第611話 呪術の時代、呪術の国

◇呪術の時代、呪術の国◇


「そうそう。そちらのお嬢さんは知っているようだね。勤勉なことで何よりだ。人間は考える葦であり、知識は問いを掘り進む指標になる。…まぁ、時に知識が枷となることもあるがね」


 マルフェスティ教授がそう言いながら一箇所に纏めたステーキにソースを振りかける。すかさずレポロさんが給仕用のワゴンに乗った素焼きの甕の蓋を開けると、中に入れられた炭を取り出し上方から残った肉を追加で炙り始める。水気の多いソースがジュクジュクと音を立てて香り立ち、泡が弾けると共に湯気という可視化された美味しさが宙を漂った。


 歴史の話よりもステーキに夢中なタルテにとって、マルフェスティ教授の言葉よりも炙られるステーキが奏でる言葉のほうが説得力があったのだろう。自分も同じようにしてくれと皿を脇に寄せてレポロさんに目線を送る。


 既にそれを予期していたレポロさんは無言でワゴンに乗せられた調味料の類を手で示し、どれを選ぶかとタルテに問いかける。その光景を見て、タルテは今日で一番悩ましい表情を浮かべた。


「…ワインベースのソースも良いですが…ここはチーズですね…。…ですがチーズの暴力に対抗するために…たっぷりのフレッシュな香草も乗せなければ…」


「おや?少し待ったほうが良いかな?学院での講義でもそうなのだけれども、聴講生の考える時間をどのタイミングでどの程度入れるかが中々に難しくてね。私の知識を一方的に押し付けるような授業はしたくないんだ」


「…先に進めてくださいまし。この子には後から私が話しますので…」


 ブツブツと何かを呟きながら悩ましげに口元に手を当てているタルテの様子を見て、マルフェスティ教授は自分の話を聞いて考えを巡らせていると思ったのだろう。だが、残念ながらタルテが悩んでいるのはステーキのトッピングだ。そのことに気付いているメルルがマルフェスティ教授に話を先に進めるよう促した。


 同時に決心したタルテがレポロさんにトッピングを頼み込む。肉の上に削り落とされたチーズが炭火で蕩け、魔道灯の灯りを照り返す艶を持ち始める。そして刻まれた香草とバターの緑色のソースが蕩けたチーズと交じり合い、旨味を閉じ込めるように肉に纏わりつく。


「…あの、私も同じものを」


「…ナナ…」


「だ、大丈夫。私はちゃんと聞いているよ…!」


 その香りに陥落してナナも小さく手を上げてベルのお母さんに注文をする。食欲に堕ちてしまったのかとメルルが呆れたように小声で呟くが、ナナはまだ堕ちてはいないと彼女に応えた。…俺も同じのを食べたいのだが、ここで要求してはメルルの視線が突き刺さることになるだろう。


「まぁ、言ってしまえば単純な話だよ。平地人を主軸として他種族を排他しながら纏まったのなら、残った他種族は対抗するために団結するものだろう?反乱軍…いや、対抗軍と言ったほうが正しいのかな。共通の敵が生まれたことで平地人以外の種族が団結し、それがカーデイルの前身となったんだよ」


「なるほど…。始まりから滅んでいたというのはそういう…」


 対抗軍が始まりだというのは初耳ではあったが、その辺りの理由は俺も母さんに話されたことがある。ガナム帝国に対抗するため平地人以外の種族は纏まったが、それ故に平地人を目の敵にしていたため、一部の平地人と平等な関係を築こうとしていた種族や氏族は組することは無かったのだ。


 巨人族はそれで二つに割れた。母さんの氏族はカーデイルに組することなく、彼の国が滅ぶそのときまで誰にも組することなく独立を守り抜いたのだ。…因みに自由奔放なハーフリングは過ごしにくくなった時点で個々に移動し始めていたため、ほとんど戦争に関わっていないらしい。父さん曰く、ガナム帝国にとってもカーデイルにとっても、ああそう言えばそんな種族いたなといった扱いだったらしい。


「不倶戴天の敵同士で隣あっていたんだ。どちらかが滅ぶまでは終われなかっただろうね。…それでも、直ぐに滅ぶことはなく国として成立するほどには生き永らえた」


「それは単に軍事力が拮抗していたからと聞いておりますわね。結局は…当時複数の種族を纏めていた王家で後継者争いが勃発し、それが種族間にも伝播し複数の種族で内乱状態になったとか…」


「そこをガナム帝国に突かれて完全に瓦解したんだっけ?その時の動乱は凄かったって聞いてるけど…」


 マルフェスティ教授は残ったステーキを解すように散らばせると、一つ一つを噛締めるように口に運んだ。そして全てを平らげると満足したように笑みを浮かべ、テーブルの上に手を組んでみせた。


「それが君達の聞きたかった本題だよ。歴史的な資料を探ってみてもカーデイルの内部分裂には不可解な箇所があってね。もちろんガナム帝国が何か暗躍したのは窺えるのだけれども…、どうも思想的に不自然な誘導が合ったらしい」


 どこか挑発的な笑みでマルフェスティ教授は語る。しかし、何のことを語っているのか分らずに俺らは軽く首をかしげた。だが、マルフェスティ教授の語った言葉に何か心当たりがあったらしい。彼女の隣に座っているルミエが苦々しい顔を浮かべた。


「あの…竜讃教会に伝わる呪物には…竜の心を縛るものも存在したらしいです。あまりに外法だということで失伝していますが…、今でも一部の呪物はその流れを汲んでいます…」


 ルミエは例の獣の面も厳密に言えば竜の心を縛り寄せ付けなくしていたのだろうと言葉を続けた。新たに作成した祭具は竜の習性を利用したものであるらしいのだが、獣の面は壁画や碑文を読み解く限り、直接竜の心に作用するのだとか。そこにどのような違いがあるのかは分らないが、ルミエの言葉に頷いてみせるマルフェスティ教授の様子を見る限り、彼女の語ったことは正解だということだろう。


「ガナム帝国成立時における唯一神教の不自然なほどの布教速度。そしてカーデイルの内にて不自然に広がった種族間における争い。そこに思想誘導をする呪物が関わったという説は半ば眉唾ではあるものの完全には否定できなくてね。軍部でも態々私にそのことを聞きに来る者もいるほどだ」


「…つまり、ヴィロートが祭祀場を調べていたと言い張るのは、それが理由なのでしょうか…?」


「その通り。藁にも縋ると言うには厄介で、夢想的と言うには盲いていない。彼らは自分達の敗北の理由を思考する過程で同じ結論に行き着いたんだろうね。そういった古い呪物に関して調べているのさ。…カーデイルも呪物に溢れた国であったのに、そこでガナム帝国に遅れを取ったことが許せないのかもしれないが…」


 外連味のある笑みを浮かべたマルフェスティ教授は意気揚々とそう語ってみせた。そして講義をする教授というよりは、どこか賞賛を欲するエンターテイナーのように両手を掲げ、話の終わりを示すかのようにグラスに注がれていたワインを飲み干した。


 そして、余韻を楽しむように空になったグラスをそっとテーブルの上に戻すと、静かにそして独り言を呟くように、あるいはその呪物を用いて再び結集するつもりなのかもねと呟いた。


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