第621話 侵入者の形跡
◇侵入者の形跡◇
「足跡か…。よく気が付いたな。注意していなきゃ普通は見逃すぞ」
俺は腰を落とすと、ナナの指差す地面の様子をゆっくりと検分した。倉庫の床や棚にはまるで雪が積もったかのように薄っすらと埃が堆積しており、差し込む光の下ではその物体の輪郭をどこか不確に霞ませている。そして倉庫の入り口から奥に続く廊下には、その埃が踏みしめられて足跡が残っているのだ。
俺が感心したのは単に足跡の存在に気が付いたからではない。それこそ足跡は一つではなく、道筋を示すかのように複数の足跡が残っているため、素人であっても簡単に気が付くことができるだろう。俺が感心したのは、その足跡が二人以上の人間によって付けられていることにナナが気が付いたからだ。
「このいっぱいある小さめの足跡は…多分、教授の足跡だよね?」
「恐らくそうだろうな。靴底の模様は違うものも混じっているが…、サイズはどれもさして変わらない。ルミエ、この倉庫の出入りがどうなっているかは知ってるか?」
基本的に残っている足跡の大半は同一の人物の者と思われる靴跡だ。比較的小柄で…土とは違いそこまで具体的に体重を推測することはできないが、恐らくは女性と思われる足跡だ。
「ええとぉ…、私もそこまではっきりとは知りませんけど…定期的に入ってはいるはずです。ゴミが増えて中に入るのが大変だと愚痴っていたこともあったのでぇ」
俺の質問にルミエが困り顔で答える。ルミエの証言を裏付けるように、倉庫の前に積み重なったゴミの山には人が強引に通ったであろう跡も残されていた。倉庫の中の物の状態を確認するため、あるいは新たに倉庫の中に物を追加するため、ゴミ屋敷となった後でもマルフェスティ教授が出入りしていたのだろう。
そして、俺はナナが気が付いた足跡の一つに注目する。その残された足跡を軽く指でなぞってみるが、他の足跡と比べても残っている埃の量が少ない。明らかに最近に付けられたものだろう。
「明らかにマルフェスティ教授の足跡とは違うな…。マルフェスティ教授以外にこの倉庫に入った人間は居るのか?」
「…多分居ないと思いますぅ。マルフェスティ教授の個人的な倉庫ですので…研究室の人もここには…」
「だとすると、この足跡の説明が付きませんわね。私から見ても別人の足跡に見えますわ」
言われれば判別が付くものの、複数の足跡の中に別人の者が紛れていることに気が付くなど注意していても難しい。斥候の俺ならまだしも、よくナナが気が付くことができたと改めて感心する。それと同時に先ほど狩人ギルドの職員から聞いた内容が思い起こされる。
俺はそのままルミエが鍵を開けた扉を確認する。分厚い板が金属にて補強された扉は非常に頑丈であり、開閉させるだけでも中々の重量感を感じさせてくれる。施錠にはウォード錠が用いられており、扉の内側にはそれと連動して動く金属製の閂も備わっている。
「造りは確りしてるな…。
「ふぇ…!?泥棒さんが入ったってことですか…!?」
ドワーフ製とは言わないが、腕の確かな鍛冶師によって作られた錠前なのだろう。頑丈ながらも繊細なその造りは重厚な扉に見合うものである。しかし、鍵穴の縁に残った金属の削れたような傷は、ピッキングによって強引に鍵が開けられたことを示している。
俺は先ほど狩人ギルドの職員から聞いた不審者の話も皆に伝える。まさか、盗みに入られているとは思っていなかったようで、ルミエは信じられないと言うかのように口元を押さえてうろたえている。
「まだ盗みに入られたと確定したわけじゃないから、少し中の様子を確認してみるか…。例えば、俺らが聞いていないだけで既に騎士団に立ち入りしてもらった可能性もあるだろ?」
「そうだね。それに…盗みに入られているにしては物が残ってるみたいだしね」
俺とナナがルミエを落ち着かせるように声を掛ける。錠前にピッキングの形跡があるため、何者かが侵入した可能性が高いが、あれこれ考えるのは内部の様子を確認してからでも遅くはあるまい。
残った何者かの足跡を辿るように俺らは倉庫の奥へと脚を進める。まだ夏の暑さの残る日々が続いているものの、倉庫の中は夜の空気を蓄えたように冷ややかなものであり、どこかカビ臭い匂いが鼻孔を掠めてゆく。
「外と比べれば…、まだ整理されているようですわね。それでも所々物が散らかっておりますが…」
「泥棒さんが散らかしたのでしょうか…?」
「いえ…、多分、マルフェスティ教授が散らかしたものです…」
倉庫の中は二階の高さまで吹き抜けとなっており、背の高い棚が所狭しと並んでいる。そして、その棚の間を縫うように木製の足場が組まれており、物の多さが俺らに妙な圧迫感を与えてくる。俺らは侵入者の痕跡を探そうと視線を張り巡らすが、いつしか棚に並ぶ独特な品々に目を奪われ始めた。
「ええと…見たところ、盗まれたものは無さそうですね。あ、棚の手前に名札が書かれていますので、そこと一致していれば問題ありません」
「これって普通の人なら何が高価な物か解らないんじゃないかな?少なくとも私には…その…どれも価値があるようには…」
ルミエが棚に書かれた名札とその棚に鎮座されている物体を俺らに指し示した。生憎と俺らにはその棚の物体の正しい名称が解らないが、それでも物が載っていれば盗まれていないと判断することができる。
そして、ナナの言うように棚に乗っている物品は考古学的価値は在るのかもしれないが、一般人から見れば単なる石版であったり、良く解らない民芸品にしか見えないだろう。それはそれで俺らの好奇心を刺激し興味を惹かれるが、金目当ての者からすれば困惑してしまうだろう。
「ハルト様。足跡の行き先は辿れますか?盗まれたものがあるならば、そこから見つけられないでしょうか?」
「辿れるが…あっちこっち歩き回っているな。侵入者もまさかこんな物品ばかりとは思っていなかったんじゃないか?」
足元を見てみれば、侵入者らしき足跡もどこか迷走するかのように右往左往している。その足取りからはナナが言ったようにどこか困惑が見て取れた。
「まだ盗みに入られたと確定はしていないが…、一旦、マルフェスティ教授に報告するか。もし盗まれたのならば、それで何が盗まれたかをはっきりさせよう」
とにかくここは持ち主にどうするか判断してもらおう。俺がそう呟けば、ルミエが直ぐに呼んできますと倉庫の中から飛び出していった。
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