第635話 残夜の熊さん
◇残夜の熊さん◇
「皆様。この度はお時間をとって頂き誠にありがとうございます。私は残夜の騎士団の一員であるオッソと申します。以後、宜しくお願いいたします」
約束の時間はまだらしいが、来客室には既に残夜の騎士団が椅子に座って俺らの到着を待っていた。彼は俺らが部屋に入ると、椅子から腰を上げ丁寧な挨拶を口にした。その素振りは警戒していたような復讐に身を焼かれる執念的な人物ではなく、紳士的な態度は正規の騎士なのではと思ってしまうほどだ。
加えて人相は復讐者とは真逆の優しげな風貌だ。服越しにでも分るほど肉体は鍛えられているのだが、その表情はどこか気の弱さすら感じてしまうほどだ。あまりにも予想と違う男の風貌に俺は毒気すら抜かれてしまった。
しかし、マルフェスティ教授は小さな悲鳴を上げて俺の肩を握る手に力を込める。なぜこんな優しげな男に怯えるのだとは言いたくはなるが、その気持ちは分らなくはない。オッソと名乗った男は巨人族並に身体が大きいのだ。
「すみません。…うちの教授が…」
「ははは。いえいえ慣れておりますよ。むしろそちらのお嬢さん方が怯えていないのが不思議なくらいです。なかなか肝が据わっておりますな」
マルフェスティ教授の代わりに、俺がオッソの差し出した手を握って握手をする。手もまた巨大であり、ほとんど平均的、希望的観測を含めるならば平均以上の背丈の俺であっても、まるで大人と子供と思えるほどにサイズがかけ離れている。
オッソはマルフェスティ教授の反応を気にすることなく俺の手を力強く上下に振った。むしろナナやメルル、タルテが平然としていることに気を良くしているようで、頭の上に付いた小さな耳がピコピコと揺れている。
俺らの更に後ろには付き添いとしてルミエも同行していたのだが、どうやら彼女も怯えた様子は無い。彼女の故郷である都市国家は貿易で栄える街でもあるため、彼のような外見の人間など腐るほど見てきたのだろう。彼女が初対面で恐れたのはそれこそタルテぐらいだ。龍の前では人など等しく塵芥なのかもしれない。
「し、失礼したよ。その…迫力に驚いてしまってね。私がマルフェスティだ。この学院で考古学を研究している」
「おお、貴方がマルフェスティ教授でしたか。教授と聞いておりましたので、もっとお歳を召した方かと思っていたのですが、まさかこんな麗しい女性だとは考えもしませんでした」
初対面の驚きを乗り越えたのか、マルフェスティ教授が非礼を詫びながらオッソに挨拶をする。いつも通り大げさ動作で気まずい空気を誤魔化しながら挨拶するマルフェスティ教授だが、オッソもそれをにこやかに見つめている。
挨拶をしたマルフェスティ教授の視線は次第にオッソの頭部で揺れている小さな耳に移ってゆく。そして何故彼が異様な体格をしているのか納得したように小さく頷いた。オッソは獣人、彼の口からは語られていないが耳の形状からして熊の獣人なのだろう。
熊の獣人は獣人の中でも体格に優れており、骨格自体が逞しく骨太で筋肉量も一線を画しているのだ。それこそ巨人族は身長は高くとも意外と引き締まった体を持つ者が大半であるため、横にも分厚い熊の獣人のほうが余計に圧迫感を与えるかもしれない。
「それで、倉庫街で起きた盗難未遂事件で聞きたいことがあるとのことだが…なぜわざわざ残夜の騎士団が顔を見せにくるんだい?私はてっきり王都騎士団が聴取に来たのかと思ったのだが…」
いつもの調子を取り戻したマルフェスティ教授が椅子に座りながらオッソに訪ねかける。そして気を利かせて紅茶を煎れ始めたルミエから奪い取るように杯を受け取ると、その香りを楽しむように口元に翳してみせた。
「残夜の騎士団をご存知なようですので包み隠さずお伝えしますが…、私が探している者…青銅の鋲に身を焼かれるべき者がその盗難事件に関わっている可能性があります…」
カチャカチャとルミエが紅茶を配膳する音を背景音にしながら、オッソが小さいながらもハッキリとした声でそう呟いた。その静かな声で語られた内容は、ある程度予期していたとはいえやはり仄暗い空気を感じたのだろう、マルフェスティ教授は思わず顔を顰めている。
「よくもまぁ…こうも早く聞きつけて来たね。一応は衛兵が調査している事件なのだろう。私は事件の内容を彼ら以外には語った記憶が無いのだがね。それとも私が衛兵と吟遊詩人を見間違えたのかな?」
「残夜の騎士団は衛兵や正規の騎士団にも協力者が多いでしょうし、関係しているであろう話は簡単に漏れますわ。それこそ…彼らが秘密を保つより、まだザルのほうが水を保つのではないかしら?」
俺らが衛兵に話した内容がそのまま残夜の騎士団に流れたのだろう。そもそも衛兵は王都の治安を守ることが任務であり、王都外に逃げた犯人を追うのは騎士団の仕事だ。しかし、倉庫の盗難未遂程度であれば騎士団が動くことは無いため、ある意味では残夜の騎士団に情報を流したのは正解だろう。領地や国を超えて復讐者を探す彼らは、国際警察として機能している節もあるのだ。
「…情報源は念のため黙秘とさせていただきましょう。彼らも彼らなりの矜持があり恥じない行動をとっているのですが…、あえて明らかにするべき秘密ではないでしょう」
「なに、かまいやしないさ。小市民たる私らにとって衛兵に求めるのは安寧を守ってもらうことだけ。違法だろうと正規だろうと、それが安寧に繋がるならば咎めたりはしないよ。もちろん、こちらに火の手が回らないことが前提だがね」
流石に衛兵から情報を流してもらったとは明言しないが、苦笑いでそう語ったオッソは明確な否定もしなかった。その様子が面白かったのかマルフェスティ教授は茶化すように言葉を返す。オッソに怯えていた彼女は完全に払拭され、今ではいつもの彼女の調子を取り戻したようだ。
「だからこそ、こっちも話を控えるつもりは無いのだが…。あの事件については私よりもこの子達のほうが詳しいはずだよ。なんていったて盗人を追い払ったのがこの子達なんだからね」
別に俺らはマルフェスティ教授の直接的な教え子という訳ではないのだが、彼女は俺らを自慢するようにオッソにそう言い切った。
「おお!その…なんで同席されているのか分りませんでしたが…まさか君達が倉庫で戦った狩人だったとは…。…先ほどお若いマルフェスティさんを教授だと思わなかったと反省したばかりなのに、今度は若い君らが戦った狩人ではないと侮ってしまっていましたよ…。いやはや、先入観とは恐ろしいものですね」
俺らをマルフェスティ教授の取り巻きの生徒とでも思っていたのだろう、オッソはその大きな体を小さくして詫びるように頭を下げた。そしてその大きな手を差し出すと、再び俺の手を握って大きく上下に振るように握手をした。
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