第645話 メルガの曲玉とは

◇メルガの曲玉とは◇


「メルガの曲玉。…魔力により変質した翡翠を加工して作られたとされる祈祷具。触媒として複数の機能を有するが、それゆえに十全に扱うには魔力操作と十分な機能の把握を要求される。単一の素材ながら人の手で作られた加工品であるため、広義では触媒ではなく呪物や魔道具に分類される…」


 俺は書籍を片手で持つと、その内容を皆に聞こえるように読み上げた。寝床の脇に積み上げていた書籍の大半はマルフェスティ教授が所有していた考古学に関する書籍であるのだが、こればかりは俺が持ち込んだ本である。


 この本は魔法使いや魔道具技師に向けた書籍であり、考古学的な視点ではなくメルガの曲玉の触媒としての性質が纏められている。マルフェスティ教授は扉の錠前にメルガの曲玉を利用していたが、魔力に反応して物体を動かすのはメルガの曲玉に備わった機能の一つでしかない。汎用性に優れる触媒だと聞いてはいたが、この本を読む限りメルガの曲玉は随分と沢山の効果があるらしい。


「ああ、そう言えば鍵屋も面白い代物だと喜んでいたね。…確かに私には魔術的な見地からメルガの曲玉を見ることはできないが…、その触媒としての能力が扉の錠前を機能させていたのだろう?ルミエ君の言うとおり、それこそ本物である証拠ではないか」


 マルフェスティ教授は考古学者としての知識はあるが、魔法あるいは魔術の知識は一般人の枠を出ない。むしろ魔術的な知識が無くともメルガの曲玉を鑑定できることが彼女の考古学者としての知識の深さを感じさせるが、彼女自身は畑違いといえども知識の不足を指摘されて拗ねたように唇を突き出した。


「ねぇ。余り疑いたくは無いけれど…その鍵屋さんがすり替えたってことはない?魔力に反応して鍵を閉める程度ならば、他の触媒でも十分に可能だよね?」


「それは…難しいんじゃないか?ナナも見ただろうけど、だったらあの異様な翡翠の塊はどこから来たって話になる」


 ナナは鍵屋が金に目が眩んだ可能性を指摘するが、それではあの翡翠の塊が説明できない。ただの翡翠の塊を用意することは可能だろうが、あの翡翠の塊は一目で単なる翡翠ではないと判別できるほどだ。マルフェスティ教授を騙せるほどに緻密な加工を施し、更には触媒としての機能をもたせるなど不可能に近い。もしそれが可能な腕前があるならば、その技術で好きなだけ金が稼げるため悪事に手を染めることも無いだろう。


「あの鍵屋がすり替えたと言うのは在り得ないだろうね。徒弟がやらかしはしたが、鍵屋というのは信用が第一だ。あの技術一辺倒な男が邪心を抱くことなど考えるだけ無駄さ。…なにより、私の目を誤魔化すことがそもそも不可能なのだよ」


 マルフェスティ教授も鍵屋がメルガの曲玉をすり替えたという説を否定する。彼女からは鍵屋を悪く言う言葉しか聞いた覚えしかないが、鍵屋としての姿勢は信頼しているらしい。むしろ、信頼しているからこそ破られたことに文句を言っているのだろうか。


「この本を読む限り、随分と特殊な触媒のようですわね。現代の魔術ではなく…それこそ呪術的な代物のようですわ」


「…いくら加工されてるとしても…鉱物でこれほど多様なのは不思議です…。どのように作ったか想像もできません…」


 俺が開いた本のページにメルルとタルテが目を這わす。彼女達もメルガの曲玉について深く知っている訳ではなかったため、そこに記載されている情報に驚き目を見開かせていた。


「マルフェスティ教授。この本によると…メルガの曲玉は物によって性能に差異があるそうです。あの曲玉の特性は確認できていたのでしょうか?」


「そもそもだね。触媒という考えが私にはあまり馴染みが無いのだ。私に証明できるのはあの石の考古学的な正当性であり、触媒としてどうなのかと言われても困ってしまうよ」


 俺はマルフェスティ教授に訪ね掛けるが、彼女は困り顔でそう言い返した。俺がわざわざメルガの曲玉について書かれた本を取り出したのはこのためなのだが、どうやらマルフェスティ教授は求める情報を把握してはいないようだ。


 この本によると、そもそもメルガの曲玉には大小のサイズ差があり、更には備える性能にも差があるらしい。それは魔術という考えが発足する以前の代物であるがゆえに、画一的な加工が施されておらず、更には魔物素材を用いた魔剣のように、使用者に合わせて成長する機能を有しているからである。


「触媒というのは…生物の遺骸と一部の魔法的特性を備えた無機物を利用する技術ですね。魔法使いは魔力操作で魔法を構築しますが、魔物を筆頭にそもそも肉体に構築式を備えた物が存在するんです。それらは魔力を通すだけで勝手に魔法を発動してくれるんですよ」


「ご存知かもですが、その魔術封蝋には火集り蝶の燐粉が触媒として使われているはずですね。備わっているのは単純な発火の魔法ですが、手紙を燃やすぐらいには十分ですよ」


 俺はマルフェスティ教授に触媒の説明をする。それはある意味では魂の残滓とでも言えようか。死しても肉体が残るゆえに、その特性は失われることは無いのだ。


「ルミエの鱗も触媒になりますわよ。竜の鱗は特に有名な触媒ですからね。竜種の鱗が強固なのは、物理的にそうあるだけではなく…硬化させる魔法を宿しているのですわ」


「抜け落ちた鱗を信者さんにあげると喜ぶんですよぉ。お守りとして胸につけるんです。戦う人が多いからですかねぇ、特に男性の信者さんに人気で奪いあってました」


 メルルが視線で竜人たるルミエの綺麗な青い鱗を指し示し、ルミエは何も分っていないような顔で竜讃教会の闇を語る。恐らく、その男性信者は別の物を信仰しているに違いない。…竜人のルミエは信仰の対象であるため、間違いではないのかもしれないが…。


 触媒を利用する過程で魔法の体系化が行われ、新たに魔術という概念が生まれた。しかし、メルガの曲玉は魔術と呪術の境が曖昧な時代、それこそ魔術という概念が生まれる前の代物だろう。それ故にその特性は完全に解明しているとは言い切れず、少なくとも性能差があるのならば、もしかしたらマルフェスティ教授が所有していたメルガの曲玉が特別であった可能性があるのだ。


「マルフェスティ教授。それで、何かあのメルガの曲玉に気になる点はありませんでしたか?もしあの石が特別ならば…蛇の左手が狙う理由が分るかもしれませんよ」


 オッソが抱いた疑念は、つまりはそういうことなのだろう。マルフェスティ教授が所有していたメルガの曲玉が特別な代物ならば、それは誰かを動かす理由に成りえるのだ。俺の言葉を聞いたマルフェスティ教授は唸るような声をあげ、天井を見上げながら考えを巡らせ始めた。


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