第639話 狙った獲物は逃さない

◇狙った獲物は逃さない◇


「はははは…。鍵屋に文句を言いに行くのは少し待っていただけないですかね。残夜の騎士団のほうで事前に接触してみます。…もし話がそこから漏れていたのならマルフェスティ様にお伝えしますので」


 今にも飛び出していきそうなマルフェスティ教授をオッソが苦笑いしながら引き止める。念のため釘を刺しておかなければ、それこそこの話し合いが終わった瞬間に鍵屋の下に向かうかもしれない。そうなってしまえば、それこそマルフェスティ教授が彼らの捜査の邪魔になってしまうだろう。


 オッソにその言葉を引き出させたほど、マルフェスティ教授の瞳は濁ってしまっていたのだ。マルフェスティ教授はオッソの言葉で我を取り戻したように瞳に光を取り戻し、姿勢を正すように足を組み替えた。


「なんだい?私が鍵屋を物言わぬようになるまで責め立てると思ったのかい?いくらなんでもそこまで過激ではないよ」


「ええ、それはもちろん。…むしろ、正解であった場合…フキが鍵屋を狙う可能性がありますね。残夜の騎士団の追手を撹乱するために…。死人に口なしという奴です」


「…そうなっても私は巻き込まないでくれたまえよ。死者の言葉に耳を傾けるのが考古学者の仕事とは言え、流石に血の臭いが残る現場は管轄外だよ。私の身の回りでそんな悲劇が起きないことを願うばかりだな」


 いくら鍵を破られたことを根に持っているとはいえ、鍵屋までもが危険に晒される可能性があるとは思っていなかったのだろう。マルフェスティ教授は顔を顰めながらオッソにそう呟いた。恨みを持ちながらも鍵屋を心配する気持ちがあるらしく、落ち着かない様子で少しソワソワと身を揺らした。


 だがそこまで心配することも無いだろう。裏に生きる存在であるのならば、そもそも口封じを必要とする接触の仕方などは避けるはずだ。それに命を刈り取ることに躊躇の無かったフキならば、殺したほうが利益があると判断したならば既に殺していることだろう。既にあれから数日の時が経っているため、今になって事が動くとも考えずらい。


「マルフェスティ様。蛇の左手が情報を入手した経緯は後々調べさせて頂きますが…、問題のメルガの曲玉は今どちらに保管されていますか?まさか…例の倉庫にまだ保管していたりは…?」


「馬鹿な話はよしてくれたまえ。あの鍵屋のせいで今の倉庫は一般人でも拝観できる驚異の部屋ヴンダーカンマーになっているのだ。そんなところにメルガの曲玉を置いておく訳ないだろう?」


 そう言いながらマルフェスティ教授は手荷物の中から布に包まれた物体を取り出した。テーブルに置かれたそれは、布を挟んでいてもコトリという硬質な音を立て、それが内包された物体の重量を感じさせた。


 全員の視線がそれに集まるが、そんな視線を無視するようにマルフェスティ教授はさっさと包みを解いた。中からは先日にも目にしたメルガの曲玉が姿を現し、その大人しいながらも異様な輝きが静かに蠢いた。


「君を信用して話すが、今は私の研究室に保管しているよ。人の出入りは多いが、学院には貴重品が多数あるため警備は厳重だ。その蛇の左手も随分と過激なことをするみたいだが…、これ以上に厳重な場所など数えるほどしかないはずだよ」


 マルフェスティ教授が言っていることは間違いではない。確かに不特定多数の人間が出入りするため、その点では危険性があると言ってもいいが、教授陣が保持する価値のある物品に加え、複数の貴族子女を預かるオルドダナ学院は王都でも有数の警備を敷いている。


 これ以上の堅牢な場所となれば王城か大貴族の邸宅ぐらいか。だからこそマルフェスティ教授が研究室にメルガの曲玉を移動すると言っても俺らは特に反対することは無かったのだ。しかし蛇の左手の情報を聞いた今ではその前提も崩れつつある。単なる盗人ではない彼らは取れる手段が豊富なのだ。


「…マルフェスティ教授。俺も質問があるのですが…ご家族や…特に親しい友人などはいらっしゃいますか?」


「いきなりなんだい?…こう見えて私は地方の男爵家の令嬢でね。最近はようやく両親からの結婚しろという苦情も収まっていたんだ。研究に忙しいからそんな相手を探す暇も無いというのにね」


 俺の思い描いた嫌な想像に従ってマルフェスティ教授に尋ねかけたのだが、彼女はあっけらかんとした様子でそう答えてくれた。質問の内容よりも、どうやら何故俺がいきなりそんな事を聞いたのかに関心が向いているらしい。


「ああ、だからと言って結婚願望が無いわけではないよ?好みのタイプは…そうだな。年下で生意気だけど、意外と頼りになる男の子だ。どうだい?立候補してくれる気はあるかな」


「…ハルト様。この何も気付いていない方にさっさと危険性を話してしまいましょう。これ以上語らせても誰の得にもなりませんわ」


「マルフェスティ教授。あまりふざけた事を言わないで下さい。ハルトが聞いたことは真面目な質問なんですよ?」


 からかうように俺に笑いかけるマルフェスティ教授を、呆れた様子のメルルとナナが溜息と一緒に嗜める。彼女らの気迫に押されて、マルフェスティ教授は思わず息を飲み込んだ。事実、彼女らが言ったように俺はマルフェスティ教授に真面目な質問をしたのだ。状況によってはあまり笑ってもいられないだろう。


 なぜ俺がそんな質問をしたのか気が付いていないのはマルフェスティ教授とルミエくらいであり、オッソはもちろんタルテでさえ俺の質問の意味を理解している。俺は話すべきかとチラリとオッソに視線を向けるが、彼もこのまま黙って彼女を危険な目に合わせるつもりは無いらしく、俺に促すように無言で頷いてみせた。


「マルフェスティ教授。落ち着いて聞いてください。…もし俺が蛇の左手ならば、教授の家族や恋人を人質に取ってメルガの曲玉を要求します」


「…え?は?人質って…殺されたくなければメルガの曲玉を渡せって事?」


「他にも生徒や教員に協力させて研究室からメルガの曲玉を奪う可能性もありますわ。同じように人質を取れば可能でしょう?」


 一度凌いだことで、事件の直接的な被害を受けることはもう無くなったと思っていたのだろう。マルフェスティ教授は俺らの言葉が直ぐに理解できなかったようで戸惑うように聞き返してきた。しかし、直ぐに理解できなかったのは彼女が単に犯罪者の習性に疎かったからに過ぎない。学問の徒である彼女は頭の回転が遅いわけでもなく、すぐさま俺らの語る内容を理解して細かく震え始めた。


「内部に協力者を用意して、蛇の左手を直接学院に招き入れる可能性もあるでしょう。…蛇の左手はそれをなす手腕があります。…メルガの曲玉が貴族からの依頼であるならば、更にそれは容易いことになるでしょうね」


 そしてオッソの言葉がマルフェスティ教授に止めを刺した。震える彼女の手が握るティーカップがカタカタと音を立て、瞳は彼女の混乱を如実に表すように室内を右往左往と泳いでいた。


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