第638話 人の口に鍵は閉まらない
◇人の口に鍵は閉まらない◇
「それで…マルフェスティ様にもお話をお聞きしたいのですが。あの倉庫はマルフェスティ様が所有していると聞いていたのですが…」
オッソがなるべく大人しい声でマルフェスティ教授に訪ねかける。怯えさせてしまった手前、強く出れないのだろうが、その様子はまさに幼子に話しかけるようだ。彼としてはフキと蛇の左手を追うために、奴らが何を目的に動いているのか知っておきたいのだろう。
マルフェスティ教授もいつまでも怯えているほど恐怖に支配されている訳ではないのだが、慌てて飛びのいてしまったことが恥ずかしいのか、直ぐにはその質問に答えずに咳払いをして誤魔化すようにして調子を整えている。
「そ、そうだよ。あの倉庫は私に所有権があってね。考古学の研究で集めた資料を保存するために使っているのだよ。中には宝石や金が使われた遺物もあるから厳重な鍵を用意したのだが…今回は見事に突破されてしまったという訳だ」
「あの猿に狙われたのでしょう?彼はその腕前だけで渡世している人間ですので致し方ないかと。むしろフキが自身では突破不可能と判断したからこそ、わざわざ猿に仕事を依頼することになったのでしょう」
未だに鍵を突破されたことに遺憾の意を示してるマルフェスティ教授をオッソが宥める。衛兵も語っていたが意外にも猿はその筋で有名な人間であったらしく、オッソも猿に狙われたのだから仕方ないと言っている。確かに戦闘に怯えて逃げ出したほど臆病なあの痩せた男が、暴力が物を言う裏社会で生きてきたのは、その鍵開けの腕前があってこそなのだろう。
「どうせ気になっているだろうから先に話すが、その猿が狙っていたのはメルガの曲玉だよ。…彼は翡翠の塊としか知らされていなかったみたいだから、衛兵のお友達からも詳しくは聞かされていないだろう?」
「…教授。もしかして黙ってたんですかぁ?どうなっても知りませんよぉ」
俺らがメルガの曲玉を取り出したときには近くに衛兵の影は無かった。少しはなれた場所で現場検証をしてはいたが、俺らの話を聞かれてはいないはずだ。…そしてどうやらその話を衛兵に伝えてはいなかったらしい。大方、狙いの品がメルガの曲玉だと判明したら騎士団に取り上げられると考えていたのだろう。あるいは単純に衛兵に連絡するのが面倒だったからか…。
「メルガの曲玉ですか…。ええと…たしか…古い触媒でしたっけ?残夜の騎士団でも使用している者がいたはずです」
「あまり商業的な価値は知らないんだが、彼らが言うには手に入れようと思っても手に入る代物ではないらしいよ。標的にされてもおかしくは無いお宝だとさ」
マルフェスティ教授は両手の平を上に向けると、俺らを指し示すように仰いでみせた。彼女はメルガの曲玉に考古学的な価値しか見出していないが、実用品でもあるメルガの曲玉の価値は中々の物だ。それこそ考古学的な価値を除けば、あの倉庫で一番高値が付く可能性すらある。
メルガの曲玉の存在を聞いて、オッソは目線を上に逸らして記憶を掘り起こしている。直ぐに思い至らない辺り、どうやらオッソは
「一つ確認なのですが…マルフェスティ様がメルガの曲玉を所有していることは有名なのでしょうか?もし限られた人間しか知らないのであれば、そこから蛇の左手を辿れるのですが…」
オッソは顎に指を当てて考え込むと、静かな口調でマルフェスティ教授に訪ねかける。その言葉を受けて、マルフェスティ教授も真似するかのように顎に指を添えて考え込んだ。そして空いた手の指先でテーブルの上を数度叩くと、彼女もまた静かな口調で返答する。
「あれは数年前に旧カーデイル領のフィールドワークをしていた際に見つけたものでね。発見時に護衛の傭兵に見られたかもだが、わざわざ見せびらかすようなことはしなかったよ。貴重品なのだから護衛にも秘するのは当たり前だろう?」
トントンとテーブルを叩く指先のリズムに合わせてマルフェスティ教授が語り始める。依頼には秘密厳守の契約も交わされているだろうが、考古学者が見つけた品物をわざわざ真面目に秘匿しておくとも限らない。彼らから情報が漏れた可能性も十分にありえるだろう。
「あとは…これもかなり前だが論文でメルガの曲玉に触れたことがあったね。所有しているだなんて自慢のような事を書いた訳ではないが、所有していないと分らないようなことも書いたから…そこから推測した可能性はあるね。ただ所有していることは予想できても、それが倉庫にあることは誰にも知られていないはずなのだが…」
「移民とそれが齎した文化史の考察でしたっけ?私は拝見した記憶がありますけど…そもそも余り読まれていない論文なんじゃ…」
「おっと。教え子が唐突に刺してきたぞ。…確かに評価されなかったが、まだ今の時代には早すぎたに過ぎないのだ。そう…あれは死後強まるタイプの論文なのだよ」
論文に書いたと聞いてオッソの顔が少し曇る。ルミエが評価されていない論文だとマルフェスティ教授を言葉のナイフで刺したが、それでも不特定多数の人間に知られる可能性があるため情報の経路を絞りきれないと思ったのだろう。
「…マルフェスティ教授。重要なことを忘れていますわ。あの倉庫の鍵を作る際、鍵屋にメルガの曲玉を見せたのでしょう?そこから話が漏れ出した可能性が大いにありますわ」
だが、マルフェスティ教授の語りを止めるかのようにメルルが言葉を挟む。発見も論文もかなり前の出来事らしいが、鍵屋にメルガの曲玉を見せたのはそれよりも最近のことのはずだ。そしてなにより、鍵屋はメルガの曲玉があの倉庫に使われることを知っていたのだ。
扉にメルガの曲玉が使われていることまでは漏れ出してはいないようだが、倉庫にあることを確信したような動きは鍵屋から情報を得た事も十分に考えられるだろう。メルルに指摘されたことで同じことに思い至ったのかオッソもマルフェスティ教授も再び顎に指を添えて考え込んでいる。
「まさか…あの鍵屋…。どうやら苦情を言うだけでは生温いようだね…」
そしてはマルフェスティ教授は蛇の左手を憎むオッソのように沸々と憎悪を心の内から漏らしていた。
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