第653話 拮抗を崩す泥仕合

◇拮抗を崩す泥仕合◇


「ありゃりゃ、これじゃ見栄えが悪いな。俺の戦いは汚れやすいのが難点でな」


 土の中から戦槌ウォーハンマーを引き抜いたハカは、勢い良く戦槌ウォーハンマーを振り払って付着した泥土を吹き飛ばす。見間違いとも思ったが、戦槌ウォーハンマーが突き立っていた地面は明らかに湿り気を帯びており、周囲に振り払われた泥土も地面に落ちてビシャリと濡れた音を立てた。


 同時に俺の立つ地面も僅かに沈み込むような感覚を覚えた。周囲に目を這わせれば、ハカが戦槌ウォーハンマーを打ち付けた箇所を中心にして、同じように地面が湿り気を帯び始めていた。それこそ気付かぬうちに豪雨が周辺に降り注いだような状態だ。今までは踏めば確かな反発を足裏に返してきた地面も、多量の水気を帯びて泥濘に変わってしまっている。


「城崩しと呼ばれる魔物を知っているかい?珍しい魔物だが、これまた厄介な存在でな。場所によっては即座に駆逐される対象だ」


「沼沢鯰のことだろ。沼を作り出し、大地を泳ぐと言われる魔物。…つまり、その戦槌ウォーハンマーは沼沢鯰の素材を用いて作られているのか…」


 ここで沼沢鯰の名前を口にしたのだ。間違いなく戦槌ウォーハンマーにはその素材を用いて作られた魔槌なのだろう。俺の言葉を受けて、ハカは正解だと言わんばかりに戦槌ウォーハンマーを振り回す。その間にも周囲の地面は更に水気を増し、とうとう近場にあった樹木すら軽く傾き始めた。


 沼沢鯰が城崩しといわれる所以は、この魔物の能力にある。沼沢鯰は地下の水脈から水を集めているのか、あるいは液状化現象を再現しているのかは不明だが、自身の周囲に沼地を作り出しその泥の中を遊泳するのだ。そしてその能力に付随するのが、城を沼に沈めて崩落させたという逸話だ。広範囲を移動するような魔物ではないため、実際にそういった被害が記録されたことは無いのだが、過去には存在したのだろう、城崩しの逸話はしっかりと伝承されているのだ。


「さぁ、泥遊びの時間だ!子供は誰だって好きだろう?少年もたまには童心に返ろうじゃないか!一番綺麗な泥団子が作れた子にはご褒美だ!」


「…嫌がらせとしては最高の戦法だな。ぁあぁあ…靴の中に泥が入ってきてる…」


 とうとう俺の足までもが泥の中に沈み込む。まだ足首がのまれる程度の深さではあるが、そこは丁度ブーツの履き口の高さであり、そこから進入してきた泥の気持ち悪い感触に俺は思わず情けない声を出してしまう。狩人の履物は多少の沢でも踏破できるように防水性に優れるのだが、履き口まで沈んでしまえばその防水性も意味が無い。


 奴の戦槌ウォーハンマーはまさしく沼沢鯰の能力を再現するものなのだろう。時間が経てば経つほど泥は深くなり、抜け出しことすら困難になるかもしれない。近接戦闘を主体にする者にとっては面倒な能力といえよう。


「ほらほら!潔癖症を殺す攻撃!食らえ食らえ!俺色に汚れてくれぇい!」


「止めろ!本当に嫌がらせじゃねぇか!?」


 ハカはキャッキャッとはしゃぎながら、ゴルフのようなスイングで泥をこちらに跳ね飛ばす。人を飲み込むような量の泥なら攻撃と言ってもいいのだが、ハカの泥掛けはまさしく子供が泥遊びレベルであり、俺を汚す程度の効果しかない。それでも何かの狙いがあるのかと、俺は泥の飛沫を風で押し返した。


「うぉっ…!?やったなぁあ。それなら…これでどうだ!」


 俺が押し返した泥の飛沫を浴びて、逆にハカが泥だらけになる。自慢の鎧が汚れて怒るかとも思ったのだが、泥を浴びてもハカは上機嫌でありお返しと言わんばかりに、今度は深々と戦槌ウォーハンマーを地面に打ち付け、大量の泥をこちらに飛ばしてきた。


 大量の泥の飛沫が俺を襲うが、それでも風で楽に吹き飛ばせる程度だ。先ほどと同様に俺は目前に迫る泥を一気に吹き飛ばした。ふざける度合いが更に上昇しているハカではあるが、戦闘を忘れているわけではないだろう。案の定、俺の風はそれを裏付ける気配を感じ取っていた。


「見えてんだよ!小賢しいまねしやがってッ!」


「おっほ。待て待てぇ。逃げるなよぉ!」


 俺は泥の飛沫を風でハカにぶつけると、同時にそこから飛びのいた。ふざけていた様なハカではあったが、泥の飛沫に隠れて俺に接近してきていたのだ。前方を覆い隠す泥のカーテンに、泥に塗れた鎧は肉眼で捉えることが難しいだろうが、生憎、俺の風にはハッキリとハカの存在を感じ取っていたのだ。


 泥を浴びてもハカは戸惑うことなく俺が先ほどまで立っていた場所に戦槌ウォーハンマーを討ち付ける。大量の泥の飛沫が弾け、そのことにすらハカは楽しむような声を上げた。大量の泥を浴びたハカは既に泥人間のような様相である。


「…!?これがお前の狙いかよ。自分が鈍いなら、相手も鈍くすれば問題ないってか?」


「おいどんはどっしり戦うほうが好きなんでね。さぁ存分に打ち合おうじゃないか。少年も存分に叩き尽くし給え!」


 攻撃後の隙を狙うために俺は即座に切り返そうとするが、踏みしめた地面がヌルリと滑る。ただでさえ行動の起こりが足元の泥に遮られるというのに、方向転換すら阻害されるのではまともに動き回ることすらできない。奴の嫌らしい目的に俺は悪態をついた。


 ハカの言うとおり、これでは機動力を生かしたボクシングのような戦いは不可能であり、どうやっても相撲のような力のぶつかり合いになるだろう。そうなってしまえば鎧を着込んでいるハカのほうが圧倒的に有利であり、互いに打ち合うと言っておきながら、その実、正々堂々とした戦法ではなくどちらかといえば卑劣な戦法であろう。


「…そして自分は重量軽減のお陰で大した影響は無いってことか…」


「あんまり軽くすると少年の風で吹き飛ばされそうなんでな。これでも何時もより多めに地に足つけてまぁす。特大サービスだぜっ!」


 その体重が正規の重量であれば膝上まで沈みこんでいてもおかしくは無いのだが、ハカは俺と同じ程度しか沈み込んでいない。これで何時もより沈んでいると言うのだから、本来の戦闘ではハカは殆ど泥の影響を受けずに戦っているのだろう。


「なにがサービスだよ。お前だけ得してるじゃねぇか。自分の土俵に相手を落とし込むのがお前の戦法ってとこか…」


「人の不幸は蜜の味!金と同じで人が不幸になればその分得をする人間が居るわけさ。つまり!幸せになるには他人を不幸にすればいい!これは俺の人生哲学だから覚えておくがいい!」


 その言葉と共に、戦槌ウォーハンマーを振りかぶったハカがこちらに距離を詰めてくる。どこか自暴自棄になったかのように単純な攻撃ではあるが、やはり泥塗れの土俵で戦うことに慣れているのか、その足取りは泥に足を取られている俺と違って非常に軽やかなものだ。


 それ故に、読みやすい単純な攻撃でも驚異的な攻撃だといえるだろう。俺は風の力を借りて、泥を吹き飛ばすようにしながらその場から飛び退いた。


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