第626話 奇術で魔術、あるいは魔法
◇奇術で魔術、あるいは魔法◇
「だ、旦那ぁ…!ど、ど、どうすれば…!?」
夜の静寂の中で火花を散らし始めた俺と黒衣の男は、その剣戟の激しさとは逆に口数は少なくなる。代わりに唐突に始まった戦闘に痩せた男が慄いて声を上げ、水を差すようなその声に黒衣の男が舌打ちをする。
痩せた男は倉庫の扉を盾にするようにしてこちらを覗いている。その視線はどこか逃げ道を探している様でもあり、同時に黒衣の男の機嫌を探っているようにも見えた。このまま逃げ出したところで俺らの戦闘に巻き込まれ可能性が高く、更には裏切りの疑いが掛かっている状態で逃げ出しては黒衣の男に目を付けられると恐れているのだろう。
俺と戦闘状態にある黒衣の男を恐れるということは、逆説的に黒衣の男の力量を信頼しているともとることができる。俺が黒衣の男を制圧できる者であるならば、即座に逃げ出すのが最善の選択なのだ。それをしないということは俺が返り討ちにあう未来を描いているのだろう。
「…やかましい奴だな。黙っていれば良いものを…」
痩せた男に対して、黒衣の男が冷ややかに呟く。そして、奴の視線は痩せた男が盾にしている倉庫の扉へと移った。黒衣の男は少しばかり考える様子を見せると、何かを思い至ったかのように頷いてみせた。
「そうだな。…もう鍵は開いているのだったな。…口は少ないに越したことは無い」
「だ、旦那…?」
黒衣の男が何を考えているか察した俺は、即座に圧縮した空気を痩せた男の目前に射出する。そして、同時に黒衣の男も痩せた男に向かって投げナイフを投擲していた。渦巻く風が投げナイフの軌道をずらし、痩せた男に向かっていた投げナイフを倉庫の扉にへと逸らす。
「ヒャアっ…!?」
一拍遅れて痩せた男が腰を抜かしたように尻餅をつき、そのまま倉庫の脇の中にへと四つん這いで逃げ込んだ。俺と痩せた男が繋がっていると勘違いをしたのか、あるいは口封じをしておいたほうが利益があると考えたのか、どちらにせよその引き金の軽さが黒衣の男の危うさを如実に現している。
だが、こちらとしては好都合だ。下手にどこかに逃げられるよりは袋小路である倉庫の中に逃げ込んでいてくれたほうが捕らえやすい。黒衣の男に殺されかけたため、そうそう中から出てくることも無いだろう。
「…やはり私を誘き出す罠か。だが、それにしては用意した戦力が少ないのではないか?」
「陰気な野郎の相手は人気が無くてな。俺だけで我慢してくれよ」
俺は生きて捕らえたかったため痩せた男を守ったのだが、その行動のせいで黒衣の男は俺と痩せた男が繋がっていると確信を得たようである。残念ながら俺の交友関係にはあんなおっさんは存在しない。
『ハルト。加勢しなくていいの?直ぐにでも駆けつけられるけれど…』
『まだ待っててくれ。それよりも逃走経路を確実に潰すことが重要だ』
俺は黒衣の男に聞こえぬように風でナナ達にまだ潜んでいてくれと声を飛ばす。先ほどの黒衣の男には俺の仲間が他に居るのではと探っているものがあった。ここでナナ達に声を掛けて一斉に攻め立てるのも手だが、せっかく隠れられているのだから登場のタイミングは吟味するべきだろう。下手に人数有利を示せば黒衣の男に逃走という選択肢を取らせる事にも繋がるし、戦闘に彼女達が参加すれば逃げ道の封鎖が疎かになってしまう。
俺の言葉を完全に信じたわけではないのだろうが、それでも黒衣の男は俺に集中するように殺気を向けてくる。そしてその殺気が空気に溶け込むように薄くなったかと思えば、今度は投げナイフという物理的な殺意が飛来してきた。
「よくこの数のナイフを捌けるものだ。どこまでいけるか試してみよう」
男は投げナイフだけでなく挑発するような言葉も俺に投げかける。連続して投擲される投げナイフと比べささやかな言葉ではあるが、どこか俺の反応を楽しむかのようでもあった。
投げナイフは柄までもが金属でできている一体型のシンプルな造りのナイフだ。良く研がれているであろう刃は銀の光を反射し、夜の闇の中でも鋭い光の筋を描いている。俺はその投げナイフに違和感を持たなかったものの、それこそが男の仕込んだ罠の一つであったのだろう。銀の投げナイフの陰に隠れるようにして一本だけ、黒塗りの投げナイフがそこに紛れていたのだ。
わざわざ視認しやすい刃を使用していたのは、その黒塗りの刃を隠すためだったのだろう。しかし、風で周囲を認識している俺にとってはその色など関係はない。俺は見逃すことなくその黒塗りの投げナイフも双剣で叩き落した。
「…陰湿な手だな。格下相手にしか通用しないだろ」
「これで反応を見るのが楽しいのだ。小手調べには丁度良いだろう」
手札の一枚が打ち払われたとはいえ、黒衣の男に焦る様子は無い。それどころか更に投げナイフを投擲し、躍起になって投げナイフを叩き落す俺の姿を楽しんでいるようだった。
周囲を見渡せば、黒衣の男が投擲した投げナイフが大量に散らばっている。一体どれだけのナイフを持っているのだと俺はその変わった造りの黒衣を訝しげに見つめるが、俺が何を考えているのか解ったのか黒衣の男は嘲笑的に笑ってみせた。
「弾切れを期待しても無駄だぞ。誰もが考える手だ」
「またその札か。随分と多趣味なことで…」
投げナイフが尽きることを俺が期待していると考えたのだろう。黒衣の男は一枚の御札を取り出すとそれに魔力を込めた。今度の札は俺の攻撃を防いだ札とは違うようで、瞬間的に魔力の波が周囲に広がった。
その魔力の反応はすぐさま現れた。そこら中に散らばった投げナイフがカチャリと音を立てると、ひとりでにその札に向かって集結したのだ。これまで黒衣の男が投擲した投げナイフが一斉に集まったため、尋常ではない量の投げナイフが宙を裂く。
「また初見殺しかよッ…!?」
幸いにして投げナイフを避けるのではなく撃ち落していたため、後方から俺に迫るナイフは殆ど無かったものの、想像していなかった投げナイフの挙動に俺は思わず飛びのいた。磁力か、あるいは土魔法による制御か、札に集まった投げナイフは再び黒衣の中に素早く仕舞いこまれる。そして、再び弾幕が始まるのを予期するかのように、黒衣の男の手元に銀色の光が煌いた。
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