り出すと開封して中から手紙を取り出した。


「ええと…これは、妖精猫アルヴィナからの請求書ですわね」


 そして手紙に目を通したメルルはそう小さく呟いた。俺やナナが何を言っているのだと問う視線を受けたメルルは、しかし自ら説明するのは気が引けたのだろう。詳しいことはこれに目を通せといわんばかり、その手紙を俺に差し出した。


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