第609話 竜の晩餐

◇竜の晩餐◇


「皆さん!お久しぶりです!…あっ!?…よ…、ようこそ、お越し下さいました…」


 祭具の受け渡しも終わり、続きは晩餐の席で話そうということで、俺らは食堂に移動する。すると丁度廊下の向かい側からメイドに引き連れられたベルが姿を現した。彼女は笑顔を見せ元気良く挨拶してみせるものの、途中で所作に問題があったことに気が付いたのか、途端にぎこちない動きでカーテシーをした。


 ベルは以前のように狩人の恰好ではなく、派手では無いものの貴族令嬢らしい品の良いドレスに身を包んでおり、薄く化粧も施されている。ロボットという概念の無いこの世界でロボットダンスを披露する先見の明には賞賛するものがあるものの、彼女自身は真面目に貴族風の挨拶をしているため、茶化すわけにはいかない。


「ふふふ。ベルには少し窮屈かしらね。私達相手ならそこまで畏まらなくても構わないわ。…それとも練習相手になったほうがいいかしら?」


「そうなんですよぉ。歴史なんかの勉強は楽しいのですが…礼儀作法はどうしても体が着いて来てくれません…」


「でも弓をやっていたおかげなのかな?大幹が良いから姿勢は綺麗だよ。あとは動きに慣れれば問題なくなると思うよ」


 最初の挨拶はぎこちなかったものの、俺らが相手だということで肩の力が抜けたようだ。ベルは普段の様子に戻り女性陣と楽しそうに会話をする。


「でも、私だけって酷くありません?…お母さんも一緒に貴族の作法を学べばいいのに…」


 ベルは不満そうな顔をしながら、彼女を案内していたメイドをチラリと目線を投げかける。その視線に釣られて俺らもそのメイドを見ると、メイドは恭しくお辞儀をしてみせた。


「あれ…!?何でベルちゃんのお母さんがメイドさんをしてるんですか…!?」


「…私はもともとこのお屋敷のメイドでしたので。今更婦人として振舞うのは些か無理がありますわ…」


 そのメイドの顔を見てタルテが驚いた顔を浮かべた。完全にメイドとして気配を消していたのだが、彼女はベルの母親で間違いは無い。メイバル男爵との争いを諌めたときには気の強い女性のように感じたが、今は非常に落ち着いたメイドとして振舞っている。


「…お母さん、今は猫被っていますが普段はちゃんとお父様と夫婦してますよ。意外と熱々なんです」


「…ベル。少し訓練が足りていないようですね。もっと礼儀作法の時間を増やしましょうか…」


 メイドとして過ごしているのであればメイバル男爵とは上手くいっていないのかと訝しんだが、どうやらそんなことは無いらしい。ベルの言葉に怒りながらも恥ずかしそうに頬を染めているお母さんの様子からして、ベルの言ったことは真実なのだろう。


 ベルは失言からペナルティを食らってしまったことを誤魔化すように俺らを食堂に誘う。メイバル男爵邸は男爵位ながらも中々に立派な邸宅であり、食堂も広々としており俺らを入れてもまだまだ余裕があるほどに拾い。年季の入った室内の調度品は、しかし決して古臭い印象は無く、むしろ落ち着いた空間を醸し出している。


「さぁさぁ。私はお腹が減ったよ。男爵。今日こそは出してくれるんだろう?私が散々催促してももったいぶって出してくれなかった料理を」


「きょ、教授…!当たり前ですよ!アレは戦士にこそ食べる権利があるんですよ?ご、ごめんなさい。男爵様…うちの教授が…」


「…マルフェスティ教授。何度も言いましたが熟成させていたのです。今日に合わせて調理していましたので…」


 流石に一週間も泊まっているれば慣れてしまったのだろう。マルフェスティ教授は彼女の定位置となっているらしい席にツカツカと歩み寄って流れるような動作で着席し、体重を預けるように背もたれに勢い良く身を倒してみせた。そして少しばかり大げさな動作で手を広げてみせると、メイバル男爵に向かって料理の催促を始めた。無作法なその仕草にルミエが代わりに謝るが、メイバル男爵も苦笑するだけで起こっている様子は無い。


 いつの間にか近くに来ていたレポロさんが俺らを席に案内する。そして俺らが席に着くのを待ってから、メイバル男爵が軽く頭を下げて、改まって俺らに礼を述べた。そして男爵に続くようにベルや彼女の母親も礼を述べる。


「ナイデラ様。もうお礼はその辺でかまいませんわ。…どうやら我慢が限界の方もいらっしゃるようで…」


「ええ。是非ご賞味ください。そもそもあなた方が屠った竜なのですから」


 メルルが挑発するように言った我慢のできない方というのは、明らかにさっさと挨拶を終えろという雰囲気を醸し出しているマルフェスティ教授のことなのだが、残念ながら我が陣営にも食欲に負けそうなものがいる。僅かに漂ってくる料理の匂いに反応しているのだろうが、タルテが先ほどから涎を啜っているのだ。


「竜骨のスープでございます。先ずは素のまま、その後に薬味を加えてお召し上がりください」


 ベルのお母さんが俺らに配膳をしてくれる。もちろん材料は俺らの屠った王種であり、今日は領主に納めた分を使って俺らのために晩餐会を開いてくれたのだ。俺らが報酬として受け取った食材の類は全て燻製や塩漬けにしてしまっているため、実を言うと俺らも食べるのは初めてだ。


「おぉう…。骨でこれですか…。お肉が楽しみですね…」


「中々に深みのある味ですわね。スープとして頂くのがもったいないくらいに濃厚ですわ」


「いやはや…。実を申しますと私は竜を頂くのは初めてなのです。美味とは聞いていましたが、王都の方々が買い占めますので中々食べる機会が無く…」


 皆がそのスープに舌鼓を打ち、口々に感想を述べる。俺も一口飲んだだけで重さを感じてしまうほどの濃厚さに思わず笑みを浮かべてしまう。もちろん、竜を使った料理はそれだけではない。内臓や肉をつかったテリーヌに塊肉を使った分厚いステーキ。豪勢なそのメニューに酒を傾けるのが止まらない。


「それで、確かカーデイルの亡霊のことを聞きたかったんだよね?このままじゃ男爵が潰れてしまうだろうし、聴講生が正気のうちに話そうか」


 食事が有る程度進むと、マルフェスティ教授が赤ワインを傾けながらそんな言葉を投げかけた。メイバル男爵はカーデイルの亡霊の話がなぜ話題に上がるのか分っていないようだが、それでも自分の飲むペースを揶揄されたことで恥ずかしそうに苦笑いを浮かべる。


 飲酒に関しては夫婦間の問題にもなっているのだろう。メイドとして給仕しているベルの母親は、それ以上メイバル男爵にワインを注ぐことは無かった。


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