第655話 学院の庭には死体が埋まっている

◇学院の庭には死体が埋まっている◇


「おお!おおお!飛んでる!飛んでるぞぉ!俺はやったんだァァアア!」


 塵旋風と言えども巻き上げたのは塵ではなく大量の泥とハカだ。ハカは俺の風魔法を警戒して多少は体重を残していたようだが、そもそもこの魔法は対象を上空に吹き飛ばすことに特化した魔法である。たとえ地面に伏せて風を凌ごうとしても、クレーター状に風が地面を削り取り地盤ごと対象を巻き上げるのだ。


 一度上空に巻き上げてしまえば、その後に高所からの落下が待っている強力な風魔法ではあるのだが、人や土砂を上空に巻き上げるにはかなりの風量と風速が必要になる。そのため風を感じてからでも退避が可能であり、中々に俺の消耗も激しい魔法なのだが、ハカは貝のように縮こまり俺にこの魔法を発動する大きな隙を与えてしまった。そして鎧のせいで視覚や触覚が遮られていたハカは、自身の周囲の風が強まっていくことに即座に気が付くことができず、更には重量軽減のせいで通常の人間よりも容易く宙に持ち上げられることとなった。


「おい見てるか!フキ!とうとう俺は空を飛んだぞ!小さい頃からの夢だったんだ!」


「…遊びではないのだぞ!お前も少しは真面目に戦ったらどうだ!」


「嫉妬!嫉妬ですか!?あぁぁああ気持ちいいぃぃぃいいいいい!」


 しかし、上空に舞い上げられたハカは何故か上機嫌である。高速の竜巻に揉まれてまともに平衡感覚を維持できるはずが無いのだが、平気な様子で戦闘を見守っていたフキに話しかけている。鎧の効果で落下死することが無いため高所に対する恐れが無いのだろうが、それでもハカの態度には不自然なものを覚えた。


 そして不自然なのはフキも同様である。俺が魔法を構築する瞬間はハカだけでなく俺にも大きな隙が生じていた。だからこそ傍観していたフキが仕掛けてくるのではと警戒していたのだが、奴は変わらずこちらの戦闘を見守っているだけであった。俺は泥が舞い上げられて顔を出した硬い地面を踏みしめながら、フキの前に歩みを進める。


「フキって言うんだったな。お前も真面目に戦ってないじゃないか。まさか、一対一の戦闘に水を差すのは矜持に劣るとでも言うのか?」


「…私はお前を高く評価していてね。分身一体でどうにかなると思ってはいないのだよ。それよりもいいのか?あやつは落ちたぐらいでは死なぬぞ?」


 俺がフキに声を掛けると、フキは戦闘に加わるつもりは無いと言い放った。それどころか俺の後ろで渦巻いている竜巻を指差して戦闘に戻れと促してくる。なにか戦えない理由があるのかと疑う視線を向けるが、相変わらず顔はフードに覆い隠されており表情を垣間見ることは出来ない。


 竜巻の影響で周囲は風が吹き荒び、フキの黒衣が音を立ててはためいている。それを忌々しげに手で押さえるだけでフキは戦闘態勢をとることはない。何もしていないように見えて、俺の魔法で生まれた音を必死に押さえ込んでいるのだろうか。試しに声を風で飛ばそうとしても相変わらず何かに阻害される感触を覚えた。


「あの鎧男はもう問題ない。この後はどうなるか簡単に予想が付くだろう?」


 俺は片手を軽く仰ぐように動かして風魔法を解除する。それだけでハカを上空に舞い上げていた竜巻は解けるように解け、今までの強風が嘘のように収まった。舞い上げられていた泥とハカは、僅かに空中で静止したかと思えば、直ぐに大地に向かって加速し始めた。


 重力の影響を低減する鎧があれば、フキの言うとおりハカは落下で死ぬことはないだろう。しかしハカの周りには大量の泥も一緒に舞い上がっており、それが重石となってハカ諸共に落下してくる。局所的に発生した土砂の雨は削り取った地面の跡地に降り注ぎ、その窪みを満たし始めた。


「ぁぁあああぁあああ!空が!空が遠のく!まだ飛んでいたいのにぃ!」


「…なる程、生き埋めか。えげつない事をしてくれるじゃないか…」


 泥と共に落下したハカは天に向かって手を伸ばすが、彼の見上げる空には追って落下してくる泥が広がっていることだろう。落下の衝撃は泥によって軽減されたようだが、俺の本来の目的はそこではない。ハカを泥の底に沈めることが本来の目的であったのだ。


 泥は次々と降り注ぎ、ハカの身体はもちろん天に伸ばした腕すらをも飲み込んでいく。地面の底でハカはなにやら叫んでいたが、降り注ぐ泥のけたたましい音がその声を遮り、更には物理的にも声の元を遮ってしまった。


 全ての泥が降り注ぎ、静寂だけがそこに残った。たとえどんなに自身を身軽にしたところで、泥の重石の中から這い出ることは不可能だろう。ハカは泥沼が墓穴になると言ってはいたが、まさしく自身の墓穴となったのだ。


「分身のお前は生け捕りが不可能だろうから…できれば鎧男を生け捕りにしたかったんだがな。欲をかいて仕損じる訳にはいかないんでね」


「ふふふ。別に捕まえてくれても構わんぞ。そうなれば取調べ中に爆ぜてやろうではないか。何人巻き込むことが出来るかな…」


 やはり自爆機能を備えているのか、俺を挑発するようにフキはそう言い放った。以前の自爆では腹にナイフを突き立ててから爆ぜていたがトリガーがそれだけとは限らない。安易にこの男を拘束するのは悪手と言えるだろう。


 ならばこの場でこの分身も消し去るべきだろう。俺は身体に残った泥を風で吹き飛ばすと、フキをしとめるべく双剣に手を伸ばした。


「おっと。言っただろう?分身一人でどうにかできると思っていないと。私がこのまま戦うよりも…あいつを助けたほうがまだ勝ち目があるな」


 しかしフキには戦うつもりが無いらしい。奴は俺を牽制するように一本の投げナイフを投げると、その隙を縫ってそのままハカの埋まる泥沼に向かって駆け出していったのだ。本体の命に影響が無い分身だからこそ、合理的に状況を判断したのだろう。例の自爆の技を用いれば、確かにハカの上に積もる泥を一気に吹き飛ばすことも可能かもしれない。自身の命と引き換えに再び戦場にハカを特殊召還するつもりなのだ。


 まだハカが窒息するには時間が掛かる。俺はハカの後を追うように一気に風で加速してゆく。速度は明らかに俺のほうが速いだろうが、スタートで遅れた距離を埋めきれるかどうかは微妙なところである。バシャリと音を立てて泥沼に飛び込んだフキの背中目掛けて、俺は圧縮した空気球を打ち込んだ。


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