第624話 夜の王都を歩む者

◇夜の王都を歩む者◇


『今のところ…、こっちに近づいてくる者は居ないな。表通りのほうはまだ人通りがあるが、こっちは静かなもんだ…』


 俺は声を風に乗せて、各所に潜んでいる仲間に声を届ける。既に完全に日は落ちており、まるで倉庫の中のあの暗く冷ややかな空気が漏れ出して王都に広がったかのようであった。宵の口は大通りの飲み屋などから喧騒が遠巻きに聞こえてきたのだが、今ではその喧騒も時が経つごとに静かになっていっており、物音までもが遺物に溢れた倉庫を髣髴とさせるように変わっていっている。


 マルフェスティ教授の依頼を俺らは受けることにしたのだ。戦闘する可能性のある依頼ではあるのだが、正直言って倉庫の掃除よりも俺らに向いていると思えてしまう。その点では随分と好戦的になってしまったと思いたくなるが、やはり狩人の性質なのだろうか。


『あまりじっとしていると眠くなりそうですね…。うう…張り込みは苦手です…』


『タルテ。あなたはもう少し静かな時間の過ごし方を覚えるべきですわ。…まぁ、紅茶も飲めずにひたすら待つのは少しばかり辛いものがありますが…』


『二人とももうちょっと静かに…。ハルトが音を抑えるのも離れているから限界があるよ?』


 俺の風を介して三人が会話を紡ぐ。普段はこういった張り込みは俺の仕事なのだが、今回は彼女たちも同席している。彼女達はこの倉庫に続く道の経路を潰すように張り込んでもらっており、倉庫を中心に包囲網を構築してもらっているのだ。


 別に紅茶を飲んでもらっても構わないのだが、飲めばその分出すことになる。特に利尿作用のある紅茶ならなおさらだ。狩人によっては糞尿を垂れ流しにしてひたすら張り込む者も居るのだが、俺の場合は臭いで感づかれることを嫌って基本的には水断ち食断ちをおこなう。俺の話を聞いた彼女らも、迷わず水断ち食断ちを選択した。長期間になれば厳しいだろうが、所詮は一晩の張り込みなので飲まず食わずでも何も問題は無い。


『…一人…いや二人だな。近くまで向かってきてる。通りの東からだ。念のため準備を頼む』


 人通りが無いといってもまったく無いわけではない。酔っ払いがふらりと迷い込んできたり、春を売る女性が男性客をこの倉庫街の暗がりに連れ込んできていたりと、時折人の気配を感じることがある。それも夜が深まると共に少なくなってきていたのだが、また新たに倉庫に近づく者が現れたのだ。


 俺はその二人に向けて慎重に風を這わす。風で触れることでその二人の息遣いや声、姿形を段々と感じ取ることができたのだが、一瞬の違和感を感じ取って俺は直ぐに風の制御を手放した。


『…みんな注意してくれ。妙な奴が紛れているようだ。風に何かが反応しかけた…。多分…感じ取られては居ないだろうが…』


『ハルトの風に気が付いたってこと?それは…心配しすぎなんじゃない?』


『ナナ。油断は禁物ですわよ。…少しばかり気を引き締めていきましょう』


 俺が声を送ると、その内容に皆の警戒心が上がるのを感じ取る。下手に風を差し向けても、熟練の風魔法使いなら確実に、普通の風魔法使いや敏感な人間ならば感付かれる恐れがあるため、その限界のラインを探るように慎重に魔法を向けたのだが、何か風に違和感があったのだ。


 例えるならば弱めの静電気が指先に走ったような感覚だろうか。ひりつくようなその感覚は何かが弾ける直前のような抵抗感があり、このままではまずいと反射的に魔法を止めたのだ。気のせいだと一蹴するよりは、探ろうとした相手が何かを仕込んでいたという可能性のほうがまだ高い。


『ハルトさん…。私が足音を探りますか…?土魔法でも厳しいですかね…?』


『いや…遠巻きから物音を拾うなら問題ないだろうから…このまま風魔法で探ってみる。ありがとうな』


 何も盗んでいなかったという侵入者の妙な行動が、今しがた探ろうとした人物の異様な反応と重なる。大々的に盗むつもりなら二人という人数は少ないと思えるが、次第に俺の中で疑惑が確信にへと変わっていった。


 その二人の人物は案の定、倉庫に向かって真っ直ぐと進んできており、その足取りも単なる散歩や通行のためではなく、何かしらの目的があってここに至っていると思えた。俺は屋根の上からゆっくりと顔を覗かせ、二人の存在を視覚にて確認した。


『仕事は完璧にこなすと聞いていたんだがな。どうやら噂に過ぎなかったみたいだな』


『そんなこと言われましても…旦那の注文が特殊すぎるんですよ。わたしゃ盗みに関しちゃ自信がありますが、古美術品の目利きができるほどの学はありゃしませんので…。あらかた盗んでから旦那に見てもらうことも考えましたが…全てを盗るには物が多すぎますぜ』


『…私まで足を運ぶことになったんだ。後金は期待するなよ…』


 盗みという単語が二人の間で交わされたことで、より一層俺の視線は険しくなる。倉庫に近づく二人の男だが、一人は一見してどこにでも居そうな恰好の痩せた男であり、足運びからみても戦う人間には思えない。


 しかしもう一人の男は別だ。重心のブレは少なく、足音も異様に小さい。その鋭くも冷め切った瞳からは感情を推測することすら難しく、袖口の大きいヒラヒラとした黒衣からは、どこか血の臭いが漂っているようだ。


『どうやら当たりのようですわね。…最初の晩で現れるとは…これを幸先が良いと言ってよいのでしょうか…』


『あの後ろに控えてる方の人…妙な気配だね。騎士はもちろん…狩人とも傭兵とも少し違う…。その…失礼かもだけれど…ハルトのお父さんに少し似ているかも…』


 ナナが黒衣の男を父さんのようだと評したが、もちろん黒衣の男が絶世の美女という訳ではない。奴の纏っている静かな、それでいて鋭い気配が戦闘状態の父さんを彷彿とさせたのだろう。


 父さんは俺の剣の師匠ではあるが、そのスタイルには結構な違いがある。母さんは俺を強靭な肉体に産んでくれたが、純血のハーフリングである父さんは腕力がある訳でもなく体重も羽のように軽い。そのため、その剣筋は極限まで無駄が削ぎ落とされ、技量の極地ともいえるそれは暗殺者のようにも見えるのだ。


 つまり、黒衣の男はそういう類の人種なのだろう。ある意味では父さんのように戦闘を手段と割り切って静かに獲物を仕留める狩人のようでもあるが、夜の街を歩くその姿は魔物ではなく人を相手に刃を振るう存在に思えてならない。


『倉庫に入る前に仕掛けるぞ。中で暴れることになったらマルフェスティ教授が後金を渋るだろうしな…』


 俺は音を立てぬよう、ゆっくりと双剣の柄に手を這わせる。夜の闇の中に姿を溶け込ました俺の眼下、倉庫の入り口がある一画で二人の男が足を止めた。


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