第632話 古き祈祷の名残

◇古き祈祷の名残◇


「これがメルガの曲玉だよ。覚えておきたまえ。古くは祈祷師…まだ、魔法と呪術、魔術の境が今よりもあやふやだった時代に神秘を使う者達が携えた祭具の一つでね。その始まりは東方の古き王朝にまで遡るとされているのだ」


 マルフェスティ教授は取り出した翡翠の玉を日の光にかざすように掲げて見せた。それはやはりただの翡翠ではないのだろう、透けるような青緑と白みがかった青のマーブルの模様が、石の内部で息づくように流動しているのだ。


 大きさは拳ほどのサイズでありサファイアやダイヤモンドのように鮮烈な輝きは無いものの、丁寧に磨かれた曲面は日の光を反射して艶やかにきらめいている。曲玉と言われるようにその翡翠は完全なる球形ではなく、勾玉のように歪ともとれる形状をしている。艶やかな輝きと歪な形状のせいで、石というよりは粘性の高い液体のようにも思えた。


「…ねぇ、ハルト。今思い出したのだけれど…確かメルガの曲玉ってお宝目録集トレジャーリストに乗っていたよ」


「ナナ…。お前あんなもん読んでたのかよ…。いや、俺も読んでたけどさ…」


 お宝目録集トレジャーリストは夢見る少年少女や狩人、傭兵のバイブルだ。有体にいって世界に存在する高値で売れるものを纏めた書籍であり、需要の高い魔物素材や価値のある古物などが纏められている。夢を掻き立てるようなロマンが詰まっていながら、討伐する魔物の取捨選択をするのにも役立つ実用的な書籍でもある。


「…あんな低俗な書籍を愛読していたことは目に瞑ろう。だが、そうだな。高価なことは聞いているよ。そこそこの数が出土しているし単なる祭具に過ぎないため、考古学的な価値はあまり高くは無いのだがね」


 俺らの会話が聞こえていたのだろう、マルフェスティ教授はなじるような視線で俺らを見つめてくる。確かに考古学者の彼女からしたら遺跡から出土される品の類の売値が書かれているお宝目録集トレジャーリストは禁書にも思えるだろう。遺跡荒らしがお宝目録集トレジャーリストを携えていたっておかしな話ではない。


「随分と力のある石ですね…。祭具として使われたのも納得です…。属性も…土じゃなくて色々混じってますよ…」


「ええとね…魔術の触媒として汎用性があって大きさによってはかなりの出力がある…だったかな?そのせいで欲しがる人が多いらしいよ」


「そこそこの数があると言っても…需要を満たすほどじゃないからな。見つけりゃ暫く遊んで暮らせる値段が付くんじゃないか?」


 石をまじまじと観察するタルテに俺とナナはお宝目録集トレジャーリストに書かれていたことを思い出しながら呟いた。一品物のお宝では無いとはいえ、実用品としての需要があるため単なる希少品以上に価値があるのだ。


 何より、市場に出回るほどの数が無い上、魔物素材と違って一定の供給があるわけでもないことから、手に入れようとして手に入る物ではないのだ。これが黒衣の男が狙っていたものだと聞いてある意味では納得してしまう。買おうと思って買えないのだから、持っている人から奪うしかないのだ。


「…誰も話題に挙げないから私が聞きますが…そんな物がなぜ扉から出てくるのですか?もしかして、その木板が扉だと思っていたのは私の勘違いで、実は先鋭的なデザインの棚だったのかしら?」


「おいおい、よしてくれたまえ。例えそんな棚だとしても私が使うわけ無いだろう。私は洒落たデザインよりも機能美を優先する人間でね。ああ、もちろんそんな棚が洒落ていると言っているわけではないよ?」


 希少なメルガの曲玉に意識を奪われてしまっていたが、メルルの言うようになぜそれが扉から出てきたのだという謎が残っている。そんな場所に保管されていたのだから、猿も俺らも探し回っていたのに見つからないのは当たり前だ。そもそも棚に保管されていなかったのだから…。


