第637話 蛇の左手

◇蛇の左手◇


「この男の名前はフキ。といっても、そう呼ばれていたのを被害者が証言しただけですので、仲間内での呼称に過ぎないかもしれません」


 明るい場所でフードを下ろした黒衣の男を目撃した人間がこの人相図を描いたのだろう、オッソが俺らに差し出した人相図は、俺が描いたものよりもはっきりと黒衣の男が描かれていた。俺と戦っていたときは隠れていた目元までもハッキリと描かれており、俺はその人相を記憶するべくまじまじと観察した。


 フキという名前はこの辺りでは珍しい発音の名前であろう。全く居ないというわけではないが、女性名であって男性名ではないため、オッソの言うとおり単なる通り名…あるいは遠方の国が出身の人物かもしれない。人相書きに描かれている男は東方の民族の特徴が見て取れるため、遠方の産まれというのも十分ありえるだろう。


「倉庫に現れたのは猿とこのフキだと言っていましたが、他に誰かが隠れていた可能性はありますかな?第三者の存在を感じ取れるようなことを言っていたなどでも構いません」


「奴を探ろうとしたら呪符が反応しそうになったため、間接的に探るために周囲はいつも以上に警戒しました。ついでに言えば、戦闘が始まった後も暫くは彼女達が周囲に散っていたため、誰かが居れば直ぐに気が付きますよ」


 オッソの質問に俺はナナ達を紹介するように見渡してみせる。あの時あの場に居たのは俺らを除けばあの二人だけであり、他に誰も居なかったことは自身を持って証言できる。特に俺は直前まで屋根に陣取っていたため、通常では分らないところに潜んでいる者がいても気が付くことができたはずだ。


 オッソがなぜわざわざそんな事を聞いたのかは、タルテが眺めている似顔絵を見れば簡単に想像することができる。彼女が眺めている似顔絵はフキとは全く異なる男が描かれており、恐らくはフキと呼ばれる黒衣の男の仲間なのだろう。


「フキは蛇の左手と名乗る一団に所属するものです。蓋世導師会と呼ばれる呪術師達の共同体から派生した組織なのですが…やっていることは性質の悪い盗賊です。本人達は傭兵を謳っているようですが、もちろん傭兵ギルドに登録している訳は無く、仕事は全て裏を経由して受注しているようです」


「この国じゃ珍しいが…傭兵なんてもともと盗賊みたいなものなのだろう?南方の小国家郡じゃそんな輩が国土を食い荒らしていると聞くよ。まぁ、この国じゃ傭兵ギルドが幅を利かせているからそんな輩は珍しいだろうがね」


 マルフェスティ教授は椅子の背もたれに寄りかかって、俯瞰するように机の上の人相図を眺めている。彼女の言うように傭兵が行掛けの駄賃として農村を襲ったり、商人の馬車を強盗するなどよくある話だ。単にここいら一帯の国ではカーデイルの滅亡以後大きな戦乱が無いため、マナーの悪い傭兵団が南方に流れあまり目立った被害が無いに過ぎない。また、彼女の言うように傭兵ギルドの尽力も大きいのだろう。


「そこがまた奴らの厄介なところでしてね。欲望に身を任せて目先の利益を貪れば直ぐに騎士団が動くことを理解しています。盗賊と表現しましたが、その振る舞いは闇ギルドや秘密結社に近いでしょう」


「下手に知恵が回るとなると、厄介そうな相手ですわね。より邪悪に感じてしまうのは私だけでしょうか…」


「ええ。まさしくその通り。ただの盗賊を正当化する訳ではありませんが…、盗賊は人に劣る害獣に過ぎません。蛇の左手は人の姿のまま…悪事を悪事と認識した上で手を染めるのです」


 そう語るオッソの表情は憎しみが見え隠れしている。その憎しみは盗賊にも向いているし、蛇の左手にも矛先を向けている。強く握られたその拳は、黒く日焼けしたオッソの手でも白く見えるほど力が込められている。


 その様子にマルフェスティ教授は肩をすくめて小さな悲鳴をあげ、俺の腕を取ると縋るように胸の内に抱き込んだ。怯えさせたことに気が付いたオッソは直ぐに取り繕うように笑みを浮かべると、誤魔化すようにルミエの淹れてくれた紅茶に手を伸ばす。


「…事件は大なり小なり結構な数があるね。男爵家に押し入ってほぼ全ての人間を惨殺…事件自体は敵対派閥の貴族が誤魔化したと。…奥さんと…二人の娘さんはまだ見つかってないみたいだね」


「こちらも胸糞が悪い事件ですわね。宿屋を一月に渡って占拠。そして宿屋の奥方を部屋に引き込み慰み者にし…更には人質にすることで旦那様を奴隷のように酷使した…と」


 しかしナナとメルルが怯えるマルフェスティ教授に冷たい視線を向けると、彼女に追い討ちをかけるかのように人相書きに紛れていた事件の概要を読み上げる。どこにだってありふれている話なのだが、その凄惨な内容は聞いている者の気分を悪くする。


 彼女達の言葉に反応するように、オッソは先ほど霧散させた憎悪を再び滾らせる。最も不運だったのは彼に握られていた紅茶のカップだろう。自然と入ってしまった握力はカップの取っ手を粉砕し、バキリと鈍い音を立てた。


 そして連鎖反応するかのごとく、マルフェスティ教授は再び悲鳴を上げる。今度は更に恐怖心を描きたてられたのか、堪らず俺の腕を開放すると飛びのくように椅子ごと後ろに下がった。そして空いた俺の横のスペースを潰すように、ナナが椅子を詰めるように移動した。


「教授。落ち着いてくださいよぉ。何も教授が襲われるわけじゃないんだから…」


「そんなこと言ってもね!?私はしがない考古学者なのだぞっ!?目の前で怒っている人がいたら怖いじゃないか!」


「も、申し訳ありません…。決してマルフェスティ様を怖がらせるつもりは…」


 ルミエがマルフェスティ教授を宥めるが、彼女は怯えてルミエの影に隠れてる。今度はルミエの肩を盾にするように握っており、慌てるマルフェスティ教授の腕に合わせてルミエの首が左右に揺れている。まるで物陰に隠れた子猫に語りかけるようにオッソが怖くないとアピールするが、残念ながら椅子から軽く腰を浮かしたことで、より巨体が強調され迫力が増している。


 マルフェスティ教授につかまったルミエの代わりに、タルテが砕けたカップを下げて新しい紅茶をオッソに注ぐ。普段は簡単に砕けない特注の茶器を使っているタルテにとって、不意に茶器を砕いてしまったオッソのことも人事ではないのだろう。


「これを見る限り…蛇の左手の仕事であの倉庫を狙ったという線が濃厚か…。…他の構成員が居なかったのが少し気がかりだが…」


 フキの正体を知りたがっていたマルフェスティ教授だが、既に彼女の好奇心は霧散してしまったらしい。代わりに俺が、フキやフキが所属している蛇の左手という集団の特徴を把握するために資料に手を伸ばす。方々で問題を起こしているものの、活動範囲も仕事内容も広くその存在は裏社会の何でも屋といったところだ。


 問題があるとすれば、貴族家の襲撃など状況や条件によっては派手なこともしていることだろう。騎士団に目を付けられることを恐れて小さな仕事ばかりをしていればいいのだが、どうもそんな小心者ではないらしい。だからこそメルガの曲玉をこのままマルフェスティ教授が保持しているのも危険かもしれないのだ。俺はチラリと怯える彼女を目の端で確認した。


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