第654話 風は天にありて地を覆う

◇風は天にありて地を覆う◇


「ほらほら飛んで跳ねて回っちゃえ!まだまだ行くぞぉ!」


 ハカは攻撃の手を緩めることは無く、俺を追いかけながらひたすらに戦槌ウォーハンマーを振るっている。上段からの飛び掛るような打ち下ろしに、泥を巻き込むような振り上げ。仕舞いには体を中心にハンマー投げのように回転するなど、ふざけた攻撃をひたすらに繰り返している。


 大げさでコミカルな動きの攻撃はハカのスタミナを削っているはずなのだろうが、泥に足をとらわれている分、こちらの消費のほうが大きい。泥沼が拡大していくであろう事を考えれば、時間をかけて戦うことは余り得策ではないだろう。


 だからこそ俺は向かってくるハカに向かって、あえて組み付くように距離を詰めた。ハカは自分が有利な接近戦に持ち込みたいようだが、俺だって体重は軽いものの腕っ節には自身がある。上手く組み付き押し倒すことができれば、泥が奴の体を飲み込むことだろう。そうなれば鎧の隙間に剣を突き立てることだって容易いはずだ。


「くっそ…!?滑りやがるッ…!」


「ははは。この泥はまさに攻防一体。甲冑組み手だってお手の物さ!」


 だがその目論も失敗に終わった。俺は柔道のようにハカの力や体重を利用して体勢を崩そうとしたのだが、ここでも泥がその攻撃を阻んだ。泥に塗れた鎧は異様なほど滑り、そもそも掴み取ることができなかったのだ。ハカは俺が掴み損ねたことを嘲笑いながら、戦槌の柄で器用に俺を突き飛ばす。


 普段であれば簡単に押し返せるほどの攻撃なのだが、生憎と泥の上ではまともに踏ん張ることができない。俺はその力に逆らうことなく、泥の上を転がるように移動した。泥が飛沫になって俺の体に降り注ぎ、汚れた俺を見てハカが更に笑い声を上げた。


「…地味なようで良くできた戦法だな。まさか泥が組み付き対策になってるとはな…」


「ついでに言えば墓穴要らずだぜ。なんせ最後は泥の中に沈めてお仕舞いって寸法よ。地味ってことは無駄がないってことさ」


 俺は泥を手で払いながら立ち上がる。たとえ俺がハカの立場だとしてもこんな泥まみれになる戦法を取りたくはないが、ハカはむしろ誇らしげに泥を手で掬ってその感触を楽しんでいる。強いて言えば周囲を沼に変えるのに時間が掛かることが問題なのだろうが、既に沼が展開されたこの状況ではその心配も要らないということだろう、ハカは余裕のある態度で俺に相対している。


「余裕そうだな。…確かに墓穴は必要ないかもしれないが…この戦法にも穴はあるぞ」


「穴?泥沼戦法に穴があるとお思いでか?泥沼に穴が空く訳ないだろう。掘ったところで直ぐに埋まってしまう、それが泥沼の恐ろしいところよ…。もがけばもがくほど死に近づくんだ…」


 ハカと同じように俺も余裕のある笑みを浮かべる。俺の態度が不思議に思えたのかハカは首を横にかしげたが、それでも単なる強がりと判断したのだろう。相変わらず単調な動作で俺に接近しながら戦槌を振り上げた。


「忘れたのか?俺は風魔法使いだぞ?…たとえ大地を統べようとも…風を捕まえることは出来やしない…」


 だがその戦槌が俺に当たることはない。圧縮した空気が炸裂して俺をその場から吹き飛ばしたからだ。追い風を作り出して機動力を上げる程度とは訳が違う、極端に圧縮された空気は容易く俺を宙に舞い上げた。


 大地から離れ宙に舞い上がった俺は、再び圧縮された空気を炸裂させて軌道を変える。そしてその勢いのまま、奴の頭を真横から強かに剣で叩きつけた。鎧に阻まれ頭が輪切りになることは無いが、それでもその衝撃は内部に浸透する。


「…あがっ…耳が…やりやがったな…」


 重量を持ったメイスなどの攻撃とは違って命に至る衝撃では無いだろうが、それでも即頭部に衝撃を食らってハカは苦悶の声を漏らした。恐らく鼓膜と三半規管に多少なりともダメージが入ったのだろう、ハカは手を頭に当ててかぶりを振るう。


「…少年っ!?なに飛んでるんだよ!跳ぶのは俺の役割だぞ!衛兵さんに言いつけてやる!」


「お前のそれは飛翔と言うには少し不恰好だろ!大人しく泥に塗れてやがれ!」


 俺は周囲を圧縮した空気で飛び回りながら高速で移動する。俺も飛翔というよりピンボールのような軌道だが、それでも単なる跳躍に過ぎないハカの飛翔よりはマシだろう。生憎と常に宙に居座ることは難しいが、時折沼の上に着地する程度で沼を踏みしめて移動することは無い。この移動方法であればハカの泥沼をほぼほぼ無視して移動することができるのだ。


 この移動方法は単なる風魔法使いには真似をすることができない。なぜならば、風の炸裂に耐えれる頑丈な肉体が必要になるからだ。無理に真似をしようものなら、数分後には全身打撲の風魔法使いが出来上がるだろう。


「嘘だろ…っ!?おいっ!?これはイジメだぞ!なんでお前が一方的に攻撃しているんだ!それは!俺の!俺の役割だぁ!」


 普通の風魔法使いが真似できない戦法だからこそ、ハカもまさか俺がこんな移動が出来るとは思っていなかったのだろう。対応することが出来ずにむやみやたらに戦槌を振り回している。だがそんな攻撃が俺に当たることは無く、それどころか自身を有利に働かせるために作り出した沼が、今度はハカを苦しめている。俺がそうであったようにハカも踏ん張ることが出来ず、縦横無尽に移動する俺に即座に振り向くことが出来ないのだ。厳重なその鎧も視界を狭めるという点ではマイナスに作用しているようだ。


 衝撃を利用した乱暴な移動であるため、俺も性格に急所を狙うような精密な斬撃を繰り出すことは出来ないが、それでも一方的にハカに攻撃を加えることができる。連続で炸裂する風の破裂音に加え、俺がハカを叩いたり蹴りつける音が周囲に響き渡った。


「なんでこんな酷いことが出来るんだよ!正気を疑うぞ!ああああああ!効かない効かない効かない!効かないもんね!俺平気!」


「本当に分厚い鎧だな!なんで出来てるんだよ、これ!」


 単なる板金鎧とは防御力が違うのか、俺が散々に叩きつけても内部に致命的な衝撃が通った気配は無い。だがそれでもハカは危険を感じ取ったのか、戦槌を振り回すことを止めて身を縮ませて貝のような守りの体勢に入った。


 ハカは守りに入れば余裕で俺の攻撃に耐えられると判断したのだろう。だが俺を追うことを止めて足を止めることとなるその行為は俺に更なる魔法を構築する隙を与えることになる。このまま殴りつけていても埒が明かないと判断していた俺は、悩むことなく即座に次の魔法を構築し始めた。


「塵界脱せず塵濡れて、風は穢土を掻き乱す。級長戸しなとの風のあめ八重雲やえぐもを吹き放つ事の如く…」


 俺とハカを中心にして、風が加速し渦巻いてゆく。そして瞬く間に産み出された竜巻は大地を削るように目に見えぬ爪を突き立て始めた。それは単なる竜巻ではなく、風の爪で大地を削る竜巻なのだ。そして削り取られた大地は風に舞い上げられ、塵旋風となって俺らを飲み込んだ。


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