第647話 ぜんぶ石のせいだ
◇ぜんぶ石のせいだ◇
「…別に私が怖がりなのではないぞ。普段は平気だからこそ…あの倉庫や研究室に抱いた感情がおかしかったと言っているのだ…」
こっそりとメルルが心を落ち着かせる闇魔法を使ったからか、恥ずかしがっていたマルフェスティ教授は伏目がちにこちらを見ながらポツリポツリと語ってゆく。じっとりとした視線が俺を責めているようでどうにも居心地が悪いが、俺だって好き好んで盗み聞きをしたわけではない。風に感覚を乗せている最中は嫌でも声が聞こえてしまうのだ。
マルフェスティ教授が言うにはまるで夢を見る際の感情のように、原因不明の恐怖心をあの倉庫に感じていたらしい。そしてメルガの曲玉を研究室に移してからは同じ感情を研究室で感じることがあり、もしかしたらそれはメルガの曲玉が原因ではないのかと考えているようだ。
「別にマルフェスティ教授が怖がりとは思ってませんよぉ。地下の真っ暗な遺跡にも平気で踏み込んでいきますし、呪いの品も平気で触るじゃないですかぁ」
「そうだ。その通りなのだよ。私はそういったことに関しては普通の子女よりも耐性があるのだ。だからこそ…その、怖いと思っていたことが恥ずかしくてだな…」
古い土地や品物には時間をかけて人の意思が蓄積し、天然の呪いと言うべきものが宿っている。そういった呪いは目的を持って事象を引き起こす呪術とは異なり、呪いとしての指向性を持たず危険性もそこまで高くないのだが、それは呪術によって作られた呪物と比較しての話であり、天然の呪物が安全ということではない。
それにたとえ安全だとしても、人は本来暗闇や得体の知れ無い物を恐れるようにできている。ルミエの言うようにそれを全く恐れないというのはマルフェスティ教授の意志の強さの表れでもある。それを自負しているからこそ、恐怖心を抱いてしまったことを恥じているのだろう。
「…呪いの品を平気で触るのは…恐怖心というよりも危機意識が足りないのでは…」
「そんなもの慣れだよ慣れ。もちろん間違った対応をしているわけではないぞ?ちゃんと対策は準備しているし、危険そうな代物は解呪を依頼している。…それでも完全に解呪できない品や多少の呪いを孕んでいる程度なら、まとめてあの倉庫に押し込んでいたのだがね…」
呪物を平気で触ると聞いて俺は思わず呆れたように声を漏らしてしまうが、そこはルミエの比喩表現であったのだろう、考古学に携わるものとしてそこは正しい対処をしているらしい。確かにあの倉庫の片付けの依頼は解呪の技能や呪いの耐性を持つ者を募集していたが、あからさまに危険といえるほどの呪物は存在していなかった。せいぜいが少しばかり体調を崩すか、あるいは逆に一時的に肉体が活性化する程度の影響だろう。
マルフェスティ教授が言っていたように、解呪の技能や呪いの耐性を持つ者を募集は依頼を受注されないようにするためであり、本当に危険な代物があれば第三者に片付けなど依頼しないはずだ。強いて言えば危険そうな品物もあるにはあったが、それは倉庫の奥に丁寧に仕舞われていたため、俺らも、あの猿でさえ触ることはなかったのだ。
「ああ、そうだ。そうだな。あの倉庫が不覚にも怖いと感じてしまってね。自然と足が遠のいてしまっていたのだ。だからこそ倉庫があの惨状になってしまったという訳なんだよ。どうだい?仕方が無かったとは思わないかね」
「…それは嘘じゃないですかぁ。倉庫が怖かっただけなら研究室の惨状が説明できませんよ。片付けられない呪いにかかったとでも言うつもりですか?」
調子を取り戻してきたマルフェスティ教授は、倉庫が散らかっていたことも恐怖心のせいだと責任転嫁するが、流石にそれは無いとルミエが呆れたように口を挟む。
「むぅ…。ルミエ君も教授になれば分るよ。忙しくて物を片付ける時間が中々に捻出できないのだ。あるいみでは片付けられない呪いと言ってもいいだろう。ああ…そういえば
「時間がないから片付けられないのではなくぅ、片付けないから時間がなくなるんですよ。他の教授は…部屋が綺麗な人も居るには居るじゃないですか」
先ほどまではマルフェスティ教授を励まそうと健気な言葉を投げかけていたルミエだが、今は冷めた表情で部屋を散らかすマルフェスティ教授を詰っている。どうやら散々に掃除をさせられたことが、ルミエの心に重篤な心的外傷を齎してしまったのだろう。…因みに
マルフェスティ教授とルミエの会話を聞きながらも俺はメルガの曲玉について書かれた本に目を通す。その本にはメルガの曲玉に備わった呪術的要素にも言及はされているのだが、生憎と恐怖心を掻き立てるといった描写はない。
「ねぇ、ハルト。この集団祈祷による現象の発現っていうのは関係ないかな?願いを現象に変えるということは…逆に現象を願い…例えば感情に変えられたり…」
「事象の消失的変換は無理が無いか?集団祈祷による現象の発現ってのは…主に雨乞いや豊作祈願のことだろうから、祈祷することで発生した魔力を集めて魔法を発現していたんだろ。この場合のメルガの曲玉の機能は魔力の集積ってとこか…」
俺の背後から覆いかぶさるようにしてナナも本に目を通す。残念ながらどこにも恐怖心を書き立てるといった記述は見つけられず、似たような症状を引き起こすであろう機能を探すのだが、どうにもこれだと思えるような記述は無い。
また、魔法使いや魔術師に向けた本であるため、この本の作者もその畑の人間なのだろう。まだハッキリと解明されていないからか、呪術的な要素については明言されていないことが中々に悩ましい。
「マルフェスティ教授の証言からすれば…人避けの呪物が近しいのですが…生憎とその機能は書かれていませんわね」
「人払いや人避けの呪物なら私も知っているが、メルガの曲玉は祈祷師が携帯していた祭具なのだよ?祈祷師ではなく暗殺者であったという新説を唱えるなら止めはしないが、メルガの曲玉にそんな機能があるとは思えないね」
メルルも本に目を落としているが、俺らと同じように該当するであろう機能は見つけられないでいる。そもそも、人に恐怖心や嫌悪感を抱かせる呪物は特段に珍しいものではない。後ろ暗いことに使用されることが多いが、人払いや人避けの呪術は需要があるため、もしそんな機能が備わっていたのならば記載されているはずなのだ。
「…だが、これである意味ハッキリとしたのではないかな?私は原因も対象も不明な恐怖心を抱いたことがあり、その現象はあのメルガの曲玉と共にあったと証言できる。もし仮にあのメルガの曲玉が特殊な代物だというのならば、私に言えるのはそこまでだよ」
そう言いながらマルフェスティ教授は紙とペンを取り出した。解読した際に完全に暗号を習得したのか、彼女は換字表を見ずに直接暗号を書き込んでゆく。それはオッソに対する返事であり、自身が感じた症状を記載しているのだろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます