第658話 夜空を泳ぐ二人
◇夜空を泳ぐ二人◇
「なぁぁあおん!にゃん!」
慟哭するハカの声に紛れて、ネズミ捕獲長の鳴き声が俺に届く。その鳴き声は警戒を促すような焦りを含む声色であり、俺にも直ぐに何のための鳴き声なのか察することが出来た。強烈な衝撃音を聞かせて三半規管を麻痺させた沼沢鯰が、再びヌルリと動き出したのだ。
思ったよりも回復が早い。もしかしたらハカを強引に引き剥がそうとしたことが気付になったのだろうか。俺は暴れ始めた沼沢鯰から振り落とされまいと、未だに下半身が取り込まれているハカの鎧を掴んで支えとした。
「クソっ…どこにあるんだ…。おい!言葉は分るか!?呪術の核はどこにある!?」
「あぁぁあぁ泥!泥!ドロ!地面は嫌ぁああ!ああ?ああああ!」
ハカを沼沢鯰から引き剥がすことも目的の一つではあったが、最優先の目標はフキが仕込んでいたであろう呪符の破壊だ。俺は鎧の中を覗き込んで呪符を探すが、赤黒い呪詛に蝕まれたハカの肉体があるだけで、その呪詛を発している呪符を見つけ出すことはできない。
駄目もとでハカに語りかけるが、やはりもう人の言葉が通じないのかハカは意味不明な言葉を紡ぐばかりである。暴れ始めた沼沢鯰が泥の飛沫をあげて、俺やハカにも降り注いでくる。ハカの鎧に掴まって必死に耐える様は、それこそ小船にしがみ付いて嵐に耐えているかのようだ。
「ああ!もう!間に合わないぞこれ!完全に飲まれてるってことは…呪符はこの中か!?なんで下半身に呪符があるんだよ!?」
「おで!おでの下半身!お股!ヌルヌル!」
俺はなんとか沼沢鯰が泥の中に潜る前にハカを引き剥がし、あわよくば呪符を見つけようとハカの鎧を引き抜くように引っ張る。しかし、上半身とは違い下半身は完全に沼沢鯰の中に取り込まれており、引き抜くことが出来ないでいた。
沼沢鯰の額から上半身が生えているという、ナマズタウロスという新種のモンスターに変化したハカだが、本人の意思と沼沢鯰の意思は別らしく、彼もまた沼沢鯰から抜け出そうと暴れている。普段から沼を作って戦っていたのだろうから、下半身が泥の中に取り込まれているという状況に、本能的に危機感を感じているのだろうか。
「暴れるなよ!このままじゃ泥に沈むぞ!地面は嫌なんだろ!?」
「嫌!地面嫌!空のほうが好き!」
沼沢鯰が地面に潜り始めると、ハカはさらに暴れることになる。俺は流石にもう時間切れだと判断して沼沢鯰の上から離脱しようとしたのだが、最後に適当に放った言葉にハカが反応を示した。その言葉が通じたところで意味が無いとも思ったのだが、ハカにとっては重要な意味を持つ言葉だったらしい。掴んでいる鎧にハカの魔力が通り始めるのを感じることができた。
「空!空!何見て跳ねる?おっ!おっ!…お股?」
「は?これ…鎧が起動してるのか?」
沼沢鯰が潜り始めたせいで泥の水面が足元まで迫ってきていたのだが、ハカの鎧に彼の魔力が通い始めた瞬間、沼沢鯰が一気に浮上することとなる。なぜ潜ることができないのかと沼沢鯰は不思議そうに身をくねらしているが、泥の上を滑るばかりで一向に潜れる気配は無い。
重量軽減が沼沢鯰全体にも作用しているのだろう、軽くなった身体では浮力に打ち勝つことができずに潜れないのだ。そして重さはなおも減少していき、とうとう潜ろうとして身を揺らす反動のせいで逆に身体が宙に浮き始める。
「熱ッ!?おい!このままじゃ鎧が燃えちまうぞッ!?」
「泣き言なんか聞きたくない!土と離れて生きるんだぁ!」
熱を帯び始めたハカの鎧は、それが許容量以上の魔力が注がれている証でもある。このままでは鎧は完全に破壊されてしまうことだろう。だが、鎧を暴走させているだけあって沼沢鯰の身体は風のように軽くなっており、鯉のぼりのように宙を泳ぎ始める。木々の梢を超え、学院の建物の屋根を超え、一匹の大鯰が夜空に向かって昇っていく。
限界を超えて稼動しているのは鎧だけでない。通常ならば不可能な手法ではあるが、彼に仕込まれた呪術がそれを可能にさせたのだろう、ハカもまた生命力を削って魔力に変換しているのだ。彼の言葉は途切れ途切れになり、それでも感じる熱は燃え尽きる瞬間の命の灯火を感じさせた。
「なぁぁぁあああああん」
「どこに行くのかはこいつに聞いてくれ!これでも一応、学院の外に飛んでいかないように風を吹かしてるんだぞ!?」
空を漂う俺に向かって、いつの間にか屋根の上に移動していたネズミ捕獲長が鳴く。おそらくどこまで行くつもりだと問いただしているのだが、その疑問は俺が知りたいぐらいだ。風で行き先はある程度コントロールしてはいるのだが、ハカが魔力を加減しないと地面に風で押さえつけたところで直ぐに浮上してしまうのだ。
それでも暴走し始めたハカの様子を見て、俺はこの空の遊覧が長く続かないことを理解していた。既に見え始めた限界が、ハカと鎧の直ぐそこに迫ってきているのだ。俺は眼下を見下ろして丁度良い地点を探し、そこ目掛けて優しい風を吹かせた。
先ほどまでの戦闘が嘘のように、静かな夜風が周囲を満たす。ハカも騒ぐのを止め、どこか感動するように空の空気を感じている。
「ああ…飛んでる?飛んでるよね」
「飛んでるぞ。鳥よりも…星よりも高くな」
「そっか…」
瞬間、ハカの声が途切れ鎧の回路も焼ききれる。全ての物体の重量は元に戻り、遥か眼下の大地に目掛けて落下を開始した。
ハカが事切れても沼沢鯰はまだ呪術によってその命が固定化されているのか、もがく様に暴れている。だが、今の沼沢鯰は中を泳ぐことは出来ずに無情にも地上に向かって只管に落下する。俺は落下の衝撃を軽減するために上昇気流を吹かせるが、それでも沼沢鯰は助からないだろう。落下地点には丁度、尖塔の屋根飾りが天に向けて鋭い切っ先を向けているのだ。
そして重量物がぶつかる鈍い音を立てて、鋭い屋根飾りが沼沢鯰の腹を貫いた。その一撃が沼沢鯰の仮初の命を容易く奪い、泥の身体が崩壊を始めた。着地の衝撃があげた泥の飛沫が屋根を汚し、ネズミ捕獲長が呆れたような鳴き声を上げた。
「さすが学院自慢の建物だな…。鯰が乗ってもびくともしない」
「なぁん。なんなん。にゃぁぁぁ…?」
ネズミ捕獲長が、お前これ建物が崩壊してたらどうするつもりだったんだと言ってるようにも聞こえたが、その時は沼沢鯰のせいにするつもりだった。城崩しなのだから建造物を破壊していてもおかしくはあるまい。
俺はただの泥になりつつある沼沢鯰の上を滑り落ち、屋根にいるネズミ捕獲長の元に歩み寄る。呆れた顔のネズミ捕獲長がテシテシと前足で屋根を叩くと、俺の体が再びの浮遊感に襲われた。
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