第625話 夜風が静寂を流して
◇夜風が静寂を流して◇
「…本当に片付いているな。騎士団が介入したのなら、少しばかり厄介なのだが…」
痩せた男がランタンを左右に振るい、綺麗になった倉庫を確かめるように照らし出している。そして彼らは俺らの仕事の成果を目にして、感心したようにそう言葉を漏らした。昨日の時点で大分綺麗になっていたのだが、完全にゴミが無くなったのは今日の昼間なので、倉庫の綺麗な姿を見るのは初めてなのだろう。
そして痩せた男は倉庫の扉の前に歩み寄ると、ゆっくりとランタンの光量を絞り闇に溶け込むようにその姿を隠した。今は僅かばかりの星明りが彼らを照らし黒いシルエットだけを俺の眼に写してくれている。
「昨日の昼間に見に来ましたが、作業していたのは駆け出しの便利屋ですよ。騎士団なら衛兵をこき使うでしょうし、持ち主に雇われたんじゃないですかね。…旦那も何もこんな時期に仕事を依頼しなくても…。少し待ちゃほとぼりも冷めますでしょうに…」
「騎士団も狙っているだろうから急いでいるのだ。ここの管理の杜撰さを考えれば、いつ騎士団が介入するかわかったものではない」
「呪物の取り締まりでしたっけ?その余波で裏でもそういった物品の取引は下火になってますよ。まぁ、危険度が増したぶん高値が付くことが多いんで、励んでる奴らも多いですが…」
闇の中でカチャカチャと錠前を弄る音が静かに響く中、奴らの会話がこちらに聞こえてくる。話を聞く限り、黒衣の男が痩せた男に盗みの依頼をしたのだろう。金目当ての窃盗ではなく、特定の物品を指定しての盗みの依頼。高価な遺物が手に取られただけで盗まれていなかったのは、それが依頼の品ではなかったからだろうか。
痩せた男が目利きが出来なかったと言っていたから、もしかしたら依頼の品が解らずに依頼者である黒衣の男と同伴することになったのか…。確かに倉庫の中に大量にある遺物の中から特定の物を探すのは困難だろう。中には似通っているようなものも複数あるため、それを知る人間でなければより難しいのかもしれない。
「さあ、旦那。開きましたよ。私も探しますが、あまり期待はしねぇで下さいね」
「…謳うだけあって鍵開けは早いな。ものの数秒ではないか」
「へへへ、この倉庫は中々強情な鍵でっせ。早いのは昨日も開けましたから覚えていただけでさぁ」
もう少し話を聞いていたかったが、どうやらそうもいかないらしい。カチャリという金属音が二人の会話を中断させるように響いたのだ。痩せた男が足元に置いたランタンを手に取り、倉庫の扉に手を掛ける。そしてなるべく音を立てないようにとゆっくりと扉に力を込め始めた。
僅かな軋む音を立てながら扉が開かれてゆき、扉と壁の隙間から倉庫の中が顔を覗かせる。扉が反射していたランタンの光が倉庫の中に飲み込まれたことで、男達の手元が僅かに暗さを増した。そして、倉庫の中に吸い込まれたのはランタンの光だけではない。鍵開けの最中は周囲を気にしていた二人の視線も、同様に倉庫の中に吸い込まれたのだ。
二人の関心が倉庫の中に移ると予期していた俺は、既に屋根の上から飛び降り重力に引かれて下降していっている。ヒュルリと夜の空気を肌に感じながら、俺は黒衣の男に向かってその剣を振り下ろした。
…火花が瞬くと同時に、強固でありながらヌルリとした磁力の反発のような感触が俺の手元に伝わった。俺の存在に気が付いた黒衣の男は即座に投げナイフを投擲する。そのため俺は追撃することをあきらめ、空中で翻すように回転しながら投げナイフを蹴り飛ばした。
「ヒエェっ!?な、何ですかい!?」
「…猿。貴様、裏切ったのか?あるいは…出し抜かれたのか…」
俺と黒衣の男は互いに距離をとるように地面の上を滑る。そして二人の中間地点、俺が黒衣の男に斬りかかった場所では一枚の御札のようなものが焼け焦げるようにして塵へと変わっていく。意識がそれた瞬間に、夜の闇に紛れ、上方という異様な方向からというこれ以上無いであろう不意打ちに、案の定黒衣の男は反応しきれていなかった。しかし、それでもあの札が不可視の防壁のようなものを張って俺の攻撃を防いだのだ。
黒衣の男は俺から注意を逸らすことなく、傍らで腰を抜かしている痩せた男を睨む。わざわざ依頼者である黒衣の男を呼び出したのは、俺らが待ち受けているところに誘い出すためと考えたのだろう。刺すような視線を浴びて痩せた男は勢い良く首を横に振るう。しかし、それでも罠にかかったことは変わらないため、黒衣の男は痩せた男を責めるように舌打ちをした。
「魔力に反応する札?…単なる札に剣を防ぐほどの防壁が張れるのか…」
「お前は…同業者か?…猿。お前、私からの依頼を何処かで喋ったな?漏れた情報のせいで余計なのが出てきたぞ」
「し、知りやせんよ!終わった後ならまだしも、仕事の前に喋る訳ないじゃないですか!」
俺は黒衣の男が使用した札に思わず感心してしまった。所謂、呪札と言われるような紙幣に文様を刻んで呪術的な効力を示す物の存在は知っているが、所詮は紙とインクに過ぎないため大した効果は無いと聞いていた。そのため、どうやら使い捨てのようではあるが勝手に反応して攻撃を防ぐほどの性能を持つ物があるとは思わなかったのだ。
俺が黒衣の男を観察するように、黒衣の男も俺のことを観察していた。そしてどうやら俺のことを同業者と判断したらしい。何の同業者かは知らないが、どうせ碌な業種ではないのだろう。近くに寄ったことでより鮮烈に香るようになった血の臭いが俺にそう感じさせた。
「…始末するか。あまり時間も掛けられないな…」
黒衣の男が手を構えれば、長い袖口からジャラリと音を立てて何本もの投げナイフが手元に現れた。黒衣の男はそれを扇子のように広げてみせると、即座に俺に向けて投擲する。投げナイフは散弾となって俺に向かって飛来し、撃ち落すために振るわれた俺の剣とぶつかって複数の火花を瞬かせた。
俺に反撃の隙を与えるつもりが無いのだろう。投げナイフを撃ち落した後も、次弾が即座に放たれる。しかし、俺も防戦一方になるつもりは無いため風を使って加速し、投げナイフの間を縫いながら距離を詰める。
「軽業師か。随分と身軽なもんだな」
「お褒め頂光栄だな。そっちも随分と準備が宜しいようで…」
距離を詰めて間合いに入った瞬間、再びあの防壁のような札が発動した。それを予期していた俺はそれを強引に切り伏せるが、それでも一瞬は攻撃の手が止まってしまう。黒衣の男はその隙を逃すことなく俺に攻撃を浴びせ、更には滑るような足運びで俺から距離をとったのだ。
一瞬の攻防ではあったが、互いの手数が多いため随分と剣を重ねることとなった。俺の手元の双剣と黒衣の男の手元の投げナイフ、そして周囲の壁に突き立った投げナイフが星明りを浴びて、暗い夜の中で鈍く光を灯していた。
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