第657話 猫の手を借りた

◇猫の手を借りた◇


「にゃぁぁぁああん。なんなん」


 ドサリという音と共に俺の身体に軽い衝撃が走る。背中には大地の感触があり、頬を夜風が撫でる。見上げた天上には瞬く星々が希薄ながらも闇を薄めるように光を注いでくれており、周囲の闇が先ほどまでいた地中の完全なる闇とは違うと教えてくれた。


 俺は何が起きたのか直ぐには理解することが出来ず、呆けたように空に広がる星を見上げていたが、そんな俺の視界の端からネズミ捕獲長が顔を覗かせた。ネズミ捕獲長はテシテシと前足で俺の額を叩き、再び短くなぁんと鳴き声を上げた。


「お前…なんでもありかよ。…物体があればそこに入口を生成できるのか?」


 そう言いながら俺は四肢に力を込めて立ち上がる。咥えられていた足首に多少の痛みを覚えたが、筋を軽く痛めた程度で戦闘には支障はないだろう。俺はネズミ捕獲長を撫でようと手を伸ばすが、その手が泥だらけであることに気が付き躊躇した。しかし、代わりにネズミ捕獲長は俺の汚れた指先をぺロリと舐めとり、得意気に胸を張ってみせた。


 俺を地下から救い出してくれたのはネズミ捕獲長で間違い無いだろう。てっきり壁に扉を作り出さねば転移の魔法は使えないと思っていたが、どうやら指定の個体を別の場所に転移させることもできるらしい。もしかしたら、フキがハカに呪術を仕込んでいたように、俺にもいつの間にか転移のための術式を仕込んでいたのだろうか。


「…タルテがいれば楽勝なんだが…さて、どうしたものかな…。あの鯰を地上に転移させることは出来ないか?」


「なんなん」


 俺は地中に警戒心を向けながらネズミ捕獲長に訪ね掛けるが、ネズミ捕獲長は首を横に振って答えた。俺が消失した事に気が付いていないのか未だに地面は静かなものだが、この地下には沼沢鯰が横たわっているはずだ。他の人間が襲われる可能性を考えれば、このまま放置する訳にもいかないだろう。


 ネズミ捕獲長も、俺にさっさと始末を付けろと言いたげに尾っぽで地面を指し示す。そして自身は安全なところで観戦するつもりなのか、地面から離れた窓枠に飛び乗ると香箱座りをしてくつろぎ始めた。俺もこのまま地面の上に立っているのは危険と判断し、ネズミ捕獲長を真似るように壁に取り付いてそこから地面の様子を確認する。


「にゃん。なぁああ」


「別に逃げるわけじゃねぇよ。まぁ、ちょっと見てろって…」


 壁に取り付いた俺がこのまま逃げ出すのかと思ったのか、ネズミ捕獲長は俺に向けて軽く吼えるように鳴く。俺は手振りでネズミ捕獲長を宥め、同時に身長に風魔法を展開させてゆく。泥を素体、戦槌を触媒にし、ハカの命を変質させたことで生まれた偽物の沼沢鯰ではあるが、その習性は本物とよく似通っていた。だからこそ本物の沼沢鯰に有効な戦法を取れば問題ないだろう。


 大地を泳ぐ沼沢鯰は、基本的に待ち伏せ型の狩りをする魔物だ。地下で静かに息を潜め、頭上の沼に獲物が侵入した瞬間に飛び出して土中に引きずり込むのだ。嫌らしい戦法ではあるが、人からすれば沼に気をつけていれば問題ないためまだマシだろう。もし徘徊型の狩りをする場合、城崩しの名前通り付近一帯の建造物を沈める事となるだろう。


「なん?」


「透明人間が居るわけじゃないぞ?俺が風で再現しているんだよ。上手いもんだろ?」


 壁に取り付いて眼下を見つめる俺とネズミ捕獲長の目線の先に、誰の姿も無いのに足音が刻まれる。その正体は俺の放った風魔法であり、それが弾けて足音のように聞こえるのだ。その足音は一歩、また一歩と先に進み、とうとう泥沼の上に侵入していく。泥が弾けて飛沫を上げ、俺は更に泥沼の中心へと風魔法を打ち込んでいった。


「お前も猫なら魚を取ったことがあるだろう?猫も耳がいいが…魚も音には敏感なんだよ。特に鯰はずば抜けて耳が良くてな…」


「なん!なぁあん!」


 俺が沼沢鯰の耳の良さを褒めれば、ネズミ捕獲長が異議ありと尾っぽを激しく振るう。魚如きに耳の良さで負けるわけ無いと言いたいのだろう。それを示すかのように、可愛い耳がピコピコと動いている。


 だがその耳の動きが唐突に止まり、泥沼の方向に向けられた。俺はまだ感じ取ることが出来なかったが、ネズミ捕獲長の自慢の耳が地下で脈動する存在の音を感じ取ったのだろう。そして数秒の静寂の後、俺が風魔法で再現した足音の下の泥が爆ぜるように噴出した。


「どこどこどこ?ここどこどこ?…戻して戻して戻してぇぇええ!」


 土中から高く跳ね上がったのは沼沢鯰だ。やはり俺が居なくなった事に気が付き周囲の振動を感じ取って探していたのだろう。取り込まれているハカが狂ったように声をあげ、それが夜にこだまする。声を上げていてくれるおかげで随分と狙いが付けやすい。沼沢鯰が跳び上がると同時に壁を蹴り飛ばした俺は、その声が聞こえてくるハカの鎧目掛けて剣を振るった。


「鎧を取り込んだのが仇になったな!どう考えてもここが弱点だろ!」


「あぁぁあああぁぁぁああ!?」


 俺は剣の峰でハカの鎧を強かに打ちつける。金属と金属の強烈な衝突は、耳を裂くほどの強烈な音を立て、離れていたネズミ捕獲長さえも耳を伏せて顔を顰めている。自身の額でそんな強烈な音を立てられた沼沢鯰は堪ったものではないだろう、軽く痙攣しながら地面の上にどしゃりと落下した。


 沼沢鯰の巨体が落下した衝撃で大量の泥が跳ねるが、沼沢鯰はその泥の下に潜っていく気配は無い。三半規管にダメージを負ったことで、自分が今どこにいるのかさえも把握することが出来ないのだろう。


「あぁぁあぁあああぁああああ!」


「少し痛いかもだが…我慢してくれよ!」


 俺はそのまま沼沢鯰の額に取り付き、ハカの鎧を強引に引き剥がし始める。ミチミチと肉が裂ける音が聞こえたが、そのかいあって鎧の上半身が露出することとなる。鎧の隙間からはみ出していた肉色の何かのせいで中のハカも無事では無いと予想していたが、やはり中に入っていたハカは人の形を保っていなかった。


 肉体という支えを失った鎧の頭は取れかけており、そこから鎧の内部を覗く事が出来たが、ハカの身体は肉色の粘菌のようになって鎧の内部に張り付いていたのだ。粘菌の各部に人だった頃の器官の名残が見て取れるが、その名残にすらも赤黒い呪詛のような文様が浮かび上がり侵食を続けていた。


 仲間にこんな物を仕込んだということ以前に、施された呪術が単純に邪悪すぎて吐き気すら覚えてしまう。まだなんとか形を保っている発声器官でハカは只管に狂った声をあげ、その声が鎧の空洞に反響し慟哭となって鎧の外に漏れ出した。


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