第642話 猫がいるうちは安全

◇猫がいるうちは安全◇


「あ、ハルトさんお疲れ様ですぅ。…本当にこの部屋に寝泊りしているんですね…」


 残夜の騎士団を契約を交わしてから数日、俺がマルフェスティ教授の研究室で寛いでいると、ルミエが研究室を訪ねてきた。彼女は俺が寛ぐソファーに毛布が掛けられているのを見て、それが寝具としても使われていることに気が付いたのだろう。


 その寝具となっているソファーの周りにはマルフェスティ教授が所有していた本が山となって積み重なっており、俺の無聊を慰めてくれている。警備のためとはいえ、まるで締め切り間際の研究者のようで我ながら少しおかしく思えてしまうが、せっかくルミエが片付けた研究室を散らかしてしまい、同時に申し訳ない気持ちも芽生えてきた。


「ああ、悪いな。散らかしちまって。読み終わったらその都度元の場所に戻すべきなんだろうが…、これはなんだったかなと読み返すことが多いんだ」


「もっと酷い人を見てますから、それぐらいは全然マシな部類ですよ。ただ、最後にはちゃんと元の場所に戻してくださいねぇ」


 彼女も用が会って研究室に来たのだろうが、寛いでいた俺に対して紅茶を入れてくれる。以前の惨状では気付くこともできなかったが、この研究室にはティーセットなども準備されており、片付いた今となっては中々に過ごしやすい空間だ。


 ルミエが茶器でカチャカチャと音を立てると、それに答えるように今度は日向側の窓もカチャカチャと音を立てる。そちらを見れば毛の長い灰猫が窓を前足で揺らしており、まるで中に入れろと催促しているようだ。


「あら、また遊びに来てますよ。マルフェスティ教授が餌を上げるせいでよく来るんですよ。…まぁ、マルフェスティ教授が沸かした虫や鼠の類を捕ってくれるのでありがたいのですが…」


「本と猫が部屋の最高の装飾品ともいうし、遊びに来る程度ならいいんじゃないか?学院の猫なら悪さ…、いや、悪さはするが…粗相の類はしないだろう?」


 ルミエが窓を開けると、僅かな隙間から流体に変化した猫が流れ込んでくる。妖精猫アルヴィナに率いられているからか、学院に住まう猫はやたらと賢いのだ。その賢さを悪戯や食料の窃盗などにも役立てているが、屋内で排泄することは無いし体が汚れていれば綺麗にしてから部屋に上がるなどの行動をとるのだ。恐らくはそれが自身の品位を傷つけると理解しているのだろう。


 その灰猫は挑発するように俺の脚に身を擦りながら通り過ぎると、そのままマルフェスティ教授が用意している餌皿の前に着席して、ルミエを見つめながらテシテシと餌皿の縁を叩く。恐らく、餌皿の存在理由レゾンデートルが満たされていないと訴えているのだろう。餌の入っていない餌皿は唯の皿であり、餌皿であるためには餌が入っていなければならないのだ。


「えぇ…。何かあったかなぁ…。ハルトさん。猫が食べられる物持ってます?」


「乾燥肉ならあるが塩分過多だな。…まぁ、もうマルフェスティ教授がそこまで来てる。教授なら食べ物の場所を知ってるだろ」


 ルミエが餌を用意できないと理解したのか、猫の癖に溜息を吐きながら視線を研究室の扉にへと移す。俺が風で音を拾ったように、灰猫もマルフェスティ教授の存在を感じ取っているのだろう。隣の部屋の虫の足音さえ聞こえるといわれる猫の聴覚ならば、この研究室に向かってくる足音が聞こえていてもおかしくは無い。


「おや?ネズミ捕獲長が来ているではないか。少し待っていたまえ。茹でたウサギ肉があるからそれをご馳走しよう」


「あ、皆さんご一緒だったんですね。…それと、教授…この子の名前は湯たんぽじゃないんですか?この前はそう呼んでましたよね?」


「湯たんぽは薄っすらと縞柄がある子だよ。確かに色合いは似てるが、間違えるのは頂けないね」


 賑やかな声と共にマルフェスティ教授が姿を現す。そして彼女の後に続くようにしてナナやメルル、タルテも研究室の中に入ってきた。俺が研究室を読書しながら警備している間、彼女達は講義などをしていたマルフェスティ教授に同行しながら守っていたのだ。


 どうやら食料品などの買い足しもしてきたようで、タルテは顔が隠れるほどの紙袋を抱えている。それでも直ぐに猫の存在に気が付いたのか、タルテは机の上に食材を置くと猫に歩み寄ってゆく。…弛まぬ努力のおかげか、最近はタルテを恐れない猫が増えてきたのだ。ネズミ捕獲長もその一匹らしく、喉を鳴らしながらタルテに撫でられている。


「猫しゃん…いい子ですねぇ…。はぅぅ…可愛い…可愛い…」


「ね、ね。タルテちゃん。次は私ね。ほら、お膝のほうに…、あ、あぁ…行っちゃった…」


 しかし、取り合う二人の手からすり抜けるようにして、ネズミ捕獲長はマルフェスティ教授に擦り寄った。マルフェスティ教授は身を屈めてネズミ捕獲長の背中を撫でると、餌皿の中にウサギ肉を盛り付けた。


「それで、ルミエはどうしたんだい?個人授業は今日の予定ではなかっただろう?分らなかったことがあれば教えてもいいが…」


「お手紙を預かってきたんですよぉ。もう…事務局の人も私のことを完全にマルフェスティ教授の助手だと思ってますぅ…」


 ルミエは事務局に届いていたマルフェスティ教授宛ての手紙を差し出した。差出人は残夜の騎士団のオッソであり、彼らが用いている封蝋にて厳重に閉じられている。その封蝋印は緻密でどこか独特な文様を刻んでおり、それを見たメルルが感心したように唸っている。


「魔術封蝋ですか…。公的な機密文章でもないのに厳重ですわね」


「少し聞いたが、残夜の騎士団ではこれがデフォルトらしいぞ。必要な触媒は団員が自分達で狩っているらしい…」


 魔術封蝋と呼ばれるそれは、あて先の人間以外が開封すると封蝋印に刻まれた魔法陣が発動し、中身を燃やすという代物だ。必要な触媒の入手性が悪いため一般的には利用されていないが、残夜の騎士団は自前で用意することで活用しているらしい。


 マルフェスティ教授に差し出された手紙だが、先にメルルがそれを奪い取る。そして手紙に不自然なところが無いことを確認してから改めてマルフェスティ教授に手紙を渡した。メルルが確認したからか、特に警戒することも無く封蝋を破り中から手紙を取り出した。


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