第643話 雄弁は犬、沈黙は猫

◇雄弁は犬、沈黙は猫◇


「魔術封蝋に加えて中身がこれだとはな。ここまで周到だと感心を通り越して笑えてくる」


 秘密のお手紙といえば個人的には牛乳や果汁を使った炙り出しなのだが、マルフェスティ教授が取り出した手紙にはハッキリと文字が書かれている。しかし文章としては支離滅裂であり、単語ですら読めるものは存在しない。


 つまり手紙の内容は全て暗号になっているのだ。魔術封蝋に加えて暗号による記述など、一体どんな重要な情報が記載されているのだと思えてしまうが、オッソは全ての連絡をこの形式で行うと言っていた。つまり仰々しいだけで中身は単なる定時連絡かもしれないのだ。


「マルフェスティ教授?換字表は私が預かっておりますわよ?暗号を解読いたしますのでお貸しいただけないでしょうか…」


 暗号化されている手紙をじっと見つめているマルフェスティ教授の様子に首をかしげながらも、換字表を取り出したメルルがそう言いながらマルフェスティ教授に手を差し出した。オッソが用いる暗号は換字暗号と呼ばれるもので、正しい文字が別の文字にへと変えられている暗号だ。そのため、解読するには各文字が何の文字に変換されているかが記載されている換字表を用いて文字を再変換する必要がある。


 逆に言えばメルルの持つ換字表があれば誰であっても簡単に解読することができるのだ。換字暗号とは、事前にその換字表をすり合わせることで、二人の間だけで通じる秘密の暗号となるわけだ。メルルの持っている換字表は事前時オッソに渡されたものであり、マルフェスティ教授が管理しておくことを面倒臭がったため、仕方がなしにメルルが管理していたのだ。


「ああ、構わないよ。この程度の暗号ならそんな物は必要ないさ。…一応、君らにも読めるように書き出しておくか…」


 しかし、マルフェスティ教授は解読するというメルルの提案を断り、逆に彼女の手元にあった白紙の紙を奪うと、ガリガリと結構な速さで文章を書き出してゆく。書き出された文章は意味の通る文章であり、それが手紙に書かれている正しい内容であることは誰の目にも明らかであった。


「えぇ…。メルルの表が無くても暗号が解けるんですか?」


「どのような内容の文章でもあってもね、よく使われる文字と使われない文字…つまり文字の出現頻度というのは同じなのだよ。…もちろん詩文のような短い文章だと偏りがあるがね。まぁ、つまりこの暗号文の文字の出現頻度を数え、それを正しい出現頻度の文字に置き換えてあげれば簡単に読むことができるというわけさ」


 正規の手法を用いることなく暗号を解読するマルフェスティ教授に、戸惑った様子のナナが口を開いた。驚愕している周囲の反応に気を良くしたマルフェスティ教授は、どのような方法で解読しているか解説し始める。


「そもそも…それを何故貴方が知っているのかが不思議なのですが…。そのことは余り口にしないことをお勧め致しますわ」


「おいおい。私の職業を忘れたのかい?私は考古学者なのだよ?未知の文字を読み解くことだなんて日常茶飯事さ。…知っているかい?冷たい滅び以前の文明では国や民族が違うと文字どころか話す言語も全く違ういうというのが通説でね…」


「きょ、教授ぅ…。暗号は軍人も使うんですよね。それが解読できると知られたら…」


 暗号が解読できるという情報は危険だから公にするなとメルルが釘をさすが、マルフェスティ教授は理解していないのかまだ得意気な様子で高説を続ける。逆にルミエはその危険性に気が付いたのか、青い顔をしながら高説を続けるマルフェスティ教授の口を塞ぐように縋りついた。


 マルフェスティ教授はずり落ちたモノクルを片手で抑えながら、なぜルミエが慌てているのかを考えたらしい。途端にルミエの顔色が伝染したかのように青くなり、パタリと口を閉じた。そして怯えたような目でメルルを見ると、メルルもそれでいいと言いたげに深く頷き返した。


「こ、ここ、これが解読…した文章…。いや、解読ではなくてね。私は暗号なんて解けないから…そうそう、そこのネズミ捕獲長が言った言葉を書き写したものだよ。無限の時間があれば猫が踏み鳴らす鍵盤もいつかは名曲を奏でると言うしね。たまたま言葉が意味のある文章になったのだろう」


「マルフェスティ教授…!猫さんの言葉がわかるですか…!?猫語の講義もやってるですか…!?」


 うろたえるマルフェスティ教授と騙され目を輝かせるタルテを無視して、俺らはマルフェスティ教授が差し出した文章を受け取った。そこには残夜の騎士団が今置かれている状況と、現状の調査で分ったことが記されていた。


「やっぱり情報を漏らしたのは鍵屋だったみたいだな。…と言っても、本人というよりは徒弟の口が緩かったか…」


「酒に酔って他の徒弟仲間にこなした仕事の自慢ね。ありがちといえば、ありがちだけれども…まさかそんな酒場の一席での話で蛇の左手が動くことになるんだ…」


「酒場で語られるような話を軽く見てはいけませんわ。大半は与太話ですけれども、火の無い場所に煙は立たないと申します。裏ではそんな与太話の中から金を見つける情報屋もおりますわ」


 メルル曰く、酒場の与太話であってもそれを情報屋に持っていけば小金が貰えるらしい。その行為は砂金掘りと呼ばれ、一般人が情報屋の耳となって情報を集め情報屋がその砂礫の中から砂金を見つけ出すのだ。


 生憎と残夜の騎士団が調べることができたのは、鍵屋の徒弟が酒場でメルガの曲玉を使う大仕事をしたと自慢していたというところまでであり、その話を誰がどこの情報屋に売ったかまでは調べきれてはいない。情報屋まで特定できれば、メルガの曲玉を欲している黒幕まで判明するかもしれないが、恐らく今後もそこまでは辿ることはできないだろう。


「徒弟がやらかしたのは師匠の責任とは言え、そうなると言い掛かりを付けにくいな…。まぁいい。それよりも私としては続きの内容について君達の意見を聞きたいところなのだが…」


 書き出す過程で既に内容を把握したのだろう、マルフェスティ教授は報告書の続きを読むように促してくる。そこには猿と呼ばれる鍵開け師を再度尋問していることと、それに至るまでの経緯が書かれており、同時に何か心当たりが無いかとマルフェスティ教授に訪ねかける文章が記載されていた。


 しかし、当のマルフェスティ教授は心当たりが無いどころか、残夜の騎士団が騎士にしていることをいまいち理解できていないのだろう。俺らに解説して欲しいのか妙に愛嬌のある困り顔を向けてきていた。


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