第646話 理由なき感情

◇理由なき感情◇


「そうだな。…気になることといえば…やはり私の場合、考古学的なことばかりになってしまうな。…だが、君らが知りたいのはそういった問題ではないのだろう?」


 マルフェスティ教授はそう呟きながらも俺らに困ったような顔を向ける。俺らが知りたいのは彼女の所有していたメルガの曲玉の具体的な性能なのだが、考古学者であって魔法使いではない彼女が知っているわけも無く、だがそれでも何か手掛かりになることはないかと記憶を探っている。


 現物があれば俺らのほうで調べることもできるだろうが、残念ながら現物は残夜の騎士団が保有している。もしかしたら既にオッソのほうでメルガの曲玉を詳しく調べるために動いており、マルフェスティ教授に報告書で尋ねてきたのもその一環なのかも知れないが、向こうの成果を待つだけというのも居心地が悪い。


「一番の謎はそうだな。やはりあのメルガの曲玉を見つけた遺跡だろうね。カーデイル時代の町なのだろうが、どうも滅んだのは国よりも前のようなのだよ。文献にはその存在が語られているのに、唐突にその存在が途切れていてね。それこそまるで一夜で滅んだように…。…ああ、すまない。これは発見場所の謎であってメルガの曲玉に直接は関係しないな…」


「その遺跡に住んでいた民族とメルガの曲玉は関係ないのですかぁ?カーデイルは多種族国家ですけれど、ある程度は種族ごとに固まって住んでいたはずですよね?」


 マルフェスティ教授は思考を口に出しながら悩むタイプなのか、誰に聞かせるわけでもなくつらつらと言葉を並べる。その言葉に関心を向けたルミエがマルフェスティ教授に尋ねるが、彼女は渋い顔を作って直ぐにその質問に答えることは無かった。


「…メルガの曲玉はカーデイル建国以前の代物なのだよ。それが遺跡にあったのは古い時代の祈祷師の血を引く者が存在したか、あるいは私のように全く関係の無い者が所有していたことだってありえる。つまり、あの遺跡の謎を解くのにメルガの曲玉が寄与することは何も無いのだ」


「それこそ…山のように出てくれば祈祷師集団が居た事の証明にもなりますでしょうが、確かに一つだけではたまたま所有している人間が居ただけに過ぎませんわね」


「興味があるのならばフィールドワークに行ってみるかい?立地的にそこまで重要な街ではなかったはずだが、それでも中々に魅力的な遺跡さ。未だに滅びた理由も、その町に住んでいた住人がどうなったかも判明していない。一夜で滅んだ謎の街。それこそ、幻に包まれたメルガの街のようではないか」


 東の交易路にあったとされるメルガ。国であったのか街であったのかすら判明しないが、確かに存在したといわれながらも、その具体的な場所や文化は未だに謎に包まれている。メルガも同様に、そこに住んでいた民族がどこから来てどこに向かったのかも判明していない。あるいは各地に見られるメルガの曲玉を携えた祈祷師がそれなのかも知れないが、だとしたら彼らは何故街を捨てることとなったのであろうか。


 マルフェスティ教授は逸れた思考を再びメルガの曲玉に戻して唸り始めるが、何か気付くための切欠が欲しいと思ったのだろう。メルルの横に椅子を移動させると、彼女と同じように俺の用意した書籍に目を落としメルガの曲玉の特徴を確認し始める。


「すまないが…この魔力に対する強度というのはどういうことなのだ?こちらに書いてある物質的変性と似たような意味で書かれているようだが…」


「触媒の中には使い捨ての物が多くありますわ。一つは魔力に対する強度が弱く、強力な魔法を用いれば触媒の回路が焼き切れてしまうもの。もう一つは…そこの魔力封蝋のように触媒に備わった魔法が物質的存在と引き換え…つまりはそもそも一度きりの魔法しか使えないものです。これが物質的変性を伴った触媒ですわね」


 やはり知らない単語が多いのか、マルフェスティ教授は隣に座るメルルに質問を投げかけながら本を読み解いてゆく。最初は拙い様子で読み込んでいたものの、やはり知識人と呼べる人間であるからか、多少メルルに説明をしてもらっただけで文章を追う目線はどんどんと早くなる。


 しかし、ふと何かに気が付いたのだろう。唐突に文章から目を離すと、悩むような素振りを見せながら周囲を見渡した。そしてしばしの沈黙をはさみ、今度は隣に座るメルルにゆっくりと肩を寄せた。


「…その、これは私の勘違いの可能性もあるのだが…メルガの曲玉に恐怖心を煽るような機能は備わっていたりするのかな?…あれが原因とは思っては居なかったが…どうにも…怖くなることがあってね」


「恐怖心…ですか?この本を読む限りその様なものは…。そもそも、感情への影響は呪術の範疇であって、魔術ではそのようなものは未だに確立されていませんわ」


 メルルと肩を寄せたマルフェスティ教授は小声でメルルに尋ねかける。唐突にわざわざ小声で話しかけられたメルルは軽く驚きはしたものの、マルフェスティ教授に合わせるような形でメルルも小声で答えた。


「呪術…となると在り得なくは無いのかな。あれはまだ魔法や魔術、呪術の垣根が曖昧な時代の代物と言われているからね。…しかし…なぜそんな機能が…」


「あの…マルフェスティ教授?なぜ小声で私に?」


「…だって…恥ずかしいではないか…!?私が一人の空間を怖がっていただなんて知られたら…」


 二人は相変わらず小声で会話をするが、残念ながら風に乗って声が届いている。ボソボソとしたか細い声はナナには聞き取ることはできないだろうが、五感の鋭いタルテやルミエにも聞こえているはずだ。そして、小声で話しかけたのは他の人間に聞かれたくなかったからだと理解したメルルは、少し気まずそうに俺に視線を向けてきた。


「…マルフェスティ教授。、その…非常に申し上げにくいのですが…ハルト様は風に感覚を乗せれるのです…。内緒の話をしたければ…先に耳を塞ぐようにハルト様に言わないと…。特に今は警戒のために耳を澄ましているはずですので…」


 マルフェスティ教授は躊躇うように言葉を紡ぐメルルを不思議そうに見てはいたが、彼女が何を言っているのかを理解した瞬間、勢い良く俺に向けて振り返ってきた。俺は反射的に目を逸らしてしまったが、その反応で先ほどの言葉が俺にも聞こえていたと分ったのだろう。彼女は唐突に固まると顔を耳まで真っ赤に染め上げた。


「あっ…ええ…と…。その…」


「わ、私も研究室が怖いと思っていたんですよぉ!あの石があると思うと落ち着かなくてですね…」


 マルフェスティ教授はパクパクと口を動かしながら声にならぬ声を漏らす。その様子を見てルミエがフォローするように言葉を挟むが、その言葉で先ほどの小声の会話がルミエにも聞こえていたと分ったのだろう。マルフェスティ教授は真っ赤な顔を隠すように膝を抱えて縮こまってしまった。


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