第631話 灯台下暗し

◇灯台下暗し◇


「捕まえた男は…裏の社会ではと呼ばれている盗人だそうですわ。まぁ…本人は盗人ではなく鍵師ロックスミスを名乗っておりますが、確かにあの者の能力は鍵開けに特化しているようです」


 メルルが昨夜に俺達との話し合いで痩せた男が語ったことをマルフェスティ教授に説明する。黒衣の男と痩せた男は、所謂ビジネスの関係であり完全な仲間ではなかったようで、なぜ盗みをわざわざ外部に依頼したかというと、この倉庫の鍵が厳重であったため鍵開けの能力に秀でた人間が必要だったからだ。


 その気になれば鍵開けなどという回りくどい手段ではなく、扉や壁を強引に破壊して中に入ることも可能であるだろうが、生憎とマルフェスティ教授の倉庫の隣は狩人ギルドが納品所兼保管庫として利用している建物が存在している。大きな物音を立てれば中に在中している狩人が出てくる危険性があり、更にはマルフェスティ教授の倉庫の中から目当ての物を探す必要があることを考えれば派手なことはできなかったのだろう。


「衛兵さんは知っていたみたいですね…!意外と有名なお猿さんらしいですよ…!そのお猿さんに逃げた人が盗みを依頼したそうです…!」


「裏では名の通った人みたいだね。…一部では有名…それを有名って言っていいのかは悩むけど」


 そもそも名の知れた犯罪者は犯罪者として甘いのではないかと思えてしまうが、今回のように外から仕事を依頼される形で生計を立てているのならば、ある程度は名が知られている必要があるのだろう。


 今回の件では倉庫を守り抜いたことよりも、その猿と呼ばれる男を捕らえたことが手柄として衛兵には評価されている。猿は人相があやふやであったため大々的に手配はされていないが生存のみアライブオンリーとはいえ一応は賞金首であり、衛兵の標的になっていたのだ。


「なるほどね。ただの盗人ではなく…その腕前を生業としている者に狙われたのか。…そういう意味では鍵は評判どおりの頑強さを示したのか…。鍵屋に入れる苦情も程ほどにしないとな」


「…鍵は厳重にするよりもピッキングするほうが有利ですから。あまり苦情を言って開けるのに数時間かかる鍵にされても知りませんよ」


 未だに鍵を作った鍛冶師に不満を抱いているマルフェスティ教授に俺は忠告をする。猿とは夜が明けるまでお話をしていたのだが、余った時間でピッキングに関する話を聞いていたのだ。違法行為ではあれど、斥候として鍵開けに興味があって聞いたのだが、以外にも猿は腕前を自慢するように語ってくれたのだ。


 彼が言うには、どんなに厳重につくろうとも正規の使用者が開けるためのプロセスがあるのならば、原理を理解しそれに見合う道具と腕前があれば絶対に開ける事ができるそうだ。それを対策し厳重にすればするほど、今度は正規の使用者でも空けることができなくなるため、原理的に絶対開けられない鍵は不可能なのだとか…。


「そんな事を言われてもな…。わざわざ高い費用を掛けて特注させたのだぞ?絶対は無いとは言え…文句ぐらいは言ってもいいじゃないか」


 俺の言葉にマルフェスティ教授は唇を突き出して不貞腐れながらそう呟いた。本人も仕方がないとは思っているようではあるが、それでも不満に思う気持ちに簡単に蓋はできないみたいだ。


「ああ、それと例の逃亡した男が狙っていたものも判明していますわ。…ただ、向こうが間違った情報を掴んでいた可能性がありますの」


「念のため私達で確保しておこうと探したんですけど…見つかりませんでした。この倉庫には無いみたいですね」


 昨晩、猿と言われた男が黒衣の男を引き連れてやってきたのは最初に一人で忍び込んだときには依頼の品が見つからなかったからだ。だからこそ、狙われている品を守るために俺らのほうで見張っておこうと探したのだが、俺らも倉庫の中からその品を見つけることができなかったのだ。


 外部の人間がこの倉庫の中身を正確に把握しているのも不自然な話なので、恐らくは正確な情報ではなく、可能性に縋ってこの倉庫を標的にしたのだろう。狙われている品はマルフェスティ教授が別の場所に保管しているか、あるいはそもそも所持していないか…。


「ええと…お猿さんが狙っていたのは…翡翠の玉だそうです…!こう…首から下げるのではなくて…置物みたいな玉らしいですけど…」


「あの男…猿が逃げた男から注文されたのは青味掛かった翡翠の置物。形状は歪んだ楕円形と言っていました」


「翡翠の置物か…。研究室には装飾品として用いられていたものをいくつか保管しているが…」


 名前を言っても伝わらないからだろうか、猿に伝えられていたのは外観の情報だけであり、その翡翠の置物がなんと呼ばれているかは把握していなかった。そのため俺らも棚に張られたラベルではなく実物を見て探し回ったのだが、だからこそ別称が棚に張られているのではなく、そもそも倉庫の中に翡翠の置物が無いことを確認している。


 俺らの言葉にマルフェスティ教授はしばし悩んだ素振りを見せたが、直ぐに何かを思い出したかのように手の平を軽くパチリと叩いた。


「ああ!そうだそうだ!それはメルガの曲玉のことだろう。それなら間違いなく倉庫の中に保管されているよ」


「だいぶ時間を掛けて探しましたが、それらしきものはありませんでしたわよ?確かに保管されているのでしょうか?」


「…ねぇ、もしかして外のゴミと一緒に捨てちゃったんじゃ…。それか、既に盗まれてた…?」


 俺らが無いと見限った翡翠の置物だが、マルフェスティ教授は倉庫に保管されていると言い張っている。その自身ありげな表情にナナが俺だけに聞こえるような声で不安そうに小さく呟いた。倉庫に避難していた猿が何も盗んでいないことは確認しているし、見張っている間は他の者が倉庫に近づいていないことも確認している。…強いて言えば黒衣の男の分身が戦闘中に盗みに入っている可能性が考えられるが、戦闘中に俺らの目を盗んで倉庫に出入りしていたとは思いたくない。


「あれは他の物と違う場所に保管しているからね。だからこそ見つからなかったのだろう。なぁに、ちょっと待っていてくれたまえ」


 もしや黒衣の男に出し抜かれたかと不安になっている俺をよそに、マルフェスティ教授は鼻歌を歌いだしそうなほど軽やかな足取りで倉庫に近づき、散々文句を言っていた扉に手を掛けた。てっきりそのまま倉庫の中に入って中を物色するのだろうと思っていたが、彼女はそのまま扉の内側を弄り始める。


 後に続いて倉庫の中に入ろうとしていた俺らは、まさか扉に用があるとは思っていなかったため、軽くつんのめるようにして足を止めた。何をしているのだと不思議そうな表情を浮かべている俺らの視線をよそに、マルフェスティ教授は扉の内側にある錠前の一部をこじ開けると、中から勾玉のような形状をした翡翠の玉を取り出した。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る