「…この扉の蓋の中…扉の魔道具と直結してるぞ。…もしかして使っていたのか?」


 俺はメルガの曲玉が仕舞いこまれていた扉の一部を覗き込む。そこは錠前に施されていた魔道具の回路が剥き出しになっており、メルガの曲玉をここに納めれば魔道具の一部として組み込まれることとなるだろう。


「…私はね。言っただろう。機能美を優先するのだ。魔術的な効能にはそこまで明るくないのだが…メルガの曲玉は僅かな魔力に反応して…増幅する効果があるそうじゃないか…」


 俺の言葉にマルフェスティ教授はボソボソと…歯切れが悪い様子でそう呟いた。どこか言い訳を連ねるようなその言葉に俺らの冷たい視線が向けられていた。


「ハルトさん…。多分…ハルトさんの言っていた魔力に反応して鍵が閉まる機能…あの石のおかげだと思いますよ…。魔力に対する反応も良好ですし…なにより少ない魔力で重い錠前を簡単に動かせるはずです…」


「なるほどな。確かに噂通りの能力ならば、魔力反応物として十分に活用できるな」


 機械式の鍵ならば、土魔法で簡単に、慣れた者なら風魔法や水魔法でも開けることができる。それを対策するために魔力に反応して鍵が閉まる機構が存在するのだが、メルガの曲玉はそのために用いられていたのだろう。


「だって!仕方が無いじゃないか!魔法や魔術による鍵開けを対策するには魔力反応式の魔道鍵が必須だって鍵屋が言ったのだよ!?しかもその魔道鍵がやたらに高いじゃないか!」


 別に責めている訳ではなかったのだが、遺物を保管しているのではなく使用していることが彼女の考古学者としてのプライドに引っ掛かったらしい。そもそも中は埃に塗れ、外はゴミに塗れていたこの倉庫を見た後では、考古学者としての能力はまだしも、学芸員のような博物品の管理保管をする能力は最低に近いと悟っている。


「魔道鍵を安くして貰うためにメルガの曲玉を持ち込んだのですか?…確かに触媒関係は高いですし、それなら安くなるのかな…」


「…もしかしたらと提案してみたのだが、これがあれば値段が半額以下になると言われてね。多分、あの鍵屋は悪魔か何かだったのだろう。…あるいは金こそが真なる悪魔なのか。私は見事に唆されてしまったというわけだよ」


「…それで悪魔に成るのでしたら、王都の商人は誰しもが悪魔ですわ。随分と物騒な都になってしまいましたわね」


「お金がいけないのではなく…そこに過剰な欲望を見出すことがいけないのです…!自戒しないと駄目ですよ…!」


 おどけながら肩をすくめてみせたマルフェスティ教授に呆れたように皆が言葉を投げかけた。それでも強い口調ではなかったため、マルフェスティ教授は頬を指先で掻きながらケラケラと無邪気な様子で笑っている。


「ともかく、再び盗みに現れるとは思わないが、念のために研究室のほうに移動してしまおう。あそこの警備は余りにも面倒という欠点を除けば他に非は無いくらいに厳重だからね。君らへの依頼もここで一旦完了ということにして貰おうか」


 俺に受注証を出すように催促すると、そこにサラサラと書き込んだ。既に掃除の依頼は完了しているため、この受注証は倉庫の警備を行った追加の依頼だ。だがしかし、彼女はそのサインを書いた後、しげしげと周囲を見渡した。


「ええと…倉庫の外が再び汚れているのだが…これはサービスで洗浄してくれたりはしないのかな?」


 流石に倉庫の目の前に血溜まりがあるのはマルフェスティ教授も嫌なようだ。しかし既に掃除に関する依頼は完了してしまっているためこれ以上の清掃を望むことはできないのだ。彼女は笑顔を崩さないまでも、どこか焦った様子で俺らに向かってそう呟いた。


「既に清掃の依頼はサインを貰ってるので…。お隣のギルドの納品所でも簡単な依頼なら発注できますよ」


 俺はマルフェスティ教授の手から受注証を奪い取ると、にこやかな顔でそう答えた。ゆっくりと手の先を狩人ギルドの納品所に向けてみせた。


